真隣の空
公園の広い芝生の原を踏みしめて、広場の円の中心まで向かう。
「ほら、ど真ん中だ」
「ああ、そうだね」
足元の芝の感触が、優しくも新鮮に思えて、跳ねるような自分の足取りが地面から反射した。
「……私たちも、真ん中に立つことになるのかな……?」
「真ん中というより、会場の端っこだけどね」
「もう……そういうことじゃなくて……」
「端っこだけど、真ん中なの」
「みんなの視線を一点に集めて、辺り一面の心を動かすために?」
「ふふっ」
「なんで笑うのさ」
当夜は不満そうにそう呟いた。
「ちょっとキザすぎない?」
「でも、そういうことでしょ?」
「まあ、そうなんだけどさ」
「それにしても、よく来てくれたね」
「万智も、よく来ようと思ったねと言いたいけど」
「……私は、ただなんとなく、ね」
少し口数が少ないのは、午前の練習の疲れ、というわけでもないかもしれない。でも、練習の影響ではある。
「あの作品を演じてるとさ、なんだか、こういう所に来たい気分になるの」
「……近くて素敵な場所だから?」
「――驚いた、ここまで思ってることを言い当てられるなんて」
「伊達に幼馴染はやってないよ」
その言葉を口にした後、数年の離別のことを思い出して当夜は後悔しかけたが、ついにその言葉を上書きすることはなかった。
「そっか、悪い気はしないけどね」
「嬉しいって言って欲しいけど」
「それじゃ、嬉しい」
「ふふっ」
「ねえ」
万智はそう切り出す。
「寂しくなかったのかな……?」
「僕は少年でも研究者でもないよ」
「でも、当夜を見てそう思った節もあるから」
「……そりゃ、寂しくないわけがない」
「でも、嬉しかったんだとも思う」
「嬉しい?」
「僕は、少年が、研究者が、見たものをとても尊く思った」
「確かに別れは消えない、どんなに頑張ったって、あの時の別れはもう取り消せないって分かってしまった」
「『残酷な真実を突きつけるための科学なら、こんなもの捨ててしまいたい』だね」
「うん、でも……」
「彼は何かを失ったばかりじゃなかった。過去の世界からの帰り際に、昔の少女は言った」
「『ずっと大切に温めて、それだけでずっと繋がっているような気持ちがして、でも近すぎてそれを伝えるのは却って難しい』」
「『それでもきっと伝わってるよって、どこにいたってずっと近くで繋がってるよって、そう信じられる、それが私たち……なんて、本当はそう信じたいだけなんだけど』」
「その言葉は、きっと彼が心のどこかで欲しがってた言葉だと思うんだ」
「恋の衝動だけじゃなくて、彼がここまでして彼女のことを追った意味が、ようやく明かされるようで……」
「……うん、とても素敵な解釈だと思う……」
広場の中心から少し外れて、小高くなっている場所にある納屋のベンチに腰掛ける。
「ね、ねぇ……」
万智は自分の声が震えるのを感じて、それを抑えながら、敢えてテーブル席の隣に座った当夜にそう話しかけた。
「野暮かもしれないけどさ、少女は、少年のことが好きだったと思う?れ、恋愛的な意味で……」
「……分からないけど、でも少年が想いを伝えたクライマックスの場面で、少女はそうしなかった、ただ少年の想いに感謝を伝えた。だから、少女の気持ちはそうではなかったのかもしれないとも思うかな……」
「で、でも……」
そう発してみて自分の言葉が張り詰めていることに自分で気付いて、万智は乗り出そうとする自分の肩から力を緩めた。
「もしかしたら、少女はあえてそれを黙っていたのかもしれないよ……?」
――この息の震えが相手に伝わっていないだろうか、と怖くなる。どうしてこんなに怖いのに、こんな所に踏み込んでしまったのか、こんな質問をしてしまったのかと後悔してしまう。
「それは、どういうこと?」
当夜は純粋な疑問の表情を浮かべながら、そう尋ねた。
「うまく言えないけど……」
「それで大事なものが壊れてしまうと、そう思ったかもしれない、私はそう思うんだ」
……当夜は声が出せなかった。
「分からない」「どういうこと?」そんな言葉で誤魔化そうという考えが自分に浮かんだのに、力を入れた喉から声は出なかった。
純粋にストーリーして考えれば、複雑な事柄だ。万智の説明だって、漠然としていて、分かりやすいものとはいえないはずだった。
――それなのに、当夜には万智の言わんとしていることが分かってしまった。
幼馴染、それとの関係を壊したくない。
大切なものは、いつまでも繋がっているという感覚。ただの友達関係とは違う。たとえ離れていても、その存在を忘れない。たとえ会えなくても、一生姿が見られなくなったとしても。
――けれど、恋心はそれを壊してしまうかもしれないから。その熱烈な感情は、強烈にほのかな関係を上塗りする――でもそれは、幼馴染という決して動かない関係より、きっと脆い。そして、最後には全てを奪い去ってしまうかもしれない。
「……そうなのかも、しれない」
そう言って当夜ははっきりと万智から目を逸らした。
「ねぇ」
万智は、体から湧き上がってくる震えを抑えながら決意した。
「答え、私たちで探さない?」
「え?」
「もっと物語に入り込んで、――今だって精一杯やっているけれど、もっともっと入り込んで、――それで自分の気持ちと向き合って、そうやってみたら、見つかるかもしれない」
「答え」
そう言って万智が見つめたのは空の果てだった。
「今はまだ、分からなくてもいい、むしろ分からないなりに、考えるべき機会なんだと思うから――」
それはあくまで物語の余談でしかない考察のはずなのに、万智はあたかも至上命題であるかのように言った。
「ああ、そうしよう。――そうしなくちゃ、いけないと思ってる」
あたかも前からそう思っていたかのように、当夜も言った。
気が付けば当夜も空の果てを見つめていた。
ああ、答えはもっとずっとそばにあるはずなのに、どうして遥か遠い空を見つめてしまうのだろう。