30 ジャハルとエドワード
学園は広い。学習に使う、いわゆる教室がある棟が複数。それに、実技や実習を主にする建物、教授たちの研究室。図書室や談話室、食堂のような授業以外で必要となる場所、そして敷地の端には学生寮。
塔を除けば基本的に低層の建物しかないため、広大な敷地にゆったりと各々の建物が配置されていた。大きな池や温室もある広い園庭の周囲はぐるりと散歩道としても整備されており、馬術を習う学生の練習場所でもある。
そこを全部案内するのは半日やそこらでは無理なので、当面必要となる場所を中心にエドワードはジャハルを連れ歩いていた。
「ここが魔術の訓練棟。剣技の武闘練習場は向こう側の青い屋根の建物になるよ」
「ああ、分かった。なんだ、随分厳重な防御結界を張っているな」
一見するとただ地味なだけの魔術訓練棟だが、強固な守りの術が掛けられている。そのことを即座に見抜いたジャハルにエドワードは軽く瞠目した。過去にも交流はあるが、バクルの国風は剣技を重く見るため魔術方面は得手とはいえなかったはず。
ジャハルは軽く肩をすくめると、面白そうにエドワードを見上げた。
「魔術も多少はね。そうは言っても、視るほうばかりで使うのはあまりうまくないけれど」
「そうなんだ。でも、ディオン卿の授業もカリキュラムに組んでいるのでしょう?」
「あー、まあね」
アレクサンダーが嬉々として逃げ出した鬼教授の情報は、他国にまで広まっているらしい。せっかく特例で入学するのだから、一つでも多く身につけて帰国してこいと厳命されたと、ジャハルはため息混じりに答えた。
「外からこうして見る限りは静かなものだけど、現に今も授業中だろう?」
「うん、それこそ君の婚約者もあの中にいるはずだよ」
「レティは魔術が得意だからな。それと、エイミもだろう?」
自分のことのように胸を張るジャハルに、エドワードは頷いてみせた。
「治癒魔術ができるとは手紙にも書かれていたけれど、まさかそんなに本格的だとは思わなかったから驚いた。せいぜい真似事で、あとは普通に手当てしてるのだと」
「動物相手だとより効果が高いんだ」
「ああ、さっきロザリンドからも聞いた。よっぽど好きなんだな」
その場を離れ次に向かいつつも、会話の内容は魔術とそれが得意な女の子のこと。レティシアからの手紙を思い出しながら、ジャハルはエドワードに尋ねる。
「レティの手紙で、どんどん言葉が柔らかくなっていくから、どんな子だろうと思ってた」
「それで、実際会ってどうだった?」
「ロザリンドは予想通り。エイミは想定内で意外、っていう感じだな」
高位の貴族同士はだいたいにおいてどこかで血縁関係を持っている。レティシアのエルフィンストン侯爵家は、アレクサンダーの母、カミラ公爵夫人の縁戚だ。
侯爵家一家は帰国早々に夫人の元へ挨拶に訪れている。その際「お気に入りの猫仲間」であり「学園で姪の同級生になる予定」の、エイミ・ノースランドの話題が出たのは自然な流れだろう。
カミラ夫人の話しぶりはかなり好意的だったが、レティシアはエイミに対してあまりよい印象を持たなかった。
というのも、重鎮貴族であるウォーラム辺境伯の孫娘ではあるが、エイミは一介の伯爵家令嬢に過ぎない。彼女が第三王子の唯一の婚約者候補であり、ずっと保留のままだということに以前から引っ掛かっていたのだ。これだけの期間ひとつも進展しないということは、何か問題があるのでは、と。実際、聞こえてくる噂は彼女の外見に対して否定的なものばかり。
さらに、従兄に当たるアレクサンダーもエイミのことを気に入っているらしい。大体においてそつなくこなし、特に女性に対しては、気やすいが平等をもって接するのがモットーの従兄が特別気を許しているのが、言葉の端々からもうかがえる。
しかも、あのディオン卿とも懇意とくれば、一体どんな人物だと訝しく思うのも仕方がないかもしれない。
バクル国滞在中には王宮にも出入りし、政治面でも恋愛面でも多くの駆け引きを間近に見てきたレティシア。
その場では表情にも言葉にも出さなかったが「エイミはウォーラム辺境伯の意を受けて、公爵夫人に取り入り、王子と公爵家子息を手玉に取って何かよからぬことを企んでいるのではないか」などと警戒していたのだ。
会った初日から日を重ねるごとに、その疑念は消えてなくなるのだが。
「レティが初めて見かけた時、授業の後で怪我をした学生を治していたそうだけど。エドは一緒だったのか?」
「いや、あの日は王宮にいたから後から聞いたんだ」
エイミが治癒魔術を学園で使ったのは入学して数日後のこと。
その日は騎士団長が学園を訪れていた。特別に手合わせをしてくれるとの申し出を受けて、剣術の授業は希望者による実戦に変更された。
腕に覚えのある者も、騎士団へ入団希望の者もこぞって手を上げ実りある授業ができたのは事実だが、当然、怪我人も常になく多かった。
現職の大人、対、学生。さすがに加減をしてくれて、骨を折ったり縫合が必要なほどの切り傷を負ったりはなく、大抵は軽傷で済んだ。その中の一人に、ハロルドの後輩でエイミとも面識のある学生の姿があった。
治癒を申し出たエイミが、目の前で痕も残さず治すのを目の当たりにした他の学生達が、我も我もと詰めかける。事態に気付いたディオン卿の一睨みで学生達が蜘蛛の子を散らすまで、エイミは治癒魔術をかけ続けていた。
魔力切れ寸前の青い顔をしながら、笑って『はい、次の人どうぞ』と誰一人拒まずに治癒魔術をかけ続けるその様子を、レティシアは少し離れて見ていたのだった。
「お人好しすぎて心配だって、最近の手紙では書いていたな」
「うん、そうだね」
動物と治癒魔術に関することになると、彼女は自分の身を顧みないことがある。エイミと交流を持って間もなくから、エドワードはそのことに気が付いていた。
「無茶はしてほしくないのだけれど」
「でも止めないんだろう?」
ジャハルの指摘に苦笑いをする。普段から自己主張の強くないエイミだがこのことに関しては頑なで、むしろ自分の能力を最大限使わないといけない、と思っている節があるようにエドワードは感じていた。
治癒魔術を行使できる人間は限られているから、国としても歓迎はする。だが、身を損なってまでやってほしいわけではないのだ。自分が好きな女の子だったら、なおさら。
それでも強く禁止できないのは、治療をしている時のエイミがとても生き生きとしているから。
それに以前、治癒魔術は負担じゃないかと遠回しに尋ねた時に、エイミが話したことも理由の一つだ。
『治癒魔術を使ってそれで治せるとね、すごく嬉しくなるんだ。ありがとう、って言われるのも勿論だけれど、それだけじゃなくて、うーんとね、安心するっていうか。ちゃんとここにいるんだなあって、ほっとするの』
王城の馬場で、寄ってくる馬達を代わる代わる撫でながらエイミは独り言のように呟いた。
扱いに困る立場の自分とは違って、ノースランド伯爵家でエイミは分かりやすく大事に愛されて育ったはず。今では講師とも上司ともいえる父伯爵や、時々会う伯爵夫人の態度からもそれは疑いがない。それなのに。
まるでエイミが自分の存在を不安に感じているような物言いに、エドワードは困惑した。言った当人は意味に気付いていないのか、すぐに違う話題に移ってあっけらかんとしている。しかしその言葉はエドワードの心に残るのに十分だった。
初めて顔を合わせてから四年。かなり打ち解けてくれていると自負しているが、どうしても踏み込めない一線はまだ引かれたまま。
エイミの拘る「動物」と「治癒魔術」
きっと、鍵はそこにある。
そう思うからこそ、エドワードはエイミが術を行使するのを強制的に止められない。もちろん、万が一の事態がないように思いつく手は打っているし、もう一人の祖父のような立場のディオン卿という高魔力者の存在もあっての上でだが。
「心配なら、さっさと正式に婚約してしまえばいいのに」
「できるならね」
「ふうん? まあ、でも、人物としては悪くない。レティも気に入っているし」
「ジャハルの判断基準は彼女なんだ?」
「もちろん自分でも見ているが、信用しているからね。あ、あれはなんだ、エド」
バクル国民の愛情表現はオープンだ。さらりと特大の惚気を貰ったエドワードがジャハルの示す方向を見ると、観測用の塔があった。
しかし、指先は建物ではなく空を指している。
「あれは天空観察に使う……、ああ、私宛だね」
塔のはるか上空から舞い降りる白フクロウを認め、エドワードはポケットから簡易版の皮ベルトを取り出した。さっとそれを巻き付けた腕に、静かな羽音でフクロウは止まる。
エドワードは伝令鳥を軽く労うと、足に括り付けられた丸筒から紙を取り出した。
「この子は覚えている、ルードルだよな。久しぶりだな!」
「公からは引退して、今は『ふくた』だよ。お疲れ様、ふくた」
「ふ、フクタ?」
「そう。エイミにつけてもらった」
「へ、へえ……僕はこの国の名づけには詳しくないけれど、ヘンな――って、うわ、ごめんって、うん、ふくた、斬新でいい名前だなっ!」
ぶわりと大きく羽根を広げ嘴をカチカチ鳴らして、分かりやすく威嚇してみせるルードル、もとい、ふくたにジャハルは大げさに謝罪をする。
聞きなれない新名を告げられた時に、自分も一瞬言葉に詰まったことは胸の奥にしまって小さく笑うと、ふくたの機嫌を取るべくふわふわの眉間を指先で撫でるエドワードだった。
お読みいただきありがとうございます!
各話の下部に「誤字報告」の機能が新しく追加されたようです。誤字、変換ミスなどお気付きの点がございましたらお知らせいただけると嬉しいです。