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54 救護室に戻るのも大変です

 後ろ足で立ち、スカートを引っ張るように前足を這わせて、ティガーはエイミにぎゅぎゅっとしがみついた。

 抱っこして、とねだる甘く高い鳴き声とほぼ同時に、わざとらしい咳払いが聞こえる。


「あー、んんっ、ごほんっ!」

「あなた……」


 はっと我に返ってエイミは辺りを見回す。

渋い顔で、うぉっほん、ともうひとつ咳払いをする父親ジョシュアと、大人げない夫に呆れ顔の母親イサベルが並んでこちらを見ていた。

 ついでに、ケヴィンと彼を取り巻いていた人達も、一人残らず。

 

 ――ふわぁ!? え、ちょっとやだ、こ、ここ、外!!


 今、自分はどこで何をしていた? 自問自答は一瞬で羞恥に変わる。

 ぼぼぼ、と音が出そうなくらいエイミの顔が熱を上げていく。さっきまでとは違う意味の涙目でわたわたと見上げれば、ばっちりとエドワードと目が合って、にこりと微笑まれた。


 ――そっ、その笑顔……っ!


 初めて会った時はどこか違和感のあったエドワードの笑顔だが、今は陰など一つもなく、なんというか……本当に、幸せそうだ。

 うわあ、と思わず顔を埋めて、そこがエドワードの胸元だったことに気付いて、また一人で大慌てする。くすりと小さく笑う声が上から降ってきて、もう、どうしようもなく恥ずかしい。


 今日会ったばかりのケヴィンは生暖かい眼差しで見ていたし、勘違いでなければ休憩中の人達からはエイミに好意的な言葉も聞こえる。

 赤くなってかわいい、とか言っているようだが、「丸っこい」とか「小さい」とか「柔らかそう」とか、動物やぬいぐるみを愛でる語句がついている気もする。それにもジョシュアはエヘンエヘンと牽制していて、やはり大人げない。

 両親を含む皆からの視線にエドワードも気付いているだろうに、エイミを囲う腕はちっとも緩む様子がなかった。


「あの、エド様、ええと、」

「ん、なに?」


 反対の手は腰に回されたまま、はたはたと忙しなく動き始めた手を止められて大切そうに握られる。それにまた、ぴきんと固まってしまった。

 前世でも片想いすら未経験、恋愛小説も少女マンガも大して好まなかったエイミは、こういうことに本当に免疫がない。

 気が遠くなりかけたところに、鳴き続けるティガーの声が耳に届いた。鈴のようなティガーの声が、今日は救いの鐘の音にも聞こえる。


「っ、あ、ティ、ティガーをっ」

「……ああ、そうだね」


 残念そうにゆっくりと手を離され、腕が緩み……多少ふらつきながら、エイミは少しかがんでティガーへ両手を伸ばす。と、待ちかねたように、エイミの腕に飛び込んできた。

 肩に前足を置くいつものポジションにおさまると、ようやく満足そうに喉を鳴らしてエイミにぐいぐいと頬ずりをしてくる。


「お、お待たせ、ティガー」

「ティガーとエイミは本当に仲がいいね」


 そう言いながら撫でようとしたエドワードの手が近づくと、ティガーは急に前足を突っ張って体を反らし、ピタリと動きを止めて無言で睨んだ。


「……」

「……」


 火花を散らす、という比喩を現実で使うときが来るとは思わなかった。だが、その瞬間、たしかに二人の間でパチリと弾けたような気がする。

 しばしの静かな攻防は、ふいっと興味をなくしたティガーがまたエイミにぺったりと張り付いてモフモフしだしたことで中断した。

 行き場を無くしたエドワードの手は、それじゃあ、とエイミの髪を撫でる。


「え、エド様?」

「まだティガーは私に撫でさせてくれないようだからね」

「ご、ごめんなさい。人見知りで……」


 飼い主として謝ったものの、エドワードはちっとも残念そうではないし、なぜ代わりに自分が撫でられるのかもよく分からない。

 そうしているうちに、向こうではケヴィンが解散を命令し、イサベル達はこちらへとやって来た。


「殿下。負けはしましたが、見事な試合でした」

「ありがとうございます、局長」

「ところで、そろそろ娘を離してくださいますかな?」

「あら、別にそのままでもいいのよ」

「イサベル」


 微笑むイサベルの目は興味津々と言わんばかりに光っているし、妻から同意を得られなかったジョシュアの口角は面白いくらいに下がっている。

 この二人を前にしてもエドワードは少しも揺るがなくて、その据わった肝を分けてほしいとエイミは切に願う。


「でも、殿下もお疲れでしょうから、中に戻りましょう?」

「そうですね、では」

 

 イサベルの勧めで、ようやく髪を撫でる手も離れて四人で歩き始める。

 すっかり顔が上げられなくなったエイミは、抱いているティガーに顔を埋めてほとんど前が見えない状態でゆっくりと足を動かした。


「……娘がよいと言っても、前に申し上げたことをお忘れにならないように」

「それはもちろん」

「ごめんなさいね、殿下。男親の長年の夢に付き合ってあげてくださいませね」

「イサベル」

「『娘はやらん!』っていうシチュエーションに憧れているの。ね、あなた?」


 茫然自失に近い状態で動いていたため、エイミの頭越しに交わされる会話もろくに理解できない。かろうじて拾えたのは、ころころと響く母の笑い声くらいだ。

 そうして室内に戻ったタイミングで、イサベルに顔を覗きこまれる。


「エイミ、私がティガーを抱きましょうか? なんだかちょっと、」


 顔色が悪いわ、と続く前にエイミはくらりと眩暈を感じた。そのまま倒れそうになったのに気付いたエドワードが支えてくれたが、手足に力が入らず、くたくたと崩れてしまう。


「エイミっ!?」

「……あ、……」


 声にも全く力が入らなくて、エイミは自分でも驚いた。


 ――しまった。これ……。


 ちかちかと点滅するような視界は脳貧血の症状にも似ていて、堪らず目を閉じる。すぐに原因には気づいたが、それを伝える元気がない。

 何度も呼ばれて重い瞼をこじ開けると、すっかり色を失くしたエドワードの焦った表情が眼前にあって、心配させたことに胸が痛くなる。

 慌て出す男二人とは反対に、イサベルが落ち着いた様子でエイミの頬や額に手を当てて具合を確かめた。


「魔力切れね、エイミ」

「うん……」

 

 ティガーを引き受けながら、心配半分、呆れ半分といったため息交じりのイサベルの言葉に頷く。突然の不調の原因が分かって、エドワードがほっとしたのがエイミにも伝わってきた。

 思い返せば、ジャハルの治療をしてすぐにここまで走ってきて、休む暇もなく観戦、そしてエドワードの怪我を治した。

 そして、二人の怪我自体はそこまで重傷ではなかったが、エイミが勝手に気張ってよけいに魔力を使ってしまっていた。

 普段ならまず最初にやって来る空腹感で気が付くのだが、緊張と興奮の連続でわからなかったらしい。


 ――前の休憩からけっこう時間も経ってたもんな……ディオン先生、ごめんなさい。


 魔力切れの対処法は、食事か睡眠、もしくは両方。救護室に行けば、魔力補充に効果の高いコットの実が入った軽食などがある。食べて少し休めば、決勝戦が終わるまでにはいくらか回復するだろう。

 とはいえ、救護室の混雑を思い出してエイミはがっくりとした。ただでさえ、特別に休憩をもらっているのに。

 とりあえず、食べて休めば大丈夫なのだと、心配顔のエドワードに説明する。真剣に聞いていたエドワードが分かったと言うなり、支えていたエイミの体をそのまま抱き上げた。


「ひゃっ!?」

「救護室に連れていくよ」

「あ、歩ける、から」

「駄目。私の治療も原因でしょう? これ以上心配させないで」


 膝裏と背中に腕が回された、これはいわゆる「お姫様抱っこ」である。予想外の高さは少し怖くて、思わず両手で首元にしがみついてしまう。

 腕には安定感があるが、エドワードだって試合の後。疲れているはずなのに、重いから、と言っても聞いてくれない。

 こうして密着すると、簡易の防具越しにもしっかりとした体幹が感じられて、エイミはますます目が回りそうだ。


「殿下にそのような」

「局長、緊急事態なので」


 なにか言い合う二人の声と、あらあらまあまあ、と楽しそうなイサベルの声も、めまいとだるさで半分壊れたスピーカーを通して聞くように現実感がない。

 ただ、恥ずかしさは健在で、エドワードの胸元に顔を隠すように埋めているうちに救護室に着いた。


 ――道中どれだけの人とすれ違ったのかとか、ディオン卿とフィネアスがどんな顔をして迎えたかとか、居合わせたアレクサンダーとロザリンドから後日何を言われるのか、とか。

 エイミにとっていろいろと忘れたいことが多すぎるが、決して忘れられない競技会になったのだった。



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