好きの色
太陽の光は雲を突き抜けるように差し込んでいた。
決意を抱えながら、当夜は今日も駅からの一歩を踏み出す。
想いの明確な明るさとは裏腹に、当夜の思惑は複雑だった。
それは万智に向けてでもあり、小町に向けてでもあるのだから。
校門をくぐって真っ先に駆けつけた先は講堂のステージ裏だった。教室に登校しない自分に非日常を感じる。その場所では、既に準備を始めていた他のクラスメイトが温かく当夜を迎えていた。
「おう、おはよう、今日の主役さん!」
「ああ、おはよう、咲夜」
「どうだ、自信はあるか?」
……別に咲夜が当夜の決意の内容を細かく知っているわけでもないのだが、咲夜のその問いかけは、当夜の思惑の奥深くまで浸透しているように思える。
ーーやること自体は大したことではない、ただ、成し遂げたいことが難しかった。
目標はまだぼんやりとしていた。
それを見つけるというのも、また一つの目標だ。
朝の短い時間で照明や小道具などの確認をして、ステージを使う他の団体に場所を明け渡す。
いつもとは違う待機用の教室に戻ってくると、いよいよできることが無くなった気がした。
人事を尽くして天命を待つ。まさしくそんな感じだと当夜は思った。
いまだに台本を読み直したりする気にもならず、手持ち無沙汰な状態。文化祭らしい浮ついた雰囲気の教室に何となく目を泳がせる。
その目が彼女を捉えた瞬間に、ふっと彼女にピントが合った。
……万智だった。
目が合う。すると、万智は当夜の方に歩んできた。
金縛りにあったように当夜は固まった。
そんななんでもないような出来事に当夜が驚きを隠せなかったのは、万智を意識していたからに他ならない。
「おはよう、当夜」
「ああ、おはよう……」
「今、ちょっといいかな?」
「うん」
そう言って万智は目で教室の外を合図する。
当夜はそれについて行った。
このフロアーにはほとんど文化祭で手の空いている人間しかいないためか、他のフロアーより人が少なかった。
ロビーの人通りは少ない。
二人はロビーの端の端に寄って、「ちょっとした内緒話」の態勢になる。
「ついに本番……だね」
「ああ」
「あのさ」
……こんな所で劇的なセリフが飛び出すわけでもない。それなのに、当夜はそのわずかな響きに心を寄せていた。
「私、この劇が終わったら当夜に伝えたいことがあるんだ」
「……そ、そうか……」
「も、物語の話」
万智は焦ったように付け加えた。
「ほらこの前言ったでしょ、答え、探したいって」
「うん」
「今なら、見つけられるかもしれない、ううん、掴めるかもしれないって思うんだ」
「私、今まで何事も周りに振り回されてばかりで、自分だけで何か何か遂げたって誇りに思えること、何も無かったの」
「今回も、小町さんに突然推薦されて、その瞬間私は戸惑った」
おもむろに瞬きをした後の万智の眉がキリっと引き締まって見える。
「――それでも、チャンスだと思った。こんなに大きなことを当夜と一緒にできる、そんな機会中々ないと思うし、それに、――元からそんなもの、自分では掴めない――」
「そしたら、絶対やってやるって、突然そんな気になって、さっきまでの戸惑いが嘘みたいになって、パッと光が差し込んだような気がしたの」
「それで、練習やっていくうちに、色々な人に助けられてるんだなって気がした。小町さんも、咲哉くんも、他のクラスの皆も、……皆にとっては、私はついこの間出会ったばかりの転校生に過ぎないはずなのに」
「私はずっとそうだったから。色々な人に助けられて、守ってもらってた。周りの人なしでは、私は私でいられない。――そして、もちろん当夜だって、そう」
「でもさ、最後は自分でやらなくちゃ、だから、やり遂げたら、一緒に話をしよう。……こ、答え合わせを」
目線が逸れる瞬間になんだか心の機微が見える。でもそれは、愛らしいものであることに変わりはなかった。
「ああ、うん、もちろん」
それはためらいゆえの言葉の詰まりではない。言葉を発しながら、当夜は何かを分かったかのように、一つ一つ自分の心に浮かんだ感情を飲み込んでいくように、自分への相槌を打っていた。
不器用ながら、当夜が日頃から持っていた感情に言葉が加わる。それが現れた瞬間、それを伝えずにはいられなかった。そこに気恥ずかしさはなかった。――万智の言葉には、そんな羞恥心に侵された並の会話を、完全に塗り替えてしまうだけの力があったから。
「……うまく言えないかもしれないんだけどさ」
当夜は少し自信なさげに、ただ、言葉の最後には確かに万智の目を見据えて言った。
少しだけ右側に向いていたつま先が、万智の立っている正面の方へずれていった。
「そんな風に、心は優しくて、時には自信が無いように見えて、それでも本当はいつも強くて、いつも熱い思いを抱えてて……」
「抱えながらも、いつも側にいてくれる。いつも通りに、いつも側にいてくれる。そういう姿、僕はす――」
勢いのまま、自分はすごいことを口走っているのではないかと思いとどまる。それでも、言い出したことはもう撤回できなかった。誤魔化せば余計に……だ。
「好き、だよ」
「ず、ずっと見てきたからさ。ずっとずっと昔から。僕は引っ張られてて、――それは、今でも変わっているようで、変わらないから」
「幼馴染」を強調すれば、こんな風に変になってしまった空気を塗り替えられる気がしたのもあって、そう言った。
「うん、ありがと」
万智は努めて軽そうにそう返した。
「それじゃ、頑張ろうね」
当夜は無言でそれに頷く。決意ゆえ、深々と頭が下がった。
万智はそのままその場を立ち去る。
だんだんと自分の足取りが逃げるように早くなっているのを感じる。
はやる自分の足音にふと冷静になって、自分が下ってきた階段を思わず振り返った。
そこに当夜がいないのが見える。
ふと呟いた。
「……好き……だって」
万智の足取りは段々と重くなっていった。
「残酷な言葉だよ、だって、その好きは……」