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先輩が練習に来なかった。
今日は、バレンタインの翌日である。
昨日は事前に部活を休むという連絡があったのだが、今日は連絡がない。
先輩は無断欠席をする人じゃないので、なにかあったはずだ。
仕方がないので、今日も一人で練習をし、部活が終わったあとに僕は先輩の家へと向かった。
先輩の家は僕の登下校ルート上に存在する。
朝練の時や部活帰りのときに、朝は僕が迎えに行き、放課後は先輩を家に送って帰る。いつもそんな風に過ごしてきた。
先輩の住む二階建ての一軒家が見えてきたところで、僕は先輩にメールを送る。
『部活に来ませんでしたが、今日はどうしたんですか?』
先輩の家にたどり着いたところで、返信が来る。
『ごめんね。今日は、ちょっと連絡するの忘れちゃった』
先輩の家の前で、僕はメールを返信する。
『今、先輩の家の前にいます』
数秒後、二階の窓から先輩が顔を出した。辺りが暗いのでよく分からないが、いつもの笑顔ではなかった。
「こんばんは。先輩」
先輩が今日来なかった理由なんて、僕には予想が出来た。
「いったい、どうして今日は来なかったんですか?部活」
だが、あえて聞いた。いつもの調子で。
すると、先輩は窓から顔を引っ込めた。その後、先輩は玄関から現れた。
「少し……話そうか」
窓の下からでは分からなかったが、僕の目の前に現れた先輩の目は、ウサギの目になっていた。
先輩の家の近くにある公園まできた。
日も落ちかけて遊んでいる子供もいなくなった寂しい公園で、僕達はベンチに腰掛けた。
先輩は、長い間黙ったままだった。紡ぐ言葉を考えているのだろう。
そんな先輩を見かねて、僕のほうから切り出そうとした瞬間、先輩が静寂を破った。
「ねぇ――」
元気のない、いつもの先輩とは違うトーン。
「私、振られちゃった」
先輩の悲しげな声が、寂しい公園に響く。それがとても哀しくて、僕のほうが泣きそうになる。
「昨日、チョコを渡すと共に告白したんだけどさ、ダメだった」
先輩の声が、だんだん震え始める。
「私、今まで誰にも言ってなかったけど、あの人の事、大好きだったんだ……」
その台詞が僕の胸に突き刺さる。
「それでね、昨日帰ってから、今日まで、ずっと泣いてたの」
先輩の頬に、雫が一粒、流れた。
「あれ……、ちょっと前に落ち着いたはずなんだけどな……。キミに話したら……、また、涙が止まらなくなっちゃった……」
僕は、先輩が笑顔でいて欲しかった。
だから、この恋は成就して欲しかった。
だって、先輩が笑顔でいられるから。
でも、それは叶わなかった。
ならば、僕がする事は――。
「え?ちょっ……、なにしてんのっ!」
僕は、先輩を抱きしめていた。
「先輩の、笑顔が大好きです」
笑顔が好き――。
一緒に練習するのが好き――。
いや。
違う。
僕は。
「先輩の笑顔は、僕が守ります」
僕は先輩が好きなんだ。
先輩の事が好きなんだ。
「だから、泣かないでください」
そういうと、突然抱きしめられていた先輩の体から緊張がとれた。
「……うん。ありがとう。でも――」
先輩は、両手を突き出すように僕を離した。そして、服の袖でぐしぐしと涙を拭くと、こう言った。
「もう少し待ってて。気持ちの整理がついたら、返事をするから」
ウサギの目をした先輩は僕に微笑んだ――。