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4 運命の出会いです

 

 あの倒れた日から二か月と少し。ノースランド伯爵夫人のイサベルと令嬢のエイミは、カヴァデール公爵家を訪れていた。

 貴族というものは対外的な必要に応じ、往々にして慈善事業などに力を入れる傾向がある。今までの家長から引き継ぐことが多いが、自分の好みのものに傾倒する者も少なくない。

 先代の王妹が降嫁したカヴァデール公爵家の現当主夫人も、そのうちの一人。

 社交界で知らぬ者はいないほどの無類の猫好きで、野良猫や捨て猫の保護に力を入れ、動物飼育に関する啓蒙活動にも励んでいた。


 同士に対しては広く門戸を開いている公爵夫人。イサベルが伝手をたどって、猫を引き取りたいというエイミのことを伝えてもらったところ、快く招かれたというわけだった。


 毛足の短いじゅうたんを敷き詰めた床に、登って遊ぶのにちょうどよさそうな木製のタワー。ゆらゆら揺れるハンモックは丸くなった数匹の重さにたわんでいる。籐で編んだ猫ちぐらのようなものもいくつか置かれていて、大変居心地が良さそうだ。

 清浄の魔術が施されている室内は匂いもなく、毛も落ちていない。聞くと魔術者を専任で雇っているそうで、さすがだと思うと同時により一層魔術の習得に励もうと改めて気合が入る。


 部屋のあちこちに置いてあるクッションの隙間からはゆったりと寛ぐ背中や尻尾が見え隠れして、まるで猫カフェの様を呈している。

 エイミは遙か格上の公爵夫人との初対面だというのに、上がりっぱなしのテンションを抑えるのに大分苦労する羽目になった。


 種類も色も、目移りするほどの多種多様な猫たちは全て保護された猫。中には、へその緒が付いたまま公園に置き去りにされていた子もいた、という話にエイミは胸を痛めた。

 親猫になにかあっての不可抗力なのか、人が故意に捨てたのかは分からない。そういった猫たちを全部ぜんぶ保護することは不可能だろう。

 それでも、手の届く範囲だけでも、こうして生き延びる助けができてよかったと素直に思う。


 うっとりとした瞳をきらめかせて猫たちを見つめるエイミに、公爵夫人はふっくらとした頬を満足そうにほころばせる。彼女曰く「最近の女の子は痩せすぎ」だそうで、ぽっちゃりしたエイミはそれだけで好意的に迎えられていた。仲間意識かもしれない。

 そんな公爵夫人はおっとりとエイミに問いかける。


(わたくし)の本で猫の飼い方を勉強したそうだけれど、やっぱり個性があるから……どんな子がお好みなのかしら」

「あの、難しいです。だって、どの子もそれぞれ可愛らしいのですもの」


 この、片方の耳が倒れている茶色の縞柄の子も、少し短足でブルーグレーの毛並みが上品な子も。靴下を履いたように手足の先だけが白いのも、ちょんと曲がった尻尾もみんなみんな可愛い。

 さっきからカーテンに飛び掛かろうとして何度も転がっているちょっとおデブちゃんな子も、向こうでオヤツを食べているちょび髭のような模様の子も、それぞれ個性的で愛らしく比べようがないのだ。


 でも、どうしても一匹だけ選ぶとしたら――


「私が選ぶというよりは、猫が私を選んでくれたら、と……」


 せっかく慣れ親しんだここから出て、仲間とも離れて暮らすことになってしまうのだ。せめて自ら納得して自分の元に来てほしい。

 エイミのその言葉を聞いた公爵夫人は、ぱぁっと顔を明るくした。


「私だけ満足しても、駄目だと思うのです」

「そう、そうなのよ! それをお分かりでない方も多いのに、エイミちゃん偉いわ」


 猫好き同士、通じるものがあったのだろう。ソファーを無視して床に置いたクッションの上に座り、膝には猫。そのまましばし猫談義に花が咲き、まずは何度か通って対面を重ねて相性の良い子を……という話になった頃。

 公爵夫人の背後、部屋の隅に積んだクッションの陰から一匹の猫が姿を現した。伺うようにこちらを見た後は、ふい、と顔を窓に向けている。


「あ、」

「あの子はうちで一番の古株よ」


 振り返って確認した夫人は、にこやかに新顔を紹介する。

 金茶の縞が入った黒い毛色。三角にとがったやや大きめの耳には長い毛が房のように生えており、厚く長い体毛はいかにも柔らかそうなのが離れたここからでも見て取れる。

 体と同じくらいもありそうな大きな尻尾も、太くてふさふさ。そして何よりも驚いたのは、その体躯の大きさだ。


「大きい……」

「もう大人なの。これ以上は大きくならないわ」


 猫というより小型の虎、とでもいったほうがよさそうなくらいの大きさ。十歳のエイミが胸に抱っこして持ち上げても、後ろ足は床から離れないかもしれない。それ以前に持ち上げられないかも。


「メインクーンみたいね」


 そっと膝を寄せて耳打ちをする母に激しく同意する。前世で憧れた大型長毛種、メインクーン。その激似の猫に今世で会えるとは。


「いらっしゃい、ティガー」


 公爵夫人の呼びかけに、耳をピクリと動かしたものの視線は窓の外のまま。天使が三人ほども通ったかと思えた時、ようやくこちらに顔の正面が向いた。

 たっぷりとした首周りの毛が余計に体を大きく見せている。しっかりとした口元はまるで絵にかいたような可愛らしいカーブを描き、その瞳はエイミと同じ、金色だった。

 再度呼ばれて、ゆったりと歩き出す。たしたし、と着地音のしそうな太くしなやかな足がまた堪らない。


 距離を測るようにしながら少し遠回りをして歩く、その気持ちがエイミには分かる気がした。自分の部屋に知らない人がいるのだ。それは警戒して当然だ。

 エイミたちが入室してから今まで、ずっと様子を伺っていたのだろう。賢い子だな、と感心した。


「五歳の男の子よ。甘えっ子なのだけれど人見知りで、それにこの大きさでしょう? いい飼い主さんに出会えなくて、ここに来てもう二年になるわね」

「まあ、そうなのですか。こちらに来る前は……?」


 イサベルの問いに公爵夫人は少し懐かしそうに、時間をかけて自分の後ろ側にたどり着いたティガーを目を細めて撫でながら答える。


「ティガーを子猫の時から飼っていた人が、急に亡くなって。残念ながら引き取り手がいなくて、ですわ」

「こんなに素敵なのに」

「エイミちゃんはそう思ってくれるのね。でもほら、貴女と大して変わらない大きさだもの。大型犬を飼う人は多いけれど、猫はね。びっくりする人が多いのは仕方ないわ」


 同年代の子ども達と比べて、エイミの身長は高いほうではない。尻尾の長さも含めたらティガーに負けてしまうかもしれない、と想像して楽しくなった。

 公爵夫人に撫でられて、ティガーは小さく喉を鳴らした。体の大きさに似合わず高い、甘さのある短い鳴き声は鈴の音のようにも聞こえる。エイミは耳から溶けるかと思った。


「……っ、かわいぃ……」

「撫でてみる?」

「よ、よろしいのですか?」

「ゆっくり、静かに、こちらにおいでなさいな」


 にっこりと手招きしてくれる公爵夫人の傍へ、エイミはティガーを驚かせないように進み、斜め前にそっと腰を下ろす。公爵夫人に満足そうに撫でられている彼が気付いてエイミのほうを向くまで、ただ黙って座っていた。

 近寄って見ると、この猫の良さがさらによく分かる。ふわっふわの毛はどこまでも柔らかそうで、まるでコットンキャンディのようだ。

 頬を染めて見つめるエイミに、ティガーの視線が向く。じっと見られるとその金色の瞳に吸い込まれてしまいそう。


「今日のお客様は女の子よ。あなたと仲良くなれるかしら?」

「こんにちは、ティガー。私はエイミよ」


 撫でてもいい? とまずは手をティガーに触れず、前に出して見せる。嫌がらないのを確認してから、そうっとその手を伸ばし、耳と耳の間――おでこの辺りに触れた。毛並みに沿って何度か撫でるように動かす。


「あら、大丈夫そうね……珍しいわ」

「すごく、すべすべです。ティガー、綺麗な毛ね。素敵だわ」


 人見知りをする猫が素直に触らせたことに少し驚きながらも、猫を褒められて嬉しそうにする公爵夫人。ティガーもまんざらでもなさそうに金の瞳を細める。

 触れたティガーの毛は、まるでシルクのように滑らかで柔らかい。とろりとした手触りに、エイミはゆるゆるになっていく頬を止められなかった。


 うっとりとそのまま、あごの下にも手を動かす。首周りは、さらに内側に短い毛が密集していて厚く弾力もあり、ふっさりとした毛の海に手首を越えて沈んでもエイミの小さな手では指先が皮膚に届かない。

 そうこうしているうちに、慣れたのか撫でられるのが気持ちよかったのか。ティガーの前足がエイミの膝に乗り、体をこすり付けるように甘えてきた。


「っ、い、いやぁ、モフ可愛いぃ……っ」

「まあ、すごいわエイミちゃん。その子は私にもなかなか懐かなくていましたのよ」


 今度こそ本気で驚く公爵夫人だが、それに応える余裕がない。

 ニァ、と高い声でねだるティガーに逆らえず、両手で撫でまくっているエイミ。猫のほうも本気で甘えているようで、その密着具合はまるで抱きしめ合っているようにしか見えない。


 実は、猫飼いたさに時間を増やした魔術の勉強――特に力を入れた治癒魔術により、エイミに眠っていたヒーリングの魔力が顕在化し始めていた。

 その稀有な力はまだ弱く、人に影響することもないしエイミ本人にも自覚はない。しかし、感度の高い動物の中にはそれを敏感に察知するものもいる……ティガーはエイミ本人とその手から、安心感と何よりも心地よい温かさを感じていたのだ。


 最終的に押し倒された格好になったエイミだが、慌てた公爵夫人に救い出されるまでうっとりと夢見心地で、もふもふの下から抜け出すそぶりもなかった。

 こんなにティガーが誰かに懐くなど、これまでもこの先も無いだろう。公爵夫人のお眼鏡にもかなっていたエイミへのティガーの譲渡はトントン拍子に決まった。

 残念なことに、さすがにここまでの大型猫を飼う予定ではなかったため、受け入れ側の用意ができていない。

 エイミは泣く泣く、自宅の環境が整うまでしばしの猶予を貰い、その間はこちらに通い続ける約束をして後ろ髪を引かれながらその日は公爵邸を後にしたのだった。

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