何でも言ってほしい
「……報われてほしいとは思う」
当夜は少し固まった後で口だけを動かしてそう言った。
「でも、それは無責任な願望な気がするんだ」
付け加わった言葉に、咲哉は心を震わせる。
その固い言葉は風に研がれて咲哉の心を刺すようだった。
「……僕は、壊れそうなものを壊れないように、そんな消極的なことしかできないんだ」
「小町が冷たい雰囲気を纏っていた頃、僕の目にはその姿が虚勢に見えた。小町は本来そんな人間じゃないはずなのに、それを必死に覆い隠して、そのままで日々を過ごそうとしているのが危なっかしく見えた」
「自分の気持ちを必死に覆い隠して――それは、脆いことでしか……」
そう続けた当夜の声はだんだんと弱々しくなった。
それは、人に配慮してとか、自分に自信が持てなくてとか、状況がまだ飲み込めなくてとか、そんな覇気の無さではない。
当夜は自分で自分を刺しているような心持ちになった。――そんな登場人物は、この話にはいなかったはずなのに。今は小町について話しているはずなのに。
「自分の気持ち」という言葉が、「当夜の気持ち」として当夜に刺さった。
「……当夜?」
明らかに話が中断したように見えて、咲哉は当夜のことを案じた。
「いや、なんでもない。とにかく――いや、そうまとめるのは拙速か」
「『壊れやすくない』なんていう基準が最初から脆いんだ」
「それは別に最適なことではない。正解かどうかも分からない」
咲哉はそんな風に自分の考えを卑下する当夜に、思わず口を挟む。
「――それでも、当夜のおかげで小町は、本来の姿を――」
「……いや、ごめん、僕はそんな偉そうなことを言える立場ではないよな」
一枚岩に行かない咲哉と小町の関係が、咲哉の言葉を滞らせる。
「――でも、少なくとも、小町は笑ってくれているから」
声の揺らぎから咲哉の思い入れが伝わってくる。
「小町が笑ってくれていること、それは確かにそうだと思う」
当夜は咲哉の言葉を聞くと間髪入れずに答えた。
「でも、それでも小町が本当の意味で自分の幸せを掴めないのだとしたら、僕はどうすれば――」
「僕は、小町に幸せであってほしい」
「でも、ただそれだけだ。それはただの気持ちでしかない」
「当夜、それでも、気持ちがなければ始まらないからさ」
今日何度目かの風が吹く。先程までよりも風は強くなっていた。中途半端な考えは、そんな風に流されてしまいそうな気さえする。
「咲哉ありがとう、教えてくれて。僕も、僕なりに考えてみるよ。なんたって――」
そこまで言い掛けた当夜に、咲哉が重ねてこう言った。
「小町が作った主役は、当夜だからな」
「……ああ、その通りだ」
その言葉を合図に、当夜はその場を立ち去った。
「あ、おはよう当夜」
「うん?ああ、小町……おはよう」
いつもの学園最寄り駅でばったりと二人は出くわす。
空模様は晴れ、秋の心地良い風が吹く清々しい朝だった。
……小町の抱えているものも晴れていた。
雲一つない空の下で、当夜は先を見通せないもどかしさに襲われる。
いつもの駅で出会って、二人で学校まで登校する。――いつの間に二人の距離はこんなに近くなったのだろう。そう当夜は毎度思わされている気がする。
でもそんな外形的な親密さとは裏腹に、心の距離は離れていくような気がした。
――小町を知れば知るほど、小町が遠くなっていく。今はそんな感じがした。
今までは、知れば知るほど身近になっていた存在だった。とっつきにくい冷たい雰囲気の先に、親しげでいたずらな一面を見て、……時に女の子らしさも見た。
そんな関係は緩やかに進んでいっているように思えた。
それは今思えば、無難なあり方だったような気がする。
それこそ、「壊れないあり方」、普通の高校生、普通のクラスメイトの関係、……ちょっぴり変な所もあったけれど、概ね普通の延長線上で、進んでいっているような気がしていたのだ。
けれども、その小町の親しげな態度、人当たりの良さの背後には、危ういものが潜んでいる。
――それは当夜も薄々感じていたことだった。けれども、それは当夜には対処不能な問題で、それだからこそ目を背けてきた。
冷たい態度は不正解で、温かい態度が正解。そんな単純な二分法が通用しないことくらい分かっていた。
分かってはいたけれど、それは自分を納得させるための理屈として、誰の検証も経ないまま使うよりなかった。
しかし、今まで目を背けてきたことは、もう許されることではなかった。
なぜなら、今度の当事者は自分自身だから。小町が主役にしたのは、柊凪当夜なのだから。
「おーい、当夜、どうしたの?」
「あ、いや、なんでもないんだ」
無理に口角を上げて、横から話かけている小町の方に顔を向けてみせる。
「……本当に何もない人は、そんな顔しないよ」
「私にできることなら、何でも言ってほしいな」
当夜はその言葉にゾクッとした。
――そこに自分は、あるのだろうか。