遠くて遠い
その時当夜は、自分の中で衝動が湧き起こるのを感じた。
「小町、僕、精一杯頑張るから、主役」
「えっ?う、うん」
唐突な物言いに小町は少し戸惑っているようだった。――いや、虚を突かれたというべきかもしれない。
「だからさ……」
「いや、やっぱり何でもない」
「やっぱり何かあるんじゃん」
「あるけど、これは秘密だ」
そう言って当夜は視線を自分の正面に移して、また並木道を歩き始めた。
小町はなんだかいつもと違う当夜の様子にきょとんとしながらも、その姿を見て自然と微笑んでいる自分に気が付いた。
それからの当夜は、一層演技に力が入っていた。
「今までの僕の努力は、全て切ない真実を僕に突きつけるためのものだったのか?」
「僕はあの日を境に変わった、そして名声を手に入れた、でもそれが何になるというんだ、彼女なくして、僕の人生の意味なんて……」
「初め、無謀だと時々思うことがあった。でもそれは中途半端な形で叶ってしまった。今は、無謀のままで終わってほしかったとさえ思う」
「過去は、変わらないんだよ――それなら、最初から知らなきゃ良かった、あんな世界」
「僕の作ったタイムマシンは、ただの仮想世界だから――あの過去を変えられないのなら、それはただの空想と同じだよ」
「――」
その場にいた咲夜は絶句した。そればかりではない、この劇のキャストも、はたまたこの教室の端で小道具を作っていた生徒までもが、その演技に引き込まれていた。
「……っと、な、何か駄目だったか?」
やる気が空回りしてしまっただろうかと当夜は心配して、唖然としている咲哉にそう問うた。
「いや、そんなことは――その反対だよ、驚いた」
その後拍手が湧いた。教室中から満場一致で飛んだ拍手だった。
その振動が教室を包む。なんだか当夜は突然別世界に放り出されたような気がした。
一瞬だけ気分が良くなった。――それなのに。
他の生徒と同じように笑っている小町の顔を見た瞬間に、当夜の中でそんな心地良さは引いていった。
……この拍手は、彼女には向かないのだから。
拍手が小声をかき消す間に、咲哉は当夜に耳打ちする。
「どんなやり方であれ、俺は当夜を応援するから。……もちろん、小町のことなんて考えなくたっていい。――それだって、小町の望んでいることの一つだろうし」
その咲哉の言葉を聞いて当夜は勇気付けられると同時に気が引き締まる思いがした。
「みんな、ありがとう、もう時間も限られているけど、僕はできるだけこの演劇を良いものにしたいと思っているから、みんなも協力してほしい」
「もちろん!」なんて力強い声も飛んでくる。
願わくば、少しでもこの声が小町の方に向いて欲しい。そう思いながらも、当夜はそんな声援を胸に抱えた。
小町の書いた脚本。
一度凄まじい感動を覚えたこのストーリーのことを、改めて当夜は振り返っていた。
初めの舞台は中学校。幼馴染の少年少女がメインの登場人物だ。
少年は成長するに連れて、幼い時から特に理由もなく自分の側にいる少女のことを、異性として意識し始める。それは淡い恋心に発展して、少年は恋の煩悶のうちに生きることになる。
その少女は幼い時から優しい少女だった。しかし、幼馴染だった少年には時々いたずらな表情を見せ、気の置けない友達という関係にある。
一方で少女も成長して、優しく可憐な乙女という印象が一層強まっていく、そんな彼女に少年はどう接したら良いかが分からなくなっていった。
少女の少年への態度は悪くはなっていなかったが、少女の接し方からは今までの「悪友」のような気は消えてしまっていた。
そんな中で、少年は少女の態度が自分に対して他人行儀であるように感じてしまい、些細な出来事も相まって少年と少女の仲は悪くなってしまう。
――そして、少女は突然事故で他界してしまうのだ。
「いつ見ても、悲しい脚本だよなぁ……」
自宅で改めて脚本を読みながら、当夜は思わずそう口にする。
少年の態度は確かに未熟なものだ。それでも、心の中では幼馴染という枠の中で相手の存在の大切さを弁えていることが伺えて、単に恋心に戸惑うというだけではない繊細な感情が脚本の中には詰め込まれている。
そんな繊細さが描かれているからこそ、事故死の後の展開が単なるSFには見えなくなる。
当夜はそこで脚本を閉じて、今度は自分のことを振り返る。
こんな、自分が文章を腰を据えて読んでようやく理解できるような繊細な感情を、自分は演劇という舞台の中で表現できるのだろうか。と。
――自分は演劇に関しては素人でしかない。であれば、技術による表現力にはどうしても限界はある。
それでも、今日の練習でのことのように、人は当夜の演技を称賛していた。
自分はそんな称賛に値するようなものを見せられているのだろうか、そこに関しては、当夜は疑問に思っている。
それを炙り出すかのような自分の演技を振り返る。
それでも、自分の技術に確信が持てる、と言ったことはない。自分なりの努力はしていても、やはり素人は素人だ。
しかし、冷静な頭で振り返ってみて、ふと気付いたことはあった。
「……そうか、僕は、この物語に、この少年に没入していたのか」
「小町に見合うように」
心のどこかで、そんな考えを当夜は持っている。
小町の頑張りに見合う頑張りをしたいのだと。
――けれども、そうじゃない。自分の頑張りだとか、そんなものを超越する、役者自身を惹きつける力があの脚本にはある。
そう思うと当夜は乾いた笑みを浮かべた。
それと同時に、なぜ称賛が自分ではなく小町に行かないのだろうかと、改めて思った。