47 ハロルド達の控室
エドワードの控室を出たエイミはどこを通ったか分からないまま、気付いたら兄達の部屋に到着していた。
まだ開会前の早い時間だが控室まで激励にくる人も増えて、周囲はさらに賑やかさを増している。しかし、到着したその控室に残念ながら兄の姿はなかった。
「え、いないの?」
「ごめんね、エイミちゃん。ハルは練習場なんだ」
久しぶりに会うギルバートとニコラスが、エイミの顔を見て申し訳なさそうに告げる。
「ほら、もともと動き回っているほうが性に合ってるヤツだろ? 待機時間が暇だって言ってさ」
「あー、逆にお兄ちゃんがごめんなさい……」
「いやいや、別にエイミちゃんが謝ることじゃないから」
面会人の練習場への立ち入りは認められていない。せっかく来てくれたのに、と双子の兄弟は代わる代わる詫びの言葉を口にした。
無駄足を踏んだ自分より、ハロルドに振り回されている彼らのほうが割を食っているとエイミは思う。
いないなら仕方ない。ただ少し心配なのは、ハロルドは何かに夢中になると時間を忘れがちになることだ。昔も今も、何度それで母から怒られたことか。
「お兄ちゃん、ちゃんと試合時間までに戻ってくるかなぁ」
「あ、一人じゃないから、それは大丈夫」
「そうそう、お目付け役がいるからね」
訳知り顔でニヤリと微笑まれて、エイミも思い出した。そういえば、この控室には兄だけでなく、新たに加わったという人の姿も見当たらない。
「もしかして、新しく仲間になったっていう人は、お兄ちゃんと一緒?」
「正解。新技の練習に付き合ってくれているよ」
「無茶しないように見張ってくれるし、ハルと違って時間にもしっかりしているから僕らも安心」
「うわあ、なんだか申し訳ない気がする……」
エイミは額を押さえた。サポート兼回復職のスペシャリストとして迎えたはずの人が、兄のお守り役なんて。
「いいのいいの、ヤスミンも結構楽しんでいるから」
「そうそう、いいコンビだよね」
「それなら……でも、いいのかなあ。あ、新しい人はヤスミンさんっていうんだ」
兄からの一番新しい手紙……とはいえない地図メモには、「ヤスミを見つけた!」と書いてあった。
それは『(前世の)ヤスミ(氏と同等のレベルの人)を見つけた!』という意味だと思っていたが、まさか本人の名前が「ヤスミン」とは、一体どんな偶然だ。
ルドゥシアでは聞かない名前だし、冒険者に国境はないから他国の出身だろう。エイミが知らないだけで、その国ではよくある名前なのかもしれない。
「あ、ヤスミンっていうのは仇名。なんだかよく分かんないけどハルが最初っからそう呼ぶし、ヤスミンもそれでいいって言うから」
「えっ、そうなの?」
「会ったのはドゥーベの国境辺り……いや、サライザ側だったかな?」
前世のヤスミ氏と同じサポート職だからって、どういう仇名をつけるのだ。そして「それでいい」のか、ヤスミンさん……なんか、ウチの兄がごめん、とエイミは心の中でもう一度深く頭を下げた。
話にあったドゥーベもサライザも、魔獣が多く出ることで有名だ。必然的に、多くの冒険者達が集まるところでもある。
聞くと、やはり魔獣討伐に従事していたヤスミンだが、卓越した腕前があるにもかかわらず固定のパーティーには属していなかった。あくまでフリーとしてギルドに登録していたという。
その時に雇われたパーティーに同行中、同じ地域に討伐に来ていたハロルド達とたまたま出会ったのだそうだ。
「お兄ちゃんの書き方では凄い人っぽかったから、絶対にどこかのパーティーに入っていると思っていたの。違ったんだね」
「うん、専属にってオファーは多かったらしいよ」
二人が話してくれるには、ヤスミンが有能な臨時サポートメンバーとして有名になったのはここ一年ほど。破格の条件を提示されても固定のパーティー加入には首を縦に振ることはせず、ずっと助っ人のポジションでいたのだそう。
そして、その仕事ぶりを一目見たハロルドが「ウチのパーティーに絶対入れる!」と目を輝かせて獲得に動いたのだ、と。
正規メンバーとして加わると決まった時はギルド職員も驚いて、地元でちょっとした騒ぎになったほどだったと、楽しそうに教えてくれた。
「そんなにすごい人が仲間になってくれたのは嬉しいことだけれど、でもどうして? 今までずっと断っていたんでしょう」
「あー、理由っていうか……ハルの勢いに押されて、うっかりOKしちゃっただけだよな……」
「そうだな!」
エイミの素朴な疑問に、ニコラスは悟りを開いたように遠くを見て、ギルバートは、結果オーライだといい笑顔でグッと親指を上に向ける。
――……お兄ちゃんってば……。
やはりスライディング土下座でお願い攻撃だろうか。それとも「仲間になってくれるまで俺は諦めない!」的な直情熱血系だろうか……両方かもしれない。
どちらにしろ痛い兄だ。シワが寄りそうになる眉間をエイミは指で押さえて、何度目か分からなくなった「兄がごめん」を呟いたのだった。
ディオン卿から貰った「半時」の休憩時間もそろそろ終わりだ。兄達への激励を伝言で残し、エイミはその場を後にした。
護衛のスコットに先導されて、急ぎ足で救護室のある棟に戻る。
出場者の棟とは打って変わって相変わらず物々しい雰囲気の中、二つ目の角を曲がろうとしたところで、立っている警備の騎士に止められてしまった。
「まもなく陛下がここを通られる。そこで控えてくれ」
「承知した。エイミ様、申し訳ありませんが」
「分かったわ。ごめんなさい、こんな時に」
間がいいのか悪いのか、国王陛下のお成りとタイミングが合ってしまったらしい。
言われた通りに一歩下がった丁度その時。少しだけあったざわめきが完全に消え、緊張の糸がピンと周囲に張られたのをエイミは肌で感じた。
同じ気配を察したのだろう、警備の騎士達もピシリと待機姿勢に戻ったのを見て、エイミも最上級の起立礼を取る。
正式に国王の御前に侍るときは膝をつくのが正しいが、この狭いところでは場所塞ぎで迷惑だ。エイミの取った姿勢はスコット達騎士も、陛下の列を先導する文官も満足らしく、咎められることはなかった。
やがて、静まり返った回廊に衣擦れと足音が響く。文官に続いて王専属の護衛騎士、そして従僕や侍女を連れた国王夫妻の順で列は進んできた。
頭を下げ続けるエイミに見えるのは、前を過ぎていく足元ばかり。
――おお、従僕さんの靴もピカピカで染みひとつない。紺タフタのスカートは侍女さんだな。っと、ひい、これはきっと陛下に違いな……ん?
そんなことで気を紛らわしながら息を殺していると、宝石の刺繍がついた靴がピタリと止まった。柔らかそうな革靴の華奢なつま先がこちらを向き、ふわりと揺れたドレスの裾に隠れる。
完全に、エイミの真正面だ。
「……あなた、顔を上げなさい」
――わ、わたしーー!? いや、ちょっと待っ、えっ?
落ち着いていながらよく響く、美しい声。それは同時に、拒否を許さない声でもあった。
背中に冷や汗をかきながら、おそるおそる顔を上げる。そこにはやはりというか、王妃が立っていた。軽く開かれた扇の向こうの瞳はエイミをしっかりと捉えている。
――なん、で、何で!? 何かしたっ!? やっぱり膝ついて額づかないとダメだった? 『この無礼者』とか言われ……あれ?
まさか声をかけられるなどとは、露ほども思わない。動揺しているエイミは気付かなかったが、スコットやほかの騎士達だけでなく、王妃の侍女達も驚きを隠せないでいた。
前を行く陛下も少しだけ振り返ってこちらを見ているのが気配で察せられて、ますます血の気が下がる。
そんななか、王妃はエイミを見てほんのわずか眦を下げた。
「ディオン卿の元に、治癒魔術師の少女がいると聞きました。あなたね?」
ちらりとスコットを見ると、彼も緊張した面持ちのまま、エイミに「答えるように」と目で合図してきた。
「っ、はい」
「そう」
声が震えないように息を整えてエイミが返事をすると、王妃は手にしていた扇を傍にいる侍女に預け、やおら手袋を脱ぎ始めた。
――え?
そのまま、指にはめていた指輪を外して自らエイミに差し出す。
――え、ええっ?
『エイミ様、手っ! 手を出して受け取ってくださいっ!』
拝謁の姿勢で固まり続けていると、焦ったスコットにこっそりと、だが何度もつつかれてようやく手を前に出す。すぐにエイミのふっくらとした手のひらに、ころりと金の輪が乗った。
「その年齢で治癒魔術を行使するのは困難なこと。しかも腕がよいと聞いています。今後も励むよう。……今日も、頼みますよ」
最後の一言を、エイミの顔の高さまで屈んだ王妃が、小さく付け加える。
「せ、精一杯、務めさせていただきます」
「重畳」
その王妃の短い返答には安堵が滲んでいるように、エイミには聞こえた。
す、と向きを変えた王妃に続き、何事もなかったかのように列は歩みを再開する。エイミは受け取った指輪を両手で胸に押し抱きながら、もう一度礼の姿勢に戻った。
やがて最後の文官の背中も見えなくなると、ようやく、周囲の緊張が緩む。
「び、びっくりした……」
「エイミ様!」
へなへなとその場に座り込んでしまったエイミは、支えようとしてくれたスコットを今にも泣きそうな顔で見上げた。
「私も驚きました。侍女達も同じようでしたから、前もって予定していたことではないようです……立てますか? 引き続き王太子殿下方もいらっしゃるはずですので、」
「た、立つっ、立ちます! 早く戻りましょう、スコットさん!」
これ以上のエンカウントはご遠慮仕る。抜けた腰を気合で立たせて、エイミ達は小走りでその場を後にした。
第三王子と国王夫妻の関係は薄く、公式の場で顔を合わせる程度だ、と直接エドワードからも聞いている。
したがって婚約者選びも文官達の主導によるもので、当然、候補に過ぎないエイミの御目通りが叶ったこともない。
でも握りしめた指輪には、王妃の――エドワードの母の温もりが残っている。
――そういえば、王妃様の瞳の色……エド様と同じだったな。
手の中に確かな存在を感じながら、エイミは遅れてそのことに気がついたのだった。