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58 王妃の指輪

本日2話更新 1/2

 昨夜、ハロルドの代理として王城での祝賀会に出かけたジョシュアは、すぐ戻ると言ったわりに随分と帰宅が遅かった。

 パーティーに顔を出すついでに研究室にも寄ったらしいが、それでどうして二日酔いになるのか、いまいちエイミには分からない。普段は酒などたいして好まない父だが、飲まずにいられない何かがあったのだろうか。

 少し呆れ顔のイサベルに何やら揶揄われつつ、今日は休校のエイミと一緒に仕事を休んで家にいる。


「お父さん、本当に治癒魔術かけなくていいの?」

「エイミ、いいのよ。二日酔いまで満喫してこそなんだから」


 果たして治癒魔術が二日酔いに効くかどうかは分からないが、一応聞いてみればそんな風に返される……一体なにを満喫するというのか。

 これぞ男親よね、なんて楽しそうにイサベルに言われてむっすりと黙り込んでいるが、そのジョシュアにも必要ないと言われてしまえばエイミは引くしかない。

 ベッドで横になっていたほうがラクなんじゃないかと思うが、布団は飽きたと言って、居間のソファーにまだ青い顔でごろりと転がっている。

 そんな父に指先でちょいちょい、と呼ばれた。

 

「……殿下には伝えたからな」

「っ、あ、ありがと」


 自分が頼んだとはいえ、エドワードのことを言われるとなんだか妙な心地になる。ドキドキするというか、顔がほてるというか、要するに……照れる。

 こちらをそれとなく窺ってニマニマしているイサベルから目を逸らし、足元にいるティガーに話しかけた。


「ティガー、えっと、久し振りにお庭で遊ぶ?」


 エイミの言葉が分かったのか、呼ばれたこと自体が嬉しいのか、ティガーはくるりとした目を輝かせてこちらを見上げる。その眼差しを肯定と受け取って、エイミはそそくさと居間を後に、庭に向かった。

 このところ競技会のあれこれで忙しかったため、ティガーとの時間が取れずにいた。その穴埋めのように、昨日からずっとエイミにくっついて離れないティガーだが、そろそろめいっぱい動き回りたいはずだ。

 

 外はいい天気で風もなく、前世より少し濃く見える青空が眩しい。

 帽子を忘れたことに気付いたが、そのまま足を進めた。なんだかふわふわした気分につられるように、エイミの足も軽くなる。


「ようし、ティガー。駆けっこしようか!」


 ピク、と耳を動かしたティガーに、せーの、と声をかけてドレスも構わず走り出せば、尻尾を立てて小走りでついて来る。

 並んで走るエイミを最初はちらちらと見ながら走っていたが、ティガーも次第に楽しくなったようだ。ペースを速めエイミを追い越して、左右にぴょんぴょんとジャンプまで挟みながら走って行く。

 大きい体ながら、しなやかで俊敏に動く姿にエイミは惚れ惚れする。


 ――速ーい。さすがティガー、運動神経いいね! 可愛いし、最高!


 すっかり置いて行かれて息が上がっても、うちの子可愛いは止まらない。

 やっぱり遊びたかったんだなあ、と申し訳なく思いながらエイミも遅れて庭に到着する。先に着いたティガーは、今度はちょうど見つけた蝶を追いかけて遊んでいるところだった。

 ひらりひらりと舞う蝶は、黒地に鮮やかな青緑と黄色の模様。大きな四枚の翅のうち、二枚にはリボンのような長い尾状突起が揺れている。

 前世だったら海外の森の奥などにいかないと会えなそうな美しいアゲハチョウは、こちらではよく見かけるタイプだ。陽の光を反射した翅の模様が、発光しているようでエイミは目を奪われる。


「綺麗だなあ……ん、あれ?」


 飛んでいるのは高いところで、ティガーのジャンプでも届かない。見上げて眺めていると、太陽を遮るように小さい影が動いた。

 手をかざして目を細めるエイミに向かって、その影が真っすぐに向かってくる。


「……ふくた?」


 音もなく舞い降りてくるのは、足元に通信用の細い筒をつけた白フクロウだ。

 あいにく今は腕カバーを持っていない。ふくたに大きく手を振ると、エイミの仕草を理解した賢い子は腕ではなく少し離れたところにある石像に降りた。


「ふくた、いらっしゃい! ちょっと待ってね、今オヤツを持ってくるから」


 駆け寄ってふわふわの羽毛の額を指先で撫でてから、庭師のロブのところに行こうとしたエイミは、キュウ、と甘えるようなふくたの鳴き声に引き留められた。

 足の筒をくちばしでつついて、開けろと催促するような仕草をする。


「今すぐ読んで、ってこと?」


 それじゃあ、と筒に手を掛けると、ふくたは満足そうに嘴で軽くエイミの手を擦る。くすぐったく思いながら開けると、いつもと同じ薄い用紙の手紙が入っていた。


 ――手紙が来たっていうことは、今日はエド様は来られないんだな。


 会って話がしたい、とジョシュアに伝言を預けたのは昨晩だ。この手紙は多分、エドワードの都合を知らせてくれたのだろう。

 今日はエドワードも学園は休みだが、いつも忙しい人だ。急に時間が取れるとは思ってはいない。いないが……少し寂しいと思ってしまった自分に驚いて、こうしてすぐに応じてくれることで十分だと言い聞かせる。


 手紙を受け取ると、ふくたはお気に入りの樫の木へと飛んで行ってしまった。蝶を追うのを止めたティガーも、その後を追って木を登る。

 相変わらず絶妙な距離を保ちながら、一本の枝を共有するふくたとティガーに自然と口角が上がった。


 ふくたとティガーは、特別なにかをして一緒に遊んだりはしない。ただ、ふくたが来ると必ずティガーも外に出てくるし、馬場にティガーを連れていくと、近くの林からふくたが飛んでくる。

 その関係は「友達」と言って差し支えないだろう。


「仲良しだなあ……」

「本当だね」

「っ!?」


 驚いた。驚いて振り向くと、いつの間にかエドワードが来ていた。


「え、え、エド様、なんで?」

「こんにちは、エイミ。なんでって、ああ、読んでいなかった?」


 エイミの手の中にまだ丸まったままの用紙を認めて、エドワードは驚かせたみたいだね、と笑う。慌てて開くと、訪問を知らせる旨が簡潔に記されていた。

 

「道が空いていたから、いつもより早く着いたかも。ほとんど同時になっちゃったね」

「そ、そうだったんだ……」


 驚きすぎて、しどろもどろになってしまう。

 そんなエイミは、ほんのり眉を顰めたエドワードに熱を測るように額に手を当てられながら、顔を覗き込まれてしまった。


「もう具合は平気? エイミのほうから『話がしたい』なんて言ってくれたの初めてだから飛んできたけれど、体調がまだ戻っていないようなら」

「だ、大丈夫っ! えっと、手紙が来たから、今日はエド様は来ないんだなって残念だったからちょっと驚いて」

「……残念?」

「あ、ちがっ、て違くないけど、え、あれ」


 ――何を言っているの、私ってば!


 つい滑った口を押えて真っ赤になるエイミに、少し遅れてエドワードの耳の先も赤く染まる。それを見たらもう、なにがなんだか分からなくなってきてしまった。


「エイミ、残念って」

「えっと、あの、む、向こうでお話をっ、しましょう!」


 強引に遮ったが、エドワードはそれ以上の追及を止めてくれた。少し離れて立っていた護衛のダリオスと、いつの間にかやって来ていた伯爵家の使用人に目で合図すると、二人で東屋へと移動する。

 エドワードはいつも忙しくしている人だ。こうして会いに来てくれたとはいえ、きっとあまりゆっくりもしていられないだろう。

 ベンチに掛けるとエイミは早速、本題に入った。


「あの、競技会の試合前にエド様のところに行ったでしょう。それで救護室に戻ろうとしたら、陛下方がちょうどお見えになったところで」


 エイミはあの日の邂逅をエドワードに説明する。

 通り過ぎるだけのはずの王妃がなぜか立ち止まったこと。エイミを知っていたらしいこと。そして、指輪を下賜されたこと。

 話を聞いたエドワードは意外そうな声を出した。


「指輪?」

「うん。フィン先輩には、治癒魔術師の公認の証だろうって言われた」

「そういうのがあることは私も知っているけれど……」


 エイミはいつも身につけているペンダントを首から外すと、チェーンに通していた指輪を抜く。柔らかく輝く金の輪を丁寧に摘まんで、エドワードの手のひらに載せた。

 確かめるようにそれを見つめるエドワードの瞳が、驚きに丸くなる。


「……うん。この紋は間違いなく王家のものだね」


 エイミは気付いていないが、指輪に刻まれていたのは簡略されたものではなく、王妃の正式な紋章だった。

 これがあれば、大書架や第一温室だけでなく王城全域……王族のプライベートスペースである王宮部分にまで入ることができる。公認の証として治癒魔術師に下賜するには、明らかにオーバースペックだ。


 自分のことは「第三王子」としか認識していないであろう王妃が、その婚約者候補に対し、このような行動をとるとはエドワードは考えもしなかった。

 しかし、王妃ともあろう者が、紋の意味も知らずに自分の指から抜いておいそれと他人に渡すわけはない。

 王族しか持ちえないこの紋を自ら渡す、その意味するところは――。

 それを考えて、エドワードはなんともいえない気持ちに包まれる。


 だが、紋章よりもエイミには気になることがあるらしい。

 指輪を覗き込むように顔を近づけると、控えめに紋の裏を指先で示した。


「エド様。指輪の内側を見て」

「内側? こっちだね。随分小さい文字だけど……え?」


 目の高さまで摘まみ上げた指輪をくるりと返すと、文字が小さく彫ってあるのにすぐ気が付いた。

 自分の目に飛び込んできた文字に、エドワードは言葉を失くす。


「……この指輪ね、王妃様が毎日着けていたものだと思うの。多分、何年も前からずっと」


 指輪の表面には細かい傷が入っている。儀礼用の装飾品ではなく、日常的に使用していたのは確かだろう。

 その内側の滑らかな地金に彫られていたものは、名前と数字だ。


 ――エドワードという名前と、月日を表す四つの数字。


「……これって……」

「エド様のお誕生日だよね」


 王と王妃は政情の安定のために、三番目の王子とは距離を取ることを徹底した。同じ王宮に暮らしていても顔を合わせるのは公式の場だけで、直接言葉を交わすことも幼少時からほとんどない。

 それが必要なことは理解していた。

 だが本当は理解などしたくなかった。それはもしかすると、王妃も……国王も同じだったのかもしれない。


 おはよう、おやすみ、と声をかけ、代わりにキスをする。

 眺めるしか叶わない息子の代わりに、きっと毎日。


 指輪を持ったまま動きを止めたエドワードの手を取ると、エイミは金の輪を改めて彼の手のひらに載せて指を折る。包み込まれた手の中の指輪に温度を感じるのは、それまでエイミの胸元にあったからだろうが。

 震えるように瞬くグレイの瞳を、エイミの金の瞳が真っ直ぐに見返して淡く笑む。


「この指輪、本当はエド様に渡したかったんじゃないかな」


 今のエイミに合わないサイズは、きっとエドワードの指にならぴたりと嵌るだろう。

 なにも言えずに、エドワードは指輪を握りしめた手をそっと額に当てた。


 会えない息子の名前を彫って身に着け続けた母親の気持ちは、本人しか分からない。それをエイミに託した意味も。

 しばらくして、エドワードは手を下ろし指を開く。


「……ううん、これはエイミが持っていて」

「私でいいの?」

「エイミがいい」


 そう言って指輪をエイミの指に嵌める。結婚式の真似事のような行為にエイミの頬は熱くなるが、大きさが合わずゆるゆると回る指輪に二人で顔を見合わせた。

 くすり、とどちらからともなく笑いがおきる。


「ペンダントといっしょに掛けてていい?」

「うん。エイミにぴったりの指輪は私が贈るから」

「え、エド様っ」


 どきん、と鳴った胸の音に重なるように、緩い指輪の上から口付けが落とされる。さらに首まで赤くして唇を震わすエイミに、エドワードは笑みを深めたのだった。



 


次話でラストです。

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