「縁」
小町は当夜の胸から顔を離す。涙を湛えた上目遣いで当夜を見る。
「何から言えばいいのか分からないけど……」
「ああ、それでいい、ゆっくりでいいんだ」
当夜は重く頷いた。
「まず……突然逃げたりしてごめんなさい」
「ただ、当夜になんて言えば分からなくて」
「いいんだ、ゆっくりで」
当夜はただそれを繰り返した。
冷静に、一つ一つ絡んだ糸を解いていけば、きっと解決するのだろうという、そんな考えで……
「あのね」
「私が自分の力を自分のために使えないっていうのは、確かにそうだと思う」
小町は自分の泣き顔を若干当夜の正面から外すため、数歩後ずさりして、遠くの空を見上げる。
清々しいまでの青空が広がっている。文化祭の爽やかな空気にふさわしい一日だ。
――そう、皮肉めいているくらいに素敵な空だ。
「でも、本当に十分な力を持っているかっていうと、そんなこともないと思うの」
さっぱりした口調で、声の震えも潤みもなくそう続ける。
「いいや、あの脚本を書けるのは小町だけだと僕は思う」
「……それじゃあ、あの物語から当夜は何を得たの?」
「人を動かす力だよ」
「そっか……」
そう口にする小町の口調はやけに湿っぽく聞こえる。
「ねえ、私のこと、見えてるかな」
「ああ、見えてる」
「本当に?」
「ああ」
当夜の答えに迷いがない。
そのことが小町には余計に悲しかった。
「うそ、見えてないから」
小町は一転して表情を暗転させて俯く。しばらくそのままの状態で時が流れて、再び涙の雫がこぼれた。
当夜はただその様子を見守る。ゆっくりと見守った。
「ごめん、ちょっと自分勝手かな、私」
「ううん、そんなことはないと思う。――でも、もっと教えてほしいとは思う。小町の気持ちを。」
「当夜」
「うん」
「万智さんのこと、どうするつもり?」
「えっ……?」
ここにきて初めて当夜に動揺の色が見えた。
――ほら、やっぱり。当夜に見えているのは私ではないんだ。
「万智さんの気持ちに気付いてないの?」
「……」
「今は小町の話だろ」
「そうだよ、でも、万智さんは無関係じゃない」
「当夜だってもう気付いてるんでしょ?」
「万智さんが今でも当夜のことが好きだってことくらい」
「……気付いてないと言えば、嘘になる」
「だから、当夜がいるべき場所は私の側じゃないの」
「でも――どうして小町はそんな顔をしなくちゃいけないのか、僕にはまだ――」
「いいの」
無意識に距離を詰める当夜に、透き通った手のひらを突き立てて小町は制止する。
「私は、これでいい」
「いいわけなんかあるかよ!!」
ためらいを振り切るかのような強い口調を当夜は小町に向ける。
小町はそれに少し怯えるような仕草をした。
「ごめん、ちょっと力が入っちゃって」
「ううん、気にしないで……」
「でも、これだけは伝えたいんだ」
今度の二人は真っ直ぐ向かい合って立って、お互いの顔を見つめている。
「小町の幸せを幸せだって思う人だって、世の中にはいるんだよ」
とてつもなく踏み込んだ発言に、小町の心は打たれて、様々な色合いに揺れる。
「僕だって、その一人だ。あの時、冷徹な美少女に出会って戸惑うばかりだったけれど、そのうちに小町の心の中を、少しだけ垣間見ることができた」
「……僕は魅力的だと思った。あえて冷徹であったあの時の態度、僕はそうあってほしくないとは思ったけれど、それでもそれが強さに見えた」
「魅力的」という言葉に小町の心が跳ねて、それを必死で抑えようとした。
「そんな強さを内に秘めた小町が隣にいて、僕に寄り添ってくれた、それがたまらなく嬉しかった」
「あの脚本だってたまらなく素敵だった。しばらくの間僕は空っぽになってしまうほどには」
「そして、それが小町のものだと知った途端、それはもっと色付いて見えた。もっと自分にとって、特別なものになったんだ」
「……これが、僕と小町を結ぶ『縁』なんだと思う」
当夜は小町に微笑みかけた。
「それが相手のものだと知るだけで、幸せな気持ちになれる。相手が幸せであるだけで、自分だってそんな気持ちになれる。幸せであってほしいと、お互いに思っている。……小町にとっての自分もそうあってほしい、というのは、うぬぼれすぎかな?」
「縁……」
声の波紋が、優しく二人の間に広がる。
「ううん、それはうぬぼれなんかじゃない、私だって当夜が幸せなら嬉しい」
首を横に振って、その艶やかさも風に揺れる。
「だから、僕は小町の気持ちを聞きたい、小町が悩んでいることがあったら、それを自分のものにもする。――それが僕たちの縁だと思うから」
「……小町は強い、でも、もっとわがままでもいいんだ」
「……いいのかな?」
「いいんだ」
口元を綻ばせて、でも声は少し震えている小町に、当夜は力強く頷く。
「それじゃあ、私の聞きたいことも教えてくれる?」
「……ああ」
少しだけ当夜の先程までの勢いは削がれる。ここは内なる戦いで、見栄えなど気にしている余裕は無かった。それでも、決意の下でやはり深く頷く。
「私が先でいいかな?」
「……分かった」
自分があんなことを言い出した手前、当夜はそう返事をせざるを得ないと思った。
「幼馴染の関係が壊れてしまうのは怖い?」
「……」
まぶたを赤く腫れさせて、なお迫力を残した表情を見せる。
「……怖いよ」
「僕は壊したくない、ただその一心で今まで振る舞ってきた」
「恋愛になれば、積み上げてきたものが一気に崩れることだってある」
「壊れないことが、幼馴染の良い所なんじゃないの?」
「えっ?」
「ずっとずっと昔から積み上げてきた思い出は、わずかな時間しか積み上げていない思い出より、ずっと強いものだと思う」
「昔から積み上げてきたものが嘘じゃない、そう信じられるからこそ、強烈な感情をぶつけあえるんだと思う」
「ねぇ、それだから……それでもさ……」
「幼馴染の繋がりは切れないよ……」
「だから……」
「私じゃ、ダメ?」