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18. 本番

 事務長兼実務統括担当のリスト・レイクは苦虫を噛み潰した心地を無表情で覆い隠した。今日は領主のウォールデン夫人によって職員全員がウォールデン家の大広間に集められている。役所でなく領主の屋敷に呼ばれることは、もちろん異例である。その上職員全員とは、ウォールデン家の本気が伺える。

 前実務統括者のハワードから呼び出しがあったときに、嫌な予感がしていたのだ。おそらく、歯切れの悪い自分の態度にウォールデン家側がしびれを切らしたのだろう。突然降ってわいた時間外業務をのらりくらりと避け、領主の思いつきが頓挫するのを待っていたのだ。その明らかにやる気のない態度が裏目に出てしまったらしい。

 だが、自分の反応は無理のないものではないか。どこの誰にもちかけたところで本気で取り組む者などいるとは思えない。まずは打ち合わせをするとの通達があり、最初の打ち合わせでハワードから膨大なデータ起こしや分析をしたいとの領主側の意向が伝えられた。実務から離れている領主が気まぐれで始める調査などに付き合っていられるものか。その上、全領民を対象に能力の再チェックを行うとも言っていた。そんな阿呆な話が詳しい説明無しにまかり通るとでも思ったか。莫大な徒労に付き合うのは御免である。

 その後データ分析の指示が再三あったが、繁忙期を理由にかわしていたら、今日の呼び出しである。どんな叱責か、責任追及か、それとも解雇の言い渡しか。どちらにせよ、領主の思いつきや気まぐれに振り回される不運な巡り合わせである。こんなことさえなければ、ここが自分の最後の職場だと思えるほどやりがいを感じていたのだが。


 レイクが自分の運命を呪い始めたところで、広間の扉が開いた。

 目を見はるような美貌の夫人が姿をあらわした。ウォールデン夫人といえば、巷では姿絵が出回っているほどの指折りの佳人である。直に見ると、確かに美しい。

 しかし、ただ美しいだけでなく、何やら迫力を感じる。優しげな美女を想像していたレイクは、意外にも女王然とした夫人に、自然と背筋が伸びる心地であった。

 事務長のレイクがこの調子であれば、他の職員たちは推して知るべし。ウォールデン夫人が入室し前に立っただけで、広間の空気がピンと張り詰めたようであった。


「みな、よく来てくれた。まずは礼を言う」


 夫人の華奢な細身からは想像もできない、朗々とした声が部屋の隅まで響いた。


「日々のみなの働きは見ている」


 今や、職員たちは夫人に釘付けであった。次の言葉を固唾をのんで待っている。


「みなの働きは、歴代でも抜きん出て優秀だ」


 賞賛にもかかわらず、広間には依然緊張が走っている。


「この数年は特に良い仕事をしている。出納帳を整理したこと。役所の手続きを簡略化し効率を上げたこと。領民の福祉充実に繋げたこと。これらを高く評価している」


 職員たちは驚きに息をのんだ。自分たちの仕事がこれほど細かく観察されていたとは。

 しかし、事務長のレイクは流石に落ち着いていた。ハワードが役所の仕事について事細かに夫人に報告していても不思議ではない。

 夫人は次の言葉を続ける前に、フッと表情を柔らげた。


「出納帳のこの一年の出来には、特に満足している」


 レイクは今度は驚きをかくせなかった。帳簿はレイクを中心に管理しているのだ。実は、今年に入って帳簿を整理したのは、過去に付けられた出納記録が見事なものであったため、それに倣って直近の一年分を見直し付けなおしたものなのである。まさか、過去の見事な記録は目の前の夫人が…?


「膨大な出納帳を十年分も見直し、要所をまとめ直した手腕。なにより、誰の指示なくそれに着手した心意気。我がデヴォンスにとっての幸いだ」


 そう言って夫人はレイクを見つめた。

 夫人と目があったレイクは、微動だにできなかった。射すくめられたように何の反応もできずにいた。不意打ちに、心が持って行かれてしまったかのようだった。

 この数年は事務長として部下たちを労い、役所全体の指揮をとってきたレイクにとって、誰かから誉められるのは久しぶりの感覚である。こんな感覚は長く忘れていた。人に誉められること、認められることの快感を、レイクは思い出した。じわじわと喜びが心に広がっていく。

 その喜びを噛み締める前に夫人の言葉が続けられた。


「さて」


 夫人が声の調子を変えた。

 また広間の空気は張り詰めた。最早、広間の気分は夫人に掌握されていた。


「知ってのとおり、能力者の過去の記録を調査するよう指示している。繁忙期ということでまだ取り組まれていないが……」


 全員がゴクリと喉を鳴らした。


「事態は急を要する。みなの仕事は、全ての領民に利するものとなる。データを収集し、分析する過程で、みなは驚くべき結論を目にするだろう。我が領地のみならず、国をも変える転機になると、私は確信している」


 瞬きも忘れた職員たちが、夫人の言葉を聞いている。


「あなた方は、国じゅうの人々の生活を一変させる仕事を成すのです。私は、過去に恥じない、歴代で最も優秀なあなた方なら、この大仕事をやれると信じています」


 魅入られたように動かなかった職員たちであったが、次第に広間には静かな興奮の波が広がっていった。

 ルーティンワークをそつなくこなせる彼らに、突然課せられた大仕事。しかも、国の歴史を変えるような……?

 彼らは、今から取り組むべき仕事の重大性を感覚的に察知した。これは、身を粉にして取り組む価値のある仕事だ。賃金の問題ではない。生涯で最もやりがいのある仕事だ。

 全員が、ある種の興奮と使命感を共有していた。広間の空気は一つになっていた。


「みなには、我が家の貯えについて、ほぼ正確に把握されていることと思う。我が家の貯えは、今この時のためのもの。全て惜しみなく領民に還元する所存だ。あなた方の時間外業務への報酬について、詳しくは前実務統括者のハワードより伝える」


 最後に夫人は付け加えた。


「みなの仕事ぶりなら、最高でひと月、最低でもふた月で成し遂げられるはずだ。全ての領民のため、よろしく頼む」

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