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26 外つ国の猫と王子と友人 *後書き小話「くしゃみ」

「それで、聞きたいのはバクル国のことですの?」


 レティシアの問いかけにエイミは大きく頷いた。


「おじい様のところにも外国の方は多いのだけど、バクルの方は滅多にいないの」

「ウォーラム領ならそうでしょうね」


 内陸南部の友好国バクルは海を持たないため、陸路での交易となる。それゆえ、海上の要と言えるウォーラム辺境領とはあまり縁がない。

 地理や近隣諸国については学園で学び始めたばかりで、家にいるときに読んだ本以上の知識はまだないエイミだが、バクル国についてはどうしても気になることが二つほどあった。


「それに、本よりも実際に住んでいたレティのお話に勝るものはないから」


 エルフィンストン侯爵は、前世でいう外交官を兼ねた外相といったところ。

 資源大国のバクル国は古くからの重要な交易相手である。さらにこの度、王太子妃をバクル国から迎えるにあたり彼の国へと家族帯同で出向し、様々な方面の調整などを担っていた。

 その任を終えて帰国したのがこの冬。年が明けエドワードの長兄である王太子の婚儀が済み、後事も落ち着いた頃合いでレティシアが学園へと通いだしたのが、エイミの入学とほぼ同じ時期になったのだった。


「砂漠に囲まれた国というのは、絵を見ても想像しがたいです。ノールズの牧草地のように砂が広がっているのかしら」


 エイミは前世の記憶からアラブ諸国のようなところと考えていたが、隣のロザリンドが思い浮かべているのは、自領の広大な牧場がベースである。映像の伝達手段が限られる今世、なかなか世界の様子は分かりにくい。


「ノールズ領の牧草地もかなりの規模でしょうけれど、それよりずっと広いわね。わたくしも初めて訪れた時は驚きましたもの。日差しも風も、全くルドゥシア国とは違いますし」


 ちなみに、愛称で呼ぶよう言われた時に敬語も不要、と宣言されている。

 年齢も家格もレティシアが上だが、そう言われてしまっては従わないほうが不敬だし、このタイプの人は一度言いだしたら譲歩はないということをエイミはエドワードとアレクサンダーで経験済みだった。ロザリンドは丁寧語が素の話し方なので、あまり変化はない。


「そうなると着るものも変わりますね」

「ええ、頭からすっぽりベールを被って」


 異国風の衣装に身を包むレティシアを思い浮かべるエイミとロザリンド。美人は何を着ても似合うだろう。

 そんな服装も気になるが、それよりもまずは確認したいことがある。エイミは身を乗り出した。


「あの、国中で猫が好きだって、本当?」

「エイミ、貴女って人は……そうよ。国王様もお好きで、王宮でも何匹も飼っていましたわ」


 肩を小さくすくめて、少し呆れたようにエイミを見るレティシア。すっかりエイミの動物――特に猫好きはバレている。隠してもいないが。


「わっ、本当なんだ! レティは? レティは飼っていないの?」


 彼の国の猫好きは書物で読んだ。なんでも、建国者が猫を大事にしたとか、宗教的に縁起がいいとか、いろいろ理由はあるようだ。

 事実であると知って胸を躍らせるエイミの頭は、異国の猫たちのことで一杯。どんな暮らしをしているのだろう、種類は、毛色は、尻尾は、好まれる名付けや食べ物は……猫はどこでも猫だが、知りたいことは山ほどある。


「向こうでは飼っていましたわ。でも連れては来られなくて、帰国するときに置いてきましたの」


 紅茶を口元に運びながらぽつりと言うレティシアに、二人は言葉をなくした。


「あら……」

「そんな……」


 じわりと目尻に涙をためたエイミに、レティシアは持ったカップの水面を揺らして焦った。いつも所作もマナーも完璧な彼女にしては珍しいことである。


「ちょ、ちょっとエイミ、どうして貴女が泣くのっ?」

「だって、そんな、お別れなんて……っ」


 もし、自分がティガーと離れ離れで暮らすことになったら――その想像だけで胸がきりきりと痛み、そこに下がるペンダントを握りしめてしまった。本気で泣ける。

 浮かんだ涙はぽたぽたとクロスに落ち、ロザリンドが慌ててハンカチを目元に当ててくれた。

 そんなエイミに慌ててレティシアは説明を補足する。


「気温もなにもかも違うのよ。あまりに環境が変わるところに無理に連れてきて、病気にでもなったらどうしますの」

「それは、そう……だけれど」

「第一、知らない人に渡したわけじゃありませんわ。今だって毎週のように飼育日誌が届いていますし」


 そう言って気まずそうに視線を外すレティシア。縦ロールの輝く髪に半分隠れた耳の先が赤く染まっているのに気付いたのは、まだ涙目のエイミではなくロザリンドだった。


「レティ、もしかしてジャハル王子にお預けに?」

「そ、そうよ。よく分かったわね」

「あ、レティの婚約者の」

「エイミっ、訂正よ! 婚約なんて、向こうが勝手に言っているだけですの!」


 幾つかの小国が集まって国を成すバクル国には複数の王家があり、ジャハル王子はその中の一国の第二王子。王太子妃としてこの国に嫁いできたサミーン王女の従弟でもある。

 無理に自国ルドゥシアに当てはめれば、サミーン王女の実家が本家筋の王家で、ジャハル王子は分家の公爵家といったところだろうか。

 特に王家では異国からの配偶者が珍しくないルドゥシア国。此度の王太子の婚姻は政略結婚とはいえ、話が出た幼少時から交流を続けてきたいわゆる「幼馴染」の仲。吟遊詩人も明るく祝福のみを歌い上げる、非常に穏やかな婚姻であった。


 一方、国元に赴いた外相の娘を一目で見初めたのがジャハル王子。情熱的かつアグレッシブに行動して、侯爵から婚姻の許可を半ば無理矢理取り付けた。

 帰国せずそのまま結婚まで、と迫る先方に、王子がレティシアより歳下なことを理由に「娘にも一度くらい故国で学園生活を送る機会を」と訴えて戻ってきたという次第なのであった。


 ジャハルの父王はルドゥシアにも来訪歴があり、非常にオリエンタルな美形であることは有名だ。ジャハルはその父に、兄王子はこれまた美姫で知られる母によく似ているという。

 そんな推定イケメン王子と自国が誇る令嬢の婚約は民衆にも特段の話題となっており、『強引王子と麗しの姫君の恋物語』として城下では小説まで出回る始末。

 誤解と陰謀を乗り越えて、砂の都で愛を誓った恋人同士は現在、遠い異国の空の下でお互いを想い涙で枕を濡らす日々――果たして二人の再会は? 待て次巻! ということになっている。あくまで「本」では。


 先のレティシアの言いようだと、親の許可はあるが本人はまだ頷いていないらしい。とはいえ一般的に貴族の子女に結婚相手の選択権はないに等しく、親の決定が全てになる。そういう意味では「決まって」いるのだろう。


「えっと、人質、いや猫質……?」

「違いますわ、私がお願いして預けたのです。もともと彼からの猫でしたし」

「あら」

「まあ」

「な、なによ。私は動物を飼ったこともないのに突然贈られて、最初はとても大変だったのですわ」


 一方的に向こうが好意を寄せているのかと思っていたが、何かを思い出したように頬を染めるレティシアも、どうやら満更ではなさそうだ。婚約者から贈られた猫を戸惑いながらも可愛がるレティシア……想像だけで実に絵になる。

 自由恋愛だろうが政略だろうが、せめて友人達は本人が納得して笑顔で結婚してほしい。自分も今世の貴族として育ってはいるが、やっぱりそんな風にエイミは思ってしまう。


「……猫が繋ぐ恋、なのですね」

「ロザリンド、なにそれ素敵。どうしよう、黒猫(王子)白猫レティ?」


 エイミの頭の中の主人公は猫同士である。人間のキャストがいないところがエイミらしい。


「ちょっと、貴女達までっ!」


 真っ赤な顔で抗議するレティシアに談話室の令嬢達からはさらに温かい視線が注がれる。隣席の三人娘も、半分口を開けたままうっとりした顔で胸元で指を合わせていた。

 小説のモデルにもなる凛とした令嬢が、友人の前だけで見せる普段向きの表情と仕草……それは非常にレアなうえ、可愛らしい。

 ますますレティシアの好感度は上がり、その表情を引き出しているエイミやロザリンドに対してはある種の嫉妬心はあるものの、こうなれば目にも入らない。


「だいたい、こういう話をなさりたいのなら、休みの日にでも家に来ればよろしいのよ。学園ではなかなか時間も取れませんもの」

「あ、じゃあ、私の家に。ティガーは少し人見知りなんだけど、とってもいい子なの」

「あら、ポーシャもよ。いたずらっ子だけれど、懐っこくて可愛いのです」

「わ、私のミミだって。毛並みが優雅で綺麗なのですわ」


 ついつられて(うちの子)自慢に乗ってしまったレティシア。エイミが食いついたのはそこではなくて、猫の名前だった。


「レティの猫はミミっていうの、可愛い! 名前は誰がつけたの?」

「え、あの、それは「僕だよ」


 突然後ろからかかった声に驚いて、エイミとロザリンドは思わず手を取り合って振り返った。

 中庭からデッキへと上がり、すぐ後ろに立つのは全身を異国風の白い装束に身を包んだ男の人。同じ白い布でできたスカーフを被り黒い輪状のもので留めている。

 ――まんま、アラブ圏の衣装だなあ、なんて思ったのは一瞬。


 やや褐色の肌、力強い意思を伺わせる黒い瞳。身長や顔の造作から年下だと分かるが、堂々とした態度に弱さや幼さなどは感じられない。

 それは、何年経っても色あせてくれない記憶の中の「オープニングスチル」メンバーの一人に違いなく――


「ジャハル王子っ、どうしてここに!?」


 ――あああっ! やっぱり!? え、やっぱりっていうか、違う!?

 混乱するエイミの前で、同じく取り乱すレティシアにジャハル王子は満足そうに微笑むと、するりと移動して流れるようにその手に口付けた。

 きゃあっとか、ひゃあっとか、周囲のそこかしこから押し殺せなかった歓声が上がる。


「ミミは我が家で大事に預かっているから。いつでも来てくれていいんだよ、レティ。もちろん今すぐでも」

「なっ、な、」


 首まで赤くしてぷるぷる震えるレティシアに、ダメ押しのようにジャハルの顔が近づいた。


「そんなに恋しがっていると知っていたら連れてきたのに。でも……妬けるな」

「~~~っ!」


 耳元で甘く囁いているはずなのに、向かいの席のエイミ達にまでしっかり聞こえるとは一体どういう声帯をしているのか。バクル王族の特別仕様か。

 そういえば、あのゲームってキャラクターボイスもついてたんだよなあ。一回くらい再生しておけばよかったかも……などと逃避のようにエイミはぼんやりと思った。


 バクル国について知りたかったもう一つ。それは王子があの「乙女ゲーム」の攻略対象者かどうか、ということ。

 記憶にある衣装や自国の交易関係からバクル国とあたりをつけ、さらに年齢などから兄弟王子のどちらかが対象者だろうとの予測は立った。異なるタイプの容姿の兄弟だというから、どちらか一方を見ることができれば判断できるだろうとも。

 写真が公にはまだないこの世界、絵姿の信憑性は高くない。レティシアから具体的な特徴なり何なり聞けたら、と思っていた。まさか本人が登場するとは、予想外にもほどがあったが。

 百聞は一見にしかず――スチルの彼はジャハル王子で正解だろう。


 しかし、目の前の攻略対象者が望んでいるのは「ヒロイン」ではなく、友人レティシア。恋愛事に疎い自覚のあるエイミでも、こんなにあからさまな好意は間違いようもない。


 ――これは、いよいよ()()のかな。でも……


 うっかり考え込んでしまった頭を現実に戻すと、すがるようにこちらを見つめるレティシアと目が合った。こんなに大勢の前でドッキリさせられて涙目のレティシアに同情を禁じ得ない。が、助ける手立てなど皆目見当がつかない。

 いつもと同じようで全く違う午後の談話室のテラスで、エイミはロザリンドと手を繋いだまま固まったのだった。








 ~今日のノースランド伯爵邸(6)~



 その日の午後、城下のノースランド伯爵家の広い庭の一角で、庭師のロブと執事のクロードは植栽の相談をしていた。


「おや、ティガー。今日もそこで留守番かい?」


 ふと見上げた樫の木の太い枝の上では、お嬢さまの猫がゆったりと昼寝を楽しんでいた。暑くもなく寒くもないこの時期。穏やかな風にさらさらと揺れる葉擦れの音は丁度いい子守歌のよう。


「気持ちよさそうに寝ていますね」

「見ていると剪定の手まで止まりそうですよ」


 笑う庭師にクロードも頷いて手元の帳面を捲りながら、静かに上下するふわふわの背中の丸みを眺めた。長い毛がそよ吹く風に揺れるのが、なんともまったり気分になる……仕事中には目の毒かもしれない。

 視線を外そうとした時、ぐっすり眠っていたはずのティガーが、目を閉じたまま頭をむずむずと動かした――と。


 っくしゃん!


 自分のくしゃみに驚いたようにビクッと起き上がりカッと目を見開くと、まんまるの瞳で周囲を窺う。その金色の視線が木の下にいた二人に止まると、納得したような、非常に迷惑そうな表情をして――胸の下で前足を組み直すとまた、目をつむった。


「……いや、儂らじゃないからな、ティガーさんや」

「っはは、参りましたね」


 ――お嬢様が学園でティガーの話をしているに違いない。

 そんなことを言いながら、二人はまた植栽の相談に戻ったのだった。


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