36 競技会はもうすぐ(前)
武闘練習場に剣を打ち合う音が響く。
王城内の一角にあるここは、主に近衛兵らが剣技の訓練をする場所だ。円形に壁で囲われた練習場の足元は土を固めてあり、一部屋根がかかったところには、ひな壇のように観覧席も設けてある。
日も暮れようかという今の時分、練習場には剣の訓練をする影が四つあった。見回せば端のほうに幾人か控えているが、その者たちの視線は一様に、いま打ち合っている二組のうちの片一方へと注がれている。
離れたところにいてもブン、と長めの剣を振り下ろす刀音が聞こえ、見物人は息を呑んだ。
「攻撃は外に流し、即、防御姿勢に。後ろ脚の角度に注意を」
大柄でいかにも屈強な軍人らしい白髪交じりの人物が、打ち合いながら細かく注意をしている。体格を活かし、見事な剣筋を閃かせる老練な腕前の人物はライリー将軍だ。
もともと軍属の家系の出であるが、若かりし頃に起きた戦で名を上げ、最終的に軍大将まで上り詰めた実力者である。
周辺国で多少の小競り合いはあるが情勢そのものは落ち着いている現在も、諸々の事情から引退は叶っていない。将軍という役職名はそのままに、現役からは一線を退き後進の育成に力を注いでいた。
軍の平服を身につけた若者が、その指導に頷いて護身用の短剣を構えている。将軍と比べるとずっと細身だが、身長は同じほど高い。
歴戦の将と相対し、躱し、流すのが精一杯。だが、上がった息を抑えるだけの技量はあるようだ。剣の長さも違い、切り込む隙を決して見せない手練れ相手に食い下がって善戦している。
落ちる汗をぬぐいもせずに、防戦一方とはいえしっかりと打ち結んでいた。
「……ッ!」
カン、と音を立てて青年の手から短剣が弾き飛ばされる。
すかさず止めを刺しに来た将軍の剣を、すんでのところで横に飛び片膝をついて避け、再度振られたそれを素早く頭上に取り出した鞘で受け止める。
「上達しましたな」
「こ、れくらいは……っ」
青年の静かなグレーの瞳の奥に凛とした温度を認め、将軍は自分の剣に込めた力を緩めないまま唇の端を上げた。
「結構、結構。剣と体の捌き方はまず及第点を差し上げられるでしょう」
そう言われても青年が力も気も抜かないのを確認すると、将軍はようやく自らの剣を引いた。そのまま一歩下がられたことで、青年はほっと息を吐く。
場の緊張が緩み、固唾をのんで見守っていた見物人達の間にも安堵が広がった。
「この程度持ちこたえられれば、上々かと」
褒めるようにそう言うと、ライリー将軍はまだ地面に膝をついている青年に手を差し出した。鞘を腰元に戻した手を取って立ち上がらせた瞬間、逆の側から予備動作なしで現れた将軍の小刀が青年の首を狙う。
――ガッ
鈍い音が響き、将軍の顔に今度こそ満足そうな笑みが広がった。
青年の首の少し手前で見えない壁に阻まれて止まった刀の先はポロリと欠け、身には大きくヒビが走っている。
お互いの手を離さず至近距離で見合ったままの瞳が、どちらともなく細まる。
「ほう……! 集中防御膜の瞬時魔術展開、お見事ですな。エドワード殿下」
「私も命が惜しいからね、ライリー将軍」
「ちょーーっと、そこのお二人さんっ!?」
「しょ、将軍ー!!」
握り合う手にぎりぎりと力を籠め、少し息を弾ませながら、ふふふ、と不敵に笑い合う将軍とエドワード。そこに離れて打ち合っていたもう一組の二人が、慌てた様子で走り寄ってくる。
そちらに視線も向けずに、エドワードは声だけで軽く答えた。
「あ、アレクも終わったんだ。今日はどっちが勝った?」
「いやいやいや、あのな、頼むから普通に稽古してくれないか。気になって俺もケヴィンも手合わせどころじゃないし」
ケヴィンと呼ばれた上級士官の軍服を身につけた男性は、あわてた様子で二人の間に入った。その勢いで将軍の手から取りあげた小刀を見て、顔色を失くす。
「うわコレ、刃先も潰していないじゃないですか! 殿下に怪我でもさせる気ですか!?」
確かに、今は殺すつもりで襲ってくる相手に対する防御対策をやっていた。とはいえ訓練に本物の刃を、しかも王族相手に使うことは通常ありえない。
「ほれ、リアリティとかいうやつだな」
「そういう問題ではありません! 練習で死んだら、元も子もないじゃないですかっ。今はあくまで訓練です、くーんーれーん。言葉分かります、将軍?」
「あー、我が孫のくせにケヴィンは相変わらず口うるさい。儂だって相手を見て加減くらいしているわ」
「だとしてもです!」
面倒そうに肩をすくめた将軍にくってかかるケヴィンだが、将軍は軍でもいつも実戦に基づく実技指導をしている。
それに久しぶりの手合わせの今日、「今の実力を知りたいから」と言いだしたのは、実はエドワードのほうだった。
ライリー将軍から離れ、今度こそ臨戦態勢を解いたエドワードの周りから、硬質な空気の膜が霧散する。そうして弾き飛ばされた剣を拾うと、いつもと変わらない笑顔を二人へ向けた。
「驚かせて悪かったね。でも、おかげでいろいろ分かったよ」
「殿下、そう言われましても……しかもこの小刀、サンドナ産じゃないですか。ああぁ、これ一本で俺の月給ぅ」
「切れ味はいいが強度が足りないな」
「将軍が馬鹿力なだけです、年齢相応に少しは衰えていいんですよ!? あと、殿下の防御膜も頑強すぎです!」
聞こえないふりをする将軍に、ケヴィンは小言を続ける。一目も二目も置かれ続けている将軍相手に文句をつけられるのは「血縁だから」という理由ではなく、本人の気質が大きい。
濃い栗色の髪とヘーゼルの瞳という同じ色を持つ二人は、性格も根っこのところでよく似ていた。
「ん? おい、エド。また強度上がったのか?」
「うーん、でも、もう少し柔軟性を持たせたほうがよさそうだね」
ケヴィンの言葉を耳にしたアレクサンダーは、驚きを隠せない様子で問いかける。やんわりと眉を下げたエドワードに同調したのはライリー将軍だった。
「その通り。より簡単に賊を仕留めるには、手ごたえを与えて油断を誘いませんと。とはいえ防御膜に関しては、儂よりもディオン卿か、ああ、フィネアスも研修から帰国していましたかな。殿下のもとに伺うよう伝えておきますか?」
「そうだね……」
魔力を自身の動きに作用させる魔術は、多岐にわたる。
エドワードが使った「防御膜」は体の一部分、もしくは全体をカバーするシールドのようなもの。ほかには、跳躍に作用させて滞空時間を長くするようなものもあり、こちらはハロルドが得意で空中戦によく使用する。
慣れるまでは発動までの時間もかかり、当然ながら、使用に際してはそれなりの魔力量とコントロールが必要だ。
「もう少し自分でやってみるよ」
「では次の手合わせまでに、こぼれない刀を用意しておきますか」
「ふふ、今度は私の首を取れるかな、将軍?」
「さてさて、殿下の成長ぶりが楽しみですなあ」
「穏やかな顔で物騒な相談するなよ……」
若干引きつりながら、アレクサンダーはため息交じりにそう言って肩を落とした。
「まあ、な。それくらいの方が、警護の面からいって安心は安心だけど」
「剣も魔術も、私のはあくまで自衛のためのものだよ。攻撃のほうは、ほら、頼りになる彼らがいるしね」
エドワードがそう言って控えの者達へ顔を向ける。ダリオス達護衛の騎士や、救護担当の治癒術師が、ぴきんと音がしそうに背筋を伸ばした。
「殿下は謙虚ですな。あと十年もたゆまず基礎訓練を続ければ、この私など簡単に負かせましょうに」
「十年ね。うん、その役はケヴィンに任せるよ」
「渡せるものなら、十年と言わず今すぐ引導を渡したいですがね……さて、もう暮れてきましたし、今日はここまでにしましょう」
四人は訓練場の出入り口へと向かって、手合わせの攻防を振り返りながら歩き始めた。