43 第三王子の公務
まだ学生の身分のエドワードだが、査察や慰問、式典への参加など、王族としての公務はそれなりに多い。
学園のカリキュラムにも一定の配慮をして文官達が組む日程に文句を言ったことはないが、今回ばかりは違った。
バーリー男爵領の中庭に面した二階の貴賓室。
その明るい窓辺で腕を組むエドワードに、ハンナがそっと手袋を差し出す。
「殿下、こちらを」
「ああ、ありがとう、ハンナ」
今回は先の戦の慰霊式典への出席などもあり、衣裳その他の支度のためにハンナも同行していた。古参の侍女長から受け取った手袋を着けて、エドワードは身支度の仕上げを終える。
最後の訪問地である、バーリー男爵領に到着して丸一日。急遽追加された農地の視察とやらは、どういうわけか見るべきところもほぼなく、到着したその日のうちに全て済んでしまった。
王都からそう離れてはおらず、移動するのにも文句なしの晴天。通常ならば昨日のうちに、もしくは今日の午前中には帰途についているはず。それなのにエドワード達一行はまだここにいて、さらに今晩も宿泊の予定だ。
それを決めた文官達の思惑は視察ではなく、現在、中庭で用意が進んでいることにあるのだということくらい、察するに余りある。
「あら、向こうにいらっしゃるのは、ウィズル商会の会頭では?」
「そのようだね。最近は販路を拡大していると聞いているし、バーリー男爵もなかなか顔が広い」
二人の眼下では、昼食会を兼ねたガーデンパーティーの用意が整いつつあった。そこには男爵から招待を受けた者が既に集まっている。
公式であれ非公式であれ、出向いた先でこういう席が設けられることは、特段珍しくはない。だが兄王子達と違い、エドワードにはあまり機会がなかった。
不自然に組まれた日程からも、今回は文官達が承知の上で用意された席だと自ずと知れる。貴族間の派閥構成を窺うと同時に、「協力者」が現れた場合の第三王子の出方を見るという文官達の思惑が透けていた。
とはいえ、招待客の全員が何かを目論んでやって来たわけではなく、純粋に挨拶に参上した者もいるだろう。
自分に甘言を囁いてくる人物を監視対象に置き、利害関係と野心の有無を判断し、適宜捌く……その程度の処理は、エドワードにも造作のないこと。
――それくらいなら構わないけれど。
エドワードがため息をつきたくなるのは、垣間見える文官達のもう一つの狙いのほうだ。
「……失礼ながら、あからさますぎて了見を疑います」
「珍しい。ハンナにしては辛辣だね」
窓からそっと会場を見下ろして、エドワードの代わりに大きく息を吐いたハンナに苦笑いを浮かべたが、正直言って同意しかない。
整えられた庭に並ぶテーブルや椅子、揃えられた料理や菓子はどれも、いつかの王宮での茶会を彷彿とさせる。
そこに、多くの「令嬢達」の姿があることも。
「殿下にはエイミ様がいらっしゃいますのに」
「まあ、正式の婚約は成っていないからね」
「同じようなものです」
以前より、文官達からは「早く正式な婚約者を」という圧があった。遠回しにだが、直接言われたこともある。
エドワードが自身の婚約者を決めるにあたり、国王夫妻と二人の兄王子からは内々にだが時間の猶予を得ている。とはいえ、不安定要素の第三王子の将来を一刻も早く定め、今後の国政を確固なものにしたいという考えももっともだ。
実際、不確定の状態を長く続けている自分に全く非がないとはエドワードも思ってはいない。だが、譲れないものもあるのだ。
エドワードは気を紛らわすようにして地面から視線を上げる。内心とは裏腹に、晴れ渡った空は青く澄んでいた。
この空は、王都にも続いている。
今日は、久しぶりにエイミが王城の馬場へと来る予定だった。
競技会の準備にも駆り出されるようになった最近はますます時間が合わず、ゆっくり話すことも難しい。手紙だけは欠かさないが、それだけでは足りないのも本音だ。
彼女は周囲を明るくしてくれる。馬場の動物達も職員も皆、エイミが来ると嬉しそうだ。
それはもともとエイミの持つ雰囲気や性格によるもので、治癒魔術が使えるからという理由ではないだろう。
公務とはいえこんな理由で足止めされて、自分ではなくマーヴィンに仔馬を紹介されているかと思うと愚痴の一つもこぼしたくなる。
日頃不平を口にしないエドワードが、表情には出さないまでも分かりやすく不満そうにしているのを見て、控えていた護衛騎士も眉を下げた。
「一時だけお顔を出されましたら、面目も立ちましょう。もうしばしご辛抱を」
「大丈夫、分かっているよ。ダリオスにも無理を言ったけれど」
「いえ。馬の支度は万全にしております」
「後のことは私共にお任せ下さいませ」
ダリオスやハンナの中では、エドワードの婚約者はとっくにエイミで決定済みだ。男爵達が嬉々として自分の娘を紹介しようとしている今の状況は、非常に不本意極まりない。
ちょうどそこにノックの音が響く。そうしてエドワードはダリオスを連れて中庭へと下りていった。
昼食会自体は、大したことはなかった。参加者の大部分はすぐに把握できたし、腹に一物ある者はすぐそうと分かる程度。注意を要するのは、ウィズル商会の会頭くらいだろう。
念のために少し話を合わせ、多少の情報を引き出す。穏やかに歓談しながら探り合うのは、エドワードにとっては些事にすぎない。そうしなくていい相手はアレクサンダーやマーヴィンなど、今まで出会った中に数えるほどしかいなかったのだから。
一通りの交流も済み、頃合いを見計らって人の少ないほうへ移動しようとしたその時、バーリー男爵に話しかけられる。
「殿下。お楽しみいただけておりますでしょうか」
「バーリー男爵、盛大な会ですね」
「ええ、皆エドワード殿下に一目お会いしたく、お越しになる日をお待ち申し上げておりました。もちろん私や、娘もです」
恰幅のいい男爵の後ろから現れたのは、エイミと同じ年頃の令嬢。編み込んだ栗色の髪を花で飾り、華奢な体はふわふわとしたドレスに包まれている。
恥じらうような笑顔は可憐といえるものだが、そこに計算されたものを感じてしまうのは癖みたいなものだろうか。
いつの間にかほかの親達も集まり、エドワードはあっという間に周囲を令嬢に囲まれていた。彼女達は最初こそエドワードの後ろに控えるダリオスにぎょっとしたようだったが、すぐに気を取り直して視界から外し、きゃいきゃいと高い声で話し始める。
口々に自分を褒めそやし笑顔を振りまく令嬢達は、やはり似たような顔に見えるし、声も似て聞こえる。
時間が経てば印象も変わるのだろうか、と考えてみるが、多分無理だろうと先に答えが出てしまう。
「殿下は、婚約者をまだお決めでないのですよね」
「あら。候補の御方はいらっしゃるって聞きましたわ」
「それは噂でしょう、だってお相手があの方ではありえませんもの」
「ああ、あの……」
言葉を発さず社交用の微笑みを浮かべるエドワードの周りで、囀り続ける令嬢達の話題が「婚約者候補」へ向かう。嘲笑を浮かべた上目遣いには自信のほどが見て取れるようだった。
「私でしたらとても恥ずかしくて殿下の隣に並べませんわ」
「なんでも、社交の準備より動物の世話を優先されているとか」
「そんなもの、使用人に任せればよろしいのに。どんなご令嬢なのかしら」
学園に通う時期も違うため、エイミと直接面識のない令嬢達ばかりだ。噂の出どころは親達だろう。
エイミの人となりは会えば分かる。とはいえ、つまらない噂や先入観を野放しにするつもりもない。
「殿下がお優しいからって、いつまでも候補にしがみついているなんてみっともないとお思いになりません?」
「そうです、もっとふさわしいお相手がいらっしゃいますわ」
護衛の隙をついて、するりとエドワードの腕を取ったバーリー男爵令嬢が甘えた声を出す。何が楽しいのか、くすくすと笑い続ける令嬢達に、ようやくエドワードが口を開いた。
「ふさわしい……そうですね。彼女にふさわしい人間になりたいと、いつも思っています」
「え?」
「『どんな令嬢か』と言いましたね」
予想外の言葉だったのだろう。目を丸くした男爵令嬢の手をごく自然に自分から離させ、エドワードはにこりと笑みを浮かべた。
整ったその微笑みは驚くほどに温度がなくて、令嬢達は言葉を失くす。
「私が伴侶に、と求めるその人は、誰かの悪口など言ったことのない令嬢ですよ――ダリオス」
「はっ」
出会ってから一度も。学園に入ってからも。
やっかみを受けたり、言いがかりをつけられたりしてもなお、エイミの口からは誰かを貶すような言葉が出たことはない。少なくとも、エドワードは聞いたことがない。
今日あったことや、ロザリンド達と盛り上がった話題。楽しいことは瞳を輝かせて、困ったことは眉を下げて。一番多いのはティガーの話ではあるけれど、それだって嫉妬ではなく純粋に羨ましいとだけ感じてしまうのだ。
生き生きと話すエイミの傍は、いるだけで満たされる。
やはりエイミだけがエドワードにとって最初から特別で、唯一だ。
あっけにとられたままの令嬢達をその場に置いて、エドワードはダリオスを連れて歩き始める。
「戻る」
「承知いたしました」
今から駆ければ、間に合うかもしれない。帰りの道中をどう最短で行こうかと算段を始めながら、エドワードは足を速めたのだった。