8 第三王子の事情 *後書き小話「お昼寝」
ルドゥシア王国の現王には三人の王子と一人の王女がいる。
文武に秀でた優秀な第一王子は既に立太子も済ませ、次期国王になるべく研鑽を積んでいる。
二歳下の第二王子はそんな王太子をよく補佐する傍ら、近衛騎士団の一翼を担う。
王女はまだ幼いが、王妃によく似た容姿は目にした人の口の端に上り、既に数多の婚姻が申し込まれているという。
そんな兄王子達と妹王女の影にいるのが、第三王子のエドワード・レオ・ルドゥシア。
よく出来た第一王子に申し分のない第二王子が揃ったこの時代、彼らと十才も離れて誕生した第三王子はまさに「スペア」そのものだった。
国王夫妻は親としてそれぞれの子供たちを愛していた。しかし、国を預かる者としては別。ちょっとしたこと――ありていに言えば後継者争いで、国内の情勢というものは簡単に乱れる。それをよく知っていた夫妻は、自分達の子どもに厳格に序列をつけ、役割を明確にした。
野心を持った貴族達に利用されないよう、国が乱れないよう、他国につけ入る隙を与えないよう――ひいては、王家の子として生まれた子ども達が、少しでも心安く生きられるように、と。
国王夫妻のあからさまな期待と指示は第一王子にのみ。第二王子には多少あった直接的な接触も、第三王子との間には幼少から無いに等しかった。
継承者としてのものではないが、十分な教育も受けている。しかし優秀な長兄、完璧な補佐の次兄に比べて、年齢差もあり影が薄い。
兄王子二人が他国の王女と婚姻を結び次の王太子が生まれる頃には、王族の籍から抜けて新設した公爵位に納まるという道が用意されている。そこに国内貴族の娘を妻としてあてがい、高位貴族のパワーバランスを調整しようという目論見が今回の婚約者選びの背景にあった。
第三王子も小さな子どもの頃はさておき、両親である国王夫妻の方針をよく分かっている。いろいろと学び、また、したくもない経験を経た現在、自分が同じ立ち場ならそうするだろうと思うほどには理解できるようになった。
本人が自覚をしてから下心を持ってすり寄る者も減り、そんな王子を王宮内で疎む者もいない。
兄二人のように現在具体的に国の役に立っているわけでも、妹王女のように唯一の直系女児としての役割を求められる身でもない。目立つ事は控え、足枷になることも許されず――第三王子に求められる立場というものは、よく言えば空気、悪く言っても空気だった。
「エド、お前、婚約するんだって?」
「アレク。久しぶりに会ったと思ったらいきなりそれ?」
勝手知ったる様子で王宮内の第三王子の私室に入ってきたカヴァデール公爵家の末子アレクサンダーは、どかりとソファーに腰を下ろした。
部屋付きの侍女達も慣れたもので、何も言わずに好みのお茶と菓子を目の前のテーブルに並べる。
「幼馴染の俺に内緒にするなんて」
「アレクが学園に入って忙しいって、ここに来ない間に決まった話だったから」
「え、俺のせい?」
「手紙でも書けばよかった?」
穏やかな笑みを浮かべて説くように話すエドワードに、アレクサンダーはバツが悪そうに肩をすくめて息を吐いた。
「分かってる。しばらく来られなくて悪かったよ」
「冗談だよ、寮だものね。楽しい?」
「うん、色々新鮮だ。エドも来年、学園に入ったら驚くぞ」
へえ、と楽し気に頷いてソファーの向かいに掛けながら、エドワードは人払いをする。侍女たちが下がったのを見て、アレクサンダーは話し出した。
「……それで、本命は?」
「そんな人いないよ。正直なところ、誰でもいいんだ」
「そうなのか? まあ、そう言うだろうとは思ったけれど」
「うん。文官たちが選んで議会を通ったなら人選には問題ないだろうし。結婚は『第三王子』の数少ない必須公務だしね、相手に文句はないよ」
金彩の施されたカップをソーサーごと優雅に手にして、まるで季節の挨拶のように言うエドワードにアレクサンダーは顔をしかめる。
「お前、自分のことなのに他人事みたいだな」
「まだ実感がないからかな」
「候補はどこらへんの家だ、会ったことのある令嬢は?」
矢継ぎ早の質問にも嫌な顔をせず、エドワードはすらすらといくつもの家名を上げる。その中に、ノースランド伯爵家もしっかり入っていた。
「もしかしたら、王城内で見かけたりとかはあるかもしれないけれど。アレクは誰か知ってる?」
「サンドール侯爵家の令嬢は何かの茶会で会ったことがある。俺より年上だしな、綺麗な人だったよ。あと、ノースランド伯爵令嬢はこの前家に来た」
「ふうん」
「びっくりしろよ、ウチのティガーが貰われていったんだから」
「……へえ!」
本当に驚いたようで、その銀色に近いグレーの目を丸くする。そうして表情が出ると年相応なんだけどな、と幼少の頃から大人びている一歳下の友人をアレクサンダーは眺めた。
「あの人見知りのティガーが、大丈夫なの?」
「お前も最初の頃はだいぶ警戒されてたもんな。それが初日ですっかり懐いて、母上も驚いたって。他の猫もくっついていたけれど、やっぱりティガーがいいって言って。動物がすごい好きらしい」
「へえぇ……」
「エドも動物好きだろ」
「好きっていうか、うん、まあ」
言い淀むには理由がある。好きは好きだが、多分そのノースランド伯爵令嬢とは違った「好き」なのだろうとエドワードは思う。
幼い頃から、不満や不平を口にするのは憚られる立場だった。こうしてアレクサンダーという友人はいたが、愚痴や泣き言を聞かせることには抵抗があった。溜め込んだ気持ちを吐き出す先が飼っていた犬だったり、遠乗りに出た際の愛馬だったりしたのだ。
友達、というのが「何でも話せる相手」というのなら、エドワードにとって動物たちは十分に大事な友達、むしろ親友と言えるだろう。
「女の子は怖がりそうなのにね、あの大きさとか」
「色々と規格外だよ、彼女は」
「アレク?」
その言い方に、なんとなくいつもと違った雰囲気を感じる。ところがアレクサンダーは、いや、と首を横に振った。
「やめやめ、これ以上は先入観を与えることになる。自分の目で確かめるといいさ」
「別に誰でもいいんだけ……うん、分かった」
投げやりな返事をすれば、軽く睨まれて、エドワードは幼馴染に向かって苦笑いをする。一歳しか違わないのにいつだって兄貴分ぶるのだ、この公爵家子息は。
「そういえば、アレクもお見合いしたんだって?」
「あちゃー、知ってたか。会っただけな」
「そうなの?」
「俺、まだ結婚も婚約も興味ないし。相手ちびっこだったし」
結局あの日の午後は、予定通りに事は進まなかったが、演技ではなく心ここに在らずなアレクサンダーの態度で先方は察したらしい。
会ってみれば向こうの令嬢もまだ六歳。本気で婚姻を、と思ったわけではなく、あわよくばの気持ちが先走った結果の見合いの申し入れだったようだ。公爵家には特にメリットのない縁談だったが、色々としがらみのある人物を通しての打診だったので、一度対面すれば最低限の顔は立つ。済んでから両親には長いお小言を頂戴はしたが。
「まあ、嫌がったところでそのうち決まるんだろうけどな」
「不満?」
「できるなら自分で選びたい。なあ、エドは候補者の中から自分で決められるんだろう?」
「そう言われてはいるよ」
「……ちゃんと見ろよ、相手をさ」
ふと滲む真剣な声にエドワードは内心驚いた。珍しい。いつもふざけたことばかり言いたがるのに。そうして自分の気持ちを軽くしてくれるのも知っている。
やっぱり今日は普段と何か違う。学園に入り、寮で暮らすようになったせいだろうか。
「お前が決まらないと俺、動きようがないし」
「え?」
友人の変化への困惑が邪魔をして、アレクサンダーが続けて何か呟いたのを聞き漏らした。
「いや、何でもない。さ、そろそろ行くか」
普段通りの屈託のない笑顔に戻った友人は、茶器を置いて立ち上がると窓の向こう、武闘練習場のほうを眺めた。幼馴染同士は小さな頃から、剣と魔法の練習相手でもある。
その言葉にエドワードも頷いて、カップをソーサーに戻した。
「そうだ、今日はライリー将軍がいるよ」
「は? マジか」
「学園に入ってアレクが怠けていないか見てやるって、随分気合が入っていた。ケヴィンも手合わせに来るって言っていたし、楽しみだね」
「あいつまで……おっと、用事を思い出した気がする」
この数分後には、にこやかな第三王子に連れられて、やや項垂れて武闘場へ向かう公爵家子息の姿が廊下で見られたのだった。
〜今日のノースランド伯爵邸〜
とある昼下がり。
伯爵夫人が社交の茶会から菓子を手土産に帰宅したが、部屋にいるはずの娘と飼い猫の姿が見えない。母の野生の勘に従い真っ直ぐに庭へと足を運ぶと、ちょうど植木の世話をしていた庭師に声をかけられた。
「奥様」
「ああ、ロブ、いつもご苦労様。娘を見なかった? 多分外だと思うのよ」
「あちらにいらっしゃいます」
つば広の帽子の下で白い髭の口元をにこりとさせる老庭師は、しい、とその唇の前に人差し指を立てて、生垣の向こうの芝生に視線を向ける。
示された樫の木の根元には、額をくっつけるように寄り添って、ころん、と横になるエイミとティガー。二つの胸元が気持ちよさそうにゆっくりと動いている。
「あらあら……」
「随分長いことご一緒になって駆け回っていらしたのですが、先程からあのように」
暖かな日差しをお腹から下に浴びて、顔のあたりはちょうど木の影。見るからに心地好さそうだ。
ロブと別れ、音を立てないように近寄るイサベルに先に気付いたのはティガー。長い尻尾をエイミの上にふぁさっと乗せると、まるで、まだ寝せてあげて、とでも言いたげに頭を軽く持ち上げて、娘と同じ色の瞳でイサベルを見た。
「いい子ね。一緒にいてくれたの」
……カメラがあれば、と惜しく思いながら撫でるイサベルに、その目を細めてクルル、と喉を鳴らして返事をするティガーだった。