主役でない者達
肌に吹き付けた風は予想外に冷たくて、季節の移り変わりを感じる。
ついに今日は本番前日だった。上演は明日の生徒公開と明後日の一般公開で二回。
学校の雰囲気はいつもと違っていた。今日が休日だというのもあるが、飾り付けに溢れていて、どこか浮き足立った雰囲気が流れているのは普段の休日から見ても異質だ。
それに、休みの日だというのに賑わいは異常なくらいで、授業やらで整然としている平日の学校よりも賑わっているように見えるくらいだ。
当夜は、ナレーション役の成瀬に事前に伝えておくことにした。「最終日の公演のキャスト挨拶の時、小町を脚本役として紹介してほしい」と。
突然成瀬は当夜に呼びつけられて驚いていた。そればかりでなく、当夜は開口一番にそう言ったものだから、成瀬は余計に戸惑っていた。
慌てて当夜は「実はあの脚本は咲夜じゃなくて小町が書いたもの」だと説明する。すると成瀬はあっさりと納得したようだった。
「そっか、だから小町さんは当夜くんにやらせたがったんだね」
「そして、万智さんに……」
そう言った成瀬に、当夜は「言ってくれるな」とばかりに沈黙するよりなかった。
「うん、とにかく、私にできることがあったら何でも言って!」
「ありがとう、とても助かるよ」
今日は会場の講堂で本番の確認が行われる。
当夜はステージに立った瞬間、いよいよこの時がきたかと感じた。
クライマックスのシーン、舞台衣装に身を包んだ万智の姿はとても儚げで引き込まれるようだった。――これは演劇で、そしてその練習だというのに。
初めてステージライトを浴びて、多少の戸惑いはあったが、それよりも見慣れたはずの万智の表情の方が重大なことだった。
舞台が幕を下ろして、キャストが皆ステージから降りてくると、監督の咲夜は「ばっちりだ」と言う。
みんながそれに頷いた。
「よし、やってやろう!!」
「みんなでいい舞台にしようね!!」
と明るい声が次々聞こえる。
当夜は思わず小町の方を見てしまった。こんな様子を見て、小町がどう思うのだろうかということがふと頭をよぎった。
一瞬だけ、小町は寂しがっているのではないかと考えたが、すぐにその考えは失礼だと気付いて撤回する。そうこう考えているうちに小町の表情にピントが合う。
――何かを見守っているような表情だった。
それを見て当夜は思わずその姿をじっと見つめてしまった。
その横顔は美しい。見たものを無条件に惹きつける。
……残酷なまでに、美しい
その瞳は皆の様子を暖かく見守るようでいて、もっと遠くを眺めるているようでもあった。
あまりの美しさになお見つめ続けてしまう。
……目が合った。
当夜はそれでも視線を逸らすことができなかった。
……それは残酷な美しさだった。
帰路について、周りの同じ高校の生徒の数もまばらになった頃、私は走り出してしまいそうだった。
一昨日当夜に言った言葉とステージでの緊張ががんじがらめになって自分を襲う。
一昨日も、昨日もその前も、ずっと感じる。
私は主役ではないのだと。
そう、私はーー
ーー人を遠巻きに見ることしかできない、そんな人間だ。
普通に生きているだけで、自分の世界から現実味は薄れてしまう。
……自惚れなどではない、それは私の、最大の弱点だ。
暖かくて、近くて、気取らない。そんな関係でさえあれば良いのに。
私はそれを全て遠ざける。
何が足りないのだろう?
孤高であろうとしたあの頃の自分を捨ててなお、私には捨てきれないものがある。
否、簡単に捨てられるものならばとっくに捨てている。それは捨てられないというより、切り離せないものなのだ。
……それでも、きっとそんな願望はわがままなのだろう。
普通の人が持てないものを持っているのが私なのだから。
心の中でだけ言わせてほしい。
――当夜、どうかずっと私の側にいてほしい――
――人に振り回されることしかできない、そんな人間だ。
私は何か特別なものを持っているわけじゃない。
気持ちだけは本物なのだと、そう思ってきた。
けれどもそんなものは何にもならない。
行動しなければ、何の形にもならない。
まして、それを口にすらできないなんて、何て弱いんだろう。
今いるヒロインの座も、自分の力で得たものではない。
全て周りに振り回された結果の成り行きでしかないのだ。
……その場所に立ちたいという気持ちは嘘じゃない。でも、その場所に立とうとしたのは……私では、ないのだ。
――面倒な人間だと思う。
自分の気持ちも自分で解決できないなら、そんなものは捨ててしまえば良かったのに。
――そんな無理難題を自分に突きつけてしまうほどには、私は動揺している。
本当に、気持ちを伝えることができるのだろうか?
――それは、誰かのシナリオを演じるだけの人形ではなく。
当夜――
ずっと前から、こんなにも愛しているのに。
小町も、咲夜くんも、当夜も、あんなに強いのに。
私だけだ。こんなに弱い人間は。