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回顧

「万智、どういうことだ」

「ごめんなさい、なんだか言い出しづらくて……」

 帰りのホームルームが終わった直後、ようやく生気を取り戻した当夜が万智に投げかける。礼をした直後の立った状態のままいきなり振り向いてきた当夜に、万智は少しだけ飛び上がった。


「言い出しづらいって……」

 当夜はそこまで言って口を噤んだ。

 それは、万智の気持ちを感じ取ったからだった。

「そうか、確かに、そうだよな、ごめん」

 心なしか当夜は頭を下げているように見える。


「ううん、気にしないで、確かに、私だってもしかしたらそうかもって思っていたから」

 そう、は「まち」が万智だと気が付かないこと、だろう。


 万智は当夜の幼馴染である。しかし中学進学を期に二人は離れ離れになってしまった。

 その万智に気が付かなかった当夜が、そのことを詫びるのも当然の流れだった。


「なんていうか……変わったよな」

「それってどういうつもり……?」

「いや、悪い意味ではないんだけど……」

 ふざけているのか怒っているのか分からないような顔で万智が咎める。元々気の張らない仲だった二人は、少なくともかつてはある程度明け透けなことを口にし合える関係だった。


 当夜が知っている万智は、もっと活発な女の子だった。

 もちろん記憶が小学生で止まっているから、という理由もその印象の背景にはあるのかもしれないが、それを加味しても万智は今よりもずっと活発な人間だったのだ。

 メガネを掛けているのが一番の外見上の変化だが、それを差し引いても今の万智は昔の万智と比べて相当落ち着いて見える。もちろんそれだって成長だと言ってしまえばそれまでだが、やはり無視できないくらいに当夜には違って見えた。


「まあお察しの通り、私は昔とは大分違う人間になったと思う」

「それは、もしやあのお嬢様学校の影響で……?」

「そういうことではないと思うけど」

 万智が進学した中学は中高一貫の女子校だった。それも当夜が進んだ公立中学とは別の県にある。


「別にあそこも普通の中学だし、ブランドイメージはあるかどうか知らないけど、とりわけ頭が良いわけでもないしね、だから私は躊躇もなく転校してきたわけだけど」

「となると、親の転勤か何か?」

「そういうこと」


 一通り転校の経緯についての情報を交わした後、二人の間には沈黙が広がった。

 二人が経た長い月日は、話すべき事柄を積もらせるものでもあり、また曇らせるものでもあった。


「感動の再会中の所失礼、わたくしめが教室の掃除を致します」

 静まり返った二人の間にほうきを持った月見野が割って入った。当夜は「邪魔するなよ」と口に出そうとしたが、すんでの所でやめた。


「ああ、掃除当番か、ご苦労様」

「ええっとそれじゃあ、行こうか?」

 当夜が月見野と万智を交互に振り返って言い掛ける。 


「うん」

 行き先も指定せずに、当夜は万智に視線をやった。

 横たわる時間の集積は、二人を新たな空間へと押し運ぶ。

 当夜はかつての別れの季節の空気を思い出しながら、窓から校地の桜の木を見やった。 


 過ぎ去った時間を噛みしめるかのように、しっとりと階段の段を一歩一歩踏みしめる。

 再会は心を表に出すものではなく、むしろ隠しているようでさえあった。

「なんとなく、気がつかれない気がしてたんだよね、私、変わっちゃったから」

「変わっちゃった」の声が踊り場に響く、その声に込められた想いは、当夜には分からない。

「その、なんと言うか、ごめん、な、万智なのに気づけなくて」

「ううん、謝らなくていい……よ」

 距離感が掴みづらくて気まずく、口調も揺らいでしまう。それが余計に悲しげに響いてしまって、ただでさえ静かな場が凍ってしまいそうになる。


 正門前の噴水広場。水面に落ちる水しぶきが、照りつける太陽の光を四方八方に反射している。

「この学校、結構綺麗な場所だよね」

「前の学校よりも?」

「うん、自然豊かで飾らない感じ」


「座ろうか」

 噴水前のベンチに当夜は腰掛ける。万智はその横に座ろうとする。

 万智は当夜の座った場所からはほんの拳数個分の距離を置いた。

 当夜は、生まれたその隙間を目だけで追った。


「静かだね」

 実際には生徒がいないわけではない、けれどもその音は噴水の落ちる音にかき消される。耳に障らない噴水の音は、うるさいだとかそういう次元には入らない、心地の良い環境音として機能している。


「小学生の頃さ、こんな風に二人でしたことってあったっけ?」

 当夜が「静か」な環境の中で問いかけた。

「こんな風にって?」

 口にして、「こんな風」が明確に言語化し難いものであることに当夜は気づく。どこかにあるような、どこにもないような、そんなものだ。だけど、それに形を与えることがどれだけ難しいことか。


「何というか、心を通わせる?黄昏れる……みたいな?」

「ふふっ」

 万智は控えめな声と分かりやすい身振りで笑う。

「やっぱ、変か?」

「変かもね」


 明確に綻んだ万智の口元は、当夜が今日見た内で一番自然な姿に見えた。

「あったような、なかったような、かな」

「私も今ほど落ち着いていなかったからね~」

 万智は時折身を乗り出しながら楽しそうに喋る。

 当夜はその姿を見て、「昔のことは別にタブーというわけではないのか」と感じ取った。


「でも、変わっていないよな」

「そう見える?」

 身を乗り出した拍子に、万智は覗き込むように当夜を見る。

 そうだ、この純朴な瞳だ。この好奇心大きそうな、活発な視線はなお健在だ。

「変わっていないよ、その仕草とか」

「なにそれ、ちょっとおかしいよ」


 万智の表情は次第に和らいでいった。

 会話の内容は、曖昧な言葉で曖昧な何かを探るような、そんな掴みどころのない話だった。一見すると中身のないようなものに見えた。

 けれども、それは中身を込めようとする必要が無かったからこそ生まれた外形に過ぎないのだろう。


 時が心を乗せて、大切なものを運んでくれているような気がした。当夜の目の前に広がっているのは、木材風のベンチと、そこにぴったり座りながら時折上体を話に調和させている万智と、レンガのタイルとその周縁を包む緑。たまに沈黙が流れると歩き去る生徒と正門の前を通る車の姿。


 そんな何の変哲もないようなものが、この瞬間だけは生き生きと働いている気がした。

 この瞬間「から」働き出した、と言った方が正確かもしれない。


「そうだ、今はどこに住んでるの?」

 当夜は遠くにやっていた視線を再び万智の方に動かして言う。


 万智は当夜の方を向く――かと思うと当夜の顔よりももっと後ろ、首筋とか背中とかの方まで顔を向ける。

 当夜は何をされるのか、と無駄に緊張してしまう。噴水の水音が、今は焦りを掻き立てるもののように聞こえる。

「南けやき台。ここから南に徒歩十分くらいかな」

 そうして当夜の後ろ側から腕を伸ばして方角を指し示してみせた。


  突然腕を展開されたものだから、当夜も思わず身を引いてしまう。

「びっくりしたあ……」

 情けない声を当夜が上げた。それを誤魔化すかのように当夜はそちら側に一瞬体を向けて、もう一度正面に向き直った。


「驚かせないでよ、万智」

「へへ、何だか動きが足りないなぁって」

 万智はいたずらに微笑んで見せる。当夜は自分の中の大人しい万智のイメージが、だんだん昔の活発なイメージに塗り替えられていることを感じる。

「動きねぇ……」

「やっぱり変わらないよ、君は」


 そう言って当夜は立ち上がった。それに付いていくように、万智も自然と立ち上がる。

「当夜は確か川北の方だよね、それじゃあ駅の方面か」

「よく覚えてたね」

「そりゃもちろん、腹心の友ですから」

「だんだんと本領が現れてきたようでなによりです」


「それってどういう意味?」

「言葉通りの意味かな」

「なんか、さっきも聞いた気がする」

 確かにそこに存在していて、それで押し付けがましくない、そんなほのかな心の暖かさが当夜を包む。故郷の情景を見た時のノスタルジーとか、そんな感じの感情。


 正門を抜けた先は学園通りだ。学園通りの手前側も向こう側も、皆びっちりと桜並木で埋まっている。

 緑を基調とした落ち着いた広場と、華やかな学園通りの風景を見比べると、なんだか二人は門から出ているのではなく、学園通りに入場しているように見えた。


「それじゃあ、ここでお別れかな、当夜」

「そうだね」

 歩道と車道が並木と平行して突き抜けて行くのを、二人は各々の方向で目の当たりにした。


 名残惜しく、当夜はまた振り返る。

「また、よろしくな、万智」

 半身だけを万智の方に向けた当夜だったが、万智がその声を聞いて全身で翻ったのを目にして、立ち止まる。


 万智は両手を体の前で重ねて、なんだかかしこまっていた。当夜もまた、もう一度完全に万智の方へ向き直る。


 万智は少しだけ頭を下げた。そしてこう言った。


「もう一度出会えて本当に良かった。改めて、よろしくお願いします」

 万智の方が妙に格式ばっているのと、自分のフランクな態度が釣り合わないような気がして、当夜も頭を少しだけ下げた。

 そして、二人はまたお互いの進路へと戻る。


 車の去る音が、別れの合図のように響いた。

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