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52 試合終了、の後


 肩で息をしながら、地面に落ちた剣を眺める。悔しそうにしつつも納得の表情を浮かべるエドワードに、双剣を鞘に収めたハロルドが手を差し出した。交わされた握手は遠目にも力強く、お互いの健闘を称えるものだ。

 少し離れたところでは、アレクサンダーやケヴィン達も肩を叩き合っている。勝敗が決したその一瞬だけ静寂に包まれた会場は、今は大歓声に揺れていた。


 しっかりとティガーを抱いたまま、いつの間にかエイミは立ち上がっていた。

 剣が手を離れたところまでは頑張ったが、今は顔を上げられず、エドワードがちらりと振り返ったのにも気付かない。

 審判により改めて正式な勝敗が告げられた後、盛大な拍手に見送られて両陣営とも舞台を降りる。

 勝ち進んだハロルド達は、休憩時間をおいて次は決勝戦だ。両親がいるこちらに軽く手を上げて見せると、そのまま控室や救護室がある裏のほうへと向かった。

 しかし、まっすぐにこの観覧席のほうへと向かってくる人影がある。

 気づいたイサベルが声をかけるが、エイミはティガーに埋まってぷるぷると首を横に振った。


「あら、エイミ。ほら」

「も、もうやだ、お兄ちゃんのバカぁ……」

「そうか? ハル先輩と念願の手合わせができて、俺は満足だけど」

「え……アレク様?」


 驚いて顔を上げると、さっきまで舞台で激戦を繰り広げていた三人がエイミ達の前に立っていた。

 アレクサンダーの整った顔には土埃がついて髪も乱れているが、やり切った充足感にあふれていて、やたら清々しい。

 キラキラとした陽光の自然エフェクトを背負って、パラリと落ちた髪を無造作にかきあげる仕草はまさに「乙女ゲーム」のスチル向きだ。


 ――おお……いかにもって感じ。


 おかげで少し落ち着いた。

 今の試合の労いを、と遅ればせながら言葉を繋ごうとしたところ、観覧室にいた人達がどっと寄ってきてしまう。


「いや、見ごたえがありました!」

「ライリー先輩! 惜しかったですっ」

「ひゃっ!?」


 興奮して詰めかけた人達にラッシュ時の満員電車のように押し流されて、エイミは開口部から外へ転がり出た。両手がティガーでふさがっていたこともあって簡単にバランスを崩し、よろけてしまう。


「大丈夫? 危なかった」


 転びそうになったエイミを支えてくれたのは、当然のようにエドワードだ。危なげなくティガーごと彼の腕の中に納められ、混乱状態のそこから数歩離れる。

 振り返ると、大勢に取り巻かれているのはケヴィンだった。


「いや本当に、今の試合は!」

「二人を相手にあれだけの技を!」

「槍の流し方も見事で!」

「……頼むから、少し静かにしてくれ」


 ケヴィンは疲労困憊の様子で、すごい勢いで詰め寄ってくる軍属の男達を面倒そうにあしらっている。

 その様子にアレクサンダーは呆れ気味に肩をすくめ、エドワードは苦笑いを浮かべた。


「また厄介なのに捕まって……」

「ケヴィンは部下からも慕われているからね」

「どっちかっていうと、信者っぽいけどな」


 そういえば(ケヴィン)は競技会の「中の人」であったことをエイミは思い出す。ここに関係者が多いのは納得だ。

 王子と公爵家子息そっちのけでいいのか、とも思うが、あの暑苦しい中に放り込まれても困るだろう。アレクサンダーなどは、かえって気配を消している気がする。


 興奮して称賛する熱気に圧倒されながら、エイミは自分を庇ってくれているエドワードを腕の中から見上げた。

 激戦の後だけあって、他の二人と同じようなくたびれ具合で、前に単騎で駆けてきてくれた時を思い出す。試合には負けたが、エドワードの表情は案外さっぱりとしていた。やり切ったのだろう。


「あ、ごめん、エイミに汚れがついてしまうね」

「ううん」


 自分の汚れた服を気にして離れようとしたエドワードの袖を摘んで、首を横に振った。こんな時もエドワードはエイミのことを気にかける……思い返してみれば、いつだってそうだった。

 少し遠慮がちに、でも心なしか嬉しそうにエドワードはエイミに袖を掴まれるままにする。


「……いいところを見せられなかったな」

「そんな、」


 そんなことはない、十分に強かった。そう言いたいのに言葉が出てこない。

 その代わりに、ぽろりと涙が零れた。


「え、エイミ?」

「あー、エド。俺、先に戻る。また後でな」

「あ、ちょ、アレク」


 エドワードにそう言うとアレクサンダーはくるりと向きを変え、声をかけてくる人々に適当に挨拶をしながら行ってしまう。

 その背中が遠ざかるのを見たら、お疲れさま、の一言も言い損ねたと気づいて自分の不甲斐なさにまた泣けてきた。


「えっと、エイミ、泣かないで」


 自分より三歳も年上で、いつも落ち着いているエドワードが明らかにうろたえている。宥めるようにエイミの肩に手を置いて、不安そうに焦った顔で覗き込んできた。

 それでも、大粒の涙が零れるのをエイミは自分で止められない。

 声をかみ殺すのが精いっぱいで、抱きかかえるティガーの長い毛の上に、いくつもの雫が落ちた。


「……エド様」

「うん」


 ようやく視線を上げたエイミに、エドワードは少しだけ安心したような表情を浮かべる。その顔もまた、涙でぼやけて滲んでいく。


「エド様、怪我、は?」

「うん、大丈夫」

「うそ」


 そんなはずはない。試合の後半、気付かれないように右手を庇っていた。何度も目を逸らしそうになっても、ちゃんと見ていたのだ。

 潤む目で咎めるように見つめられて、エドワードは眉を下げて微笑んでみせる。


「……少しだけね」

「隠すのは、ダメ」

「ごめん、心配かけたくなくて」


 ぽとぽと落ちる涙をぐいと拭うと、エドワードが差し出した腕を診る。袖口の下、手首のあたりが赤く腫れていた。

 ついさっきまで剣を持って打ち合っていたし、肌の状態から見ても折れてはいないだろう。でも、ヒビくらいは入っているかもしれない。

 エイミはティガ-を足元に下ろすと、両手で包み込むようにして患部に触れた。


「今でなくても」

「私がするの」


 自分が治す、と約束したのだ。それにこの状態で、痛くないわけがない。

 熱を持った手首が早く癒えるように、とエイミは指先にありったけの治癒魔術を込めて流し込む。


 ぽう、と淡く光る魔力はエドワードの陰になって、観覧席のほうからは見えない。普段と様子が違うのが分かるのか、ティガーはエイミのスカートにぴたりと寄って大人しくしている。

 徐々に痛みが引いていく自分の手首と、目を瞑り集中して治癒魔術を掛けるエイミを、エドワードは驚きを浮かべながら真剣な眼差しで見続けた。


「……エイミ、もう大丈夫。ありがとう」


 その言葉で、触れていた指がふっと浮く。離れていくのを止めるように、今度はエドワードがエイミの手を捕まえた。

 普段は気恥ずかしくて戸惑ってしまう距離の近さも今のエイミは気にならなくて、されるがままになってしまう。

 だってさっきまで、本当に。


「すっかり痛くなくなったよ。エイミの治癒魔術はすごいね。それにやっぱり、とても温かい魔力だ」

「……」

「エイミ?」

「……こわかった」


 止まりかけていた涙がまたパタパタと落ちる。

 周囲にかき消されそうなエイミの声を聞き逃すまいと、エドワードが更に一歩近づいた。二人の距離はもう、ほとんどない。


「本当に、怖かったの」

「うん、ごめんね」


 もともと争い事は好きではない。でも、試合を見るだけでこんなに生きた心地がしなくなるとは思わなかった。

 ひっく、とたまにしゃくりあげながら、エイミはとつとつと話す。


「や、矢も、剣も、こわくて」

「うん」

「エド様の防御膜、きれいだし、大丈夫って……でも、」

「うん」


 宥めるような相槌に、守るように回された腕に、だんだんと現実感が蘇ってくる。余計に、さっきまでの恐怖が足元から上がってきた。

 本当はここで、今の試合の戦いぶりを褒めるべきなのだろう。実際、防御魔術は水際立っていたし、兄と打ち合う剣の腕もかなりのものだった。

 それでもエイミは、終わってよかったとしか思えない。エドワードの実力が物足りないとか信じていないとか、そういうことではなく、


「……怪我をしたり、なにかあったら、嫌だって思ったの」


 これは試合。何度そう自分に言い聞かせても、絶対はない。日常だろうが非日常だろうが、いつ何が起こるか分からないのが現実だ。

 セーブもリセットもない。やり直しなんてできない。

 だから、怖かったのだ。エドワードがいなくなることが。


 エドワードの指先が、壊れ物に触るようにそっとエイミの頬に当てられる。零れ続ける涙を指の背で拭われて、目を瞑った。


「怖がらせてごめんね」

 そう言って髪を撫でる手からは、優しさしか伝わってこない。


 ――違う、エド様はなにも悪くない。


 労いの一つも言えず、涙も止めることができない。謝らせてばかりの自分に自己嫌悪してしまう。


「エイミ」

 呼ばれてゆっくりと視線を上げる。心配そうに覗き込んでくる瞳が陽の下では銀色に見えて、鏡のようにエイミの泣き顔を映していた。


 ――こんな顔は、嫌。


 ゲームの世界だろうとなんだろうと、今まで頑張ってきたのは、こんなに優しい人を困らせるためじゃない。

 家族と、ティガーと、大事な人達と、ずっと笑って過ごすためだ。


 ――……ああ、そうか。


 すとん、とエイミの胸に何かが落ちる。

 その瞬間、周りにたくさんいるはずの人も、騒がしい声も音も、なにも気にならなかった。


 足元でエイミを見上げるティガーとしばし目を合わせて、心を決める。

 止まらない涙を拭ってくれるエドワードの手に、自分の手のひらを重ねると、しっかりと頬に押し付けた――あの馬車の時と同じように。

 もう一度目を瞑り、ゆっくりと息を吐く。

 再び目を開くと、驚いた顔のエドワードがそこにいた。丸く見開いた銀色に映るのは、まだ涙のあとは残っているが、すっきりした表情のエイミだ。


「……い?」

「え、なに?」


 振り絞ったけれど、聞き取れるほどの声量は出なかった。

 言い直すには勇気がいる。この触れた手と頬から気持ちが伝わればいいのに、と思うが、言葉にしなければいけない時もあるのだろう。

 深呼吸をすると瞳に残っていた涙が落ちて、エドワードがまた慌てだすから少し笑ってしまった。


「あのね、エド様。私、」

「うん」


 ようやくエイミの表情がゆるんで、あからさまにほっとされる。

 この人は泣かれるのに弱いらしい。それなら、いつも笑っていようとエイミは胸に刻んだ。

 重ねた手にきゅっと力を込めて、まっすぐに金と銀の瞳を合わせる。

 ――ここが本当に乙女ゲームの世界で、抗えない強制力が働いたとしても。


「……好きになっても、いい?」

 

 やっぱり大きな声は出せなかったけれど、今度は聞こえたはずだ。

 その証拠に、言葉を詰まらせたエドワードが、少し遅れて耳まで赤くなっていく。


 ――って、わ、私も絶対、真っ赤だ……!


 頬も耳も、分かりやすく染まって酷いことになっているに違いない。

 エドワードが何かを小さく呟いて、泳いだ瞳がもう一度合う。初めて見る少し崩れた笑顔が嬉しくて、ほっとして、今度はエイミが聞き返した。


「エド様?」

「うん……もうずっと、エイミのことが好きだよ」


 相変わらず周囲は騒がしい。

 それが試合の興奮が続いているからなのか、何か別の理由なのかは、すっかりエドワードの腕の中に隠されたエイミには分からなかった。

 

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