ヒーローの立つ場所
文化祭の開会式が終わって、講堂公演が始まる。演劇の順番は二回目だ。
公演が始まってすぐに裏方で待機をする。慌ただしくて落ち着かないが、手待ち時間ができる方が却って落ち着かないのかもしれない。
皆の緊張も伝わってくる。暗い舞台裏にも、はっきりとそんな表情が浮かんでいた。
一方で一番出番の多い当夜はというと、緊張というより「やってやろう」という気概が勝っていた。
当夜の目下の目標、それは「演劇を成功させる」のはもちろんのことだが、一番は「答えを探す」ことだからだ。
……少年が、少女が、どう思っていたか。ーーそれは小町が何を思ったかということでも、万智がどう思っているかということでもある。
……本当は答えなど、もうほとんど見えているのだが、ただ一つのけじめとして、当夜にとってこれは大切な機会だった。
ーー万智の気持ちに答えるためには、まずここで頑張らないといけないような気がした。
脇役ではなく、主役として。舞台を壊さないのではなく、作り上げる者として。
ーー改めて、脚本の不気味さが自分に刺さる。
なぜ小町は、ここまで自分のことを言い当ててしまうのだろうか。
何を思ってこんな脚本を書いたのか。
でもそんなことが頭に浮かんだ途端に、「それは今考えるべきことじゃないかもしれない」というセーブがかかる。
ーーああ、やっぱり僕は……僕の気持ちは……
前の公演が幕を下ろす。漫才か何かだったと思うが、内容は全く頭に入っていない。それでも観客はたしかに盛り上がっているようで、このボルテージに見合うものが出せるだろうかという不安も覚えた。
「行こう」
万智は当夜に声を掛ける。
「ここが、私達の勝負所だから」
「ああ」
深い思いのこもったその言葉を、単純な相槌と滾る思いで受け止めた。
いよいよ、幕が上がるーー
舞台袖の端で、小町が立っていた。
ステージに立とうとする「主役」の二人に言う。
「頑張ってね、二人とも」
その言葉にそっと頷いて、二人は歩みだしていった。
「今までの僕の努力は、全て切ない真実を僕に突きつけるためのものだったのか?」
「僕はあの日を境に変わった、そして名声を手に入れた、でもそれが何になるというんだ、彼女なくして、僕の人生の意味なんて……」
「初め、無謀だと時々思うことがあった。でもそれは中途半端な形で叶ってしまった。今は、無謀のままで終わってほしかったとさえ思う」
「過去は、変わらないんだよ――それなら、最初から知らなきゃ良かった、あんな世界」
「僕の作ったタイムマシンは、ただの仮想世界だから――あの過去を変えられないのなら、それはただの空想と同じだよ」
……
「無力な僕を許してほしい。何も変えられない、無力な僕の力を。あの時後悔してから、何も変わっていないんだ。僕は、ただ自己満足のための力しか得ることができなかった……」
「ううん、こうして出会えていること、それは絶対に本物だよ」
「……確かにこの世界の私は、本当の過去以上のことを何も言えないし、何もできない」
「でも、それは本物だから。自己満足なんて、言わないで」
少女は悲しそうに自分の前髪を触りながら斜め下を向いた。
「……そうか、ごめん」
「言わせてくれるか?」
「え?」
「ううん、言わせてほしい」
そう言って「少年」は少しだけ少女に背を向けて歩く。
そのまま力を溜めるように一周回って、少女をしっかりと見据えた。
「ずっと君のことが好きでした」
「ずっと側にいるのに、それでも魅力が薄れない、君はそんな人です」
「……ありがとう」
「もうそろそろ、時間だと思う」
「それじゃあ最後に、私にも言わせて?」
……万智は深く息を吸い込んだ。
「ずっと大切に温めて、それだけでずっと繋がっているような気持ちがして、でも近すぎてそれを伝えるのは却って難しい」
「それでもきっと伝わってるよって、どこにいたってずっと近くで繋がってるよって、そう信じられる、それが私たち……なんて、本当はそう信じたいだけなんだけど」
「ずっと、そうなんだよね?」
……当夜は少年のように無邪気に聞いた。
「うん、私はーーそう信じてるから」
「だから、さようならは言わないよ」
「うん、また会おう、未来で」
「少年」がそう言って、幕が下りた。
最後にキャストが全員並んで再び幕が上がると、幕がわずかに上がったその瞬間からおびただしい大きさの拍手が聞こえる。
キャスト全員で一礼する。ナレーションの成瀬がスタッフロールを読み上げた。
……今日はまだ、脚本は空欄のままだった。
全員が舞台裏に引くと、騒がしさはないものの興奮冷めやらぬ感じがひしひしと伝わった。
講堂の裏口から外に出ると、いよいよそれが爆発する。
「やったな!!最高の劇だったぞ!!」
そんな声が聞こえた。
当夜も異存は無かった。素直に喜びの声を上げた。
「よくやった、当夜」
咲夜が駆け寄ってくる。
「おめでとう、いい劇だったよ」
裏方の月見野も声をかけてくれた。
達成感はあった。
けれど、答えはまだ先にある。
上演が終わった後は、クラスメイトと文化祭を普通に回った。
どこも活気があって楽しげだったが、自分とは関係のない賑わいのような気が当夜はした。
明くる日、今度は夕方の時間に上演がある。
この日も普通に文化祭を回った。
やはり当夜の関心事はこの賑わいの中にはない。
そうやってもやもやを抱えながら、二日目の上演に臨む。
舞台裏で目配せをしてきた万智の姿はどこか自信ありげだった。当夜も笑顔を浮かべながら余裕でそれに答える。
……演技に不安は無かった。
問題は、「答え」にたどり着けるかどうかーー
クライマックスのシーンがやってくる。
「でも、それは本物だから。自己満足なんて、言わないで」
少女は悲しそうに自分の前髪を触りながら斜め下を向いた。
「……そうか、ごめん」
「言わせてくれるか?」
「え?」
「ううん、言わせてほしい」
その瞬間、口が重くなった気がした。
(ずっと君のことが好きでした)
ーーその言葉はとても重くて、そして無責任な言葉だった。
少し躊躇ってしまった。
たとえそれが演技だと分かっていてもそう口にすることは憚られた。
ーー壊れてしまうじゃないか。
そう思っても続ける以外に選択肢はない。
「ずっと君のことが好きでした」
「ずっと側にいるのに、それでも魅力が薄れない、君はそんな人です」
そんなことを口にする資格が、自分にあるのだろうか?
……
「ずっと大切に温めて、それだけでずっと繋がっているような気持ちがして、でも近すぎてそれを伝えるのは却って難しい」
「それでもきっと伝わってるよって、どこにいたってずっと近くで繋がってるよって、そう信じられる、それが私たち……なんて、本当はそう信じたいだけなんだけど」
……
「うん、また会おう、未来で」
いまだに、「会えるのだろうか」と当夜は思っていた。