25 お友達が増えました(人間の)
エイミとロザリンド、楽し気な二人の猫談義は割り込んできた高い声に遮られた。
「ご覧になりまして? またあのようなものを召し上がって」
「自分を律することもできないような令嬢が、エドワード殿下のお傍にいるなんて耐えられませんわ」
「本当に。ご自分の姿を鏡で見たことがあるのかしら」
隣のテーブルからの視線は常に感じていた。そっと目を向けると、目立つドレスの令嬢が三人。全員初めて見る顔だから、最近の入学者だろう。
学園に女子生徒は多くない。ここに通う数十人の令嬢達をエイミは早々に把握済みだった。ロザリンドには覚えが早いと感心されたが、一学年約百五十人いた前世の女子高時代と比べれば、髪の色も瞳の色も違うのだから、この程度は余裕である。
蔑むように投げてよこす視線は、エイミ達のテーブルに置かれたティーセットにも向けられている。
この談話室は喫茶室も兼ねていて、茶菓子としてケーキやマカロン、フルーツなども用意されていた。ロザリンドはお茶だけだが、エイミの前にはエンガディナーに似たタルト。こんがり焼けたバターリッチな生地の中に、キャラメルと木の実がぎっしりどっしりみっちり詰まった、素朴な見た目からは想像もつかないほど高カロリーの一品だ。
あの茶会から四年が経った今も王子妃候補から外れておらず、それどころか唯一人その立場に置かれたまま――そんなエイミに思うところがある貴族家や令嬢がいるのは理解している。
王家と伯爵家では家格だってかなり差があるし、なにより。
「あの重そうな体でダンスは踊れるのかしら」
「お相手の足でも踏んだら大変ですわ」
「きっと大怪我なさるでしょうよ」
当の本人がコレだ。
そこまでドスコイ体型ではないのだが、相変わらずぽちゃっとしていて触り心地のよさそうなエイミである。スタイル維持に心血を注いでいる彼女達からしたら、そんな体型でさらに美味しそうに菓子をほおばるなど、文句の一つも言いたくなるというものだ。その気持ちはよく分かる。
そういうエイミだって、自国の王族に連なる方々は見目麗しいほうがいいと思っている一人。ほかにも候補者はいたはずなのだから、もうちょっと綺麗な人を選ぼうよ、と、その気持ちもよーく分かる。
「まあ、そうだよねえ」
「またエイミったら」
どこ吹く風といった感じで遠くを見ながら呟くエイミに、苦笑いを隠さないロザリンド。エドワードと交流するようになって以来もはや聞き慣れたといっていい陰口は、今そこの枝でチチチと鳴いている小鳥と同じくらいには思えるようになっていた。
「まっ、ご自分のことだともお分かりにならないなんて」
「そのことに気付ける繊細さがないから、殿下のお近くにいられるのですわ」
思うような反応が得られず、隣席の令嬢達は面白くなさそうに聞えよがしに喋り続ける。
太ろうと決めた時から、こういったことは当然予想済みとはいえ、最初に耳にした時は正直ショックだった。悪意のある言葉に驚いて固まってしまったし、自分では全く望んでいない王子妃候補という立場に文句を言われても、と言いようもない気持ちにもなった。
でも、しばらくすると――彼女達は「王子妃候補のエイミ」が気に食わないのであって、そこに「エイミ個人」に対する憎しみや恨みがあるわけではない、というのが分かってきた。
というのも、こうして言ってくるのは初対面の人ばかり。その時点で、嫌うほどエイミの人となりを知っているわけもない。
そして、何度か顔を合わせているうちに不思議と嫌味は減っていくのが常で、逆に友好的になりさえすることもあった。実際、入学当初に突っかかってきた者の中で、現在も絡んでくる生徒はいない。
そういった経験から、いちいち腹を立てるより流したほうが効率的だとエイミは判断している。全く傷つかないわけではないけれど。
それに、たとえ容姿端麗で人格も完璧な人物だとしても、万人に好かれるなんてありえない。表面だけちやほやしてくれる不特定多数より、少数の心を許せる相手――たとえば家族、たとえば目の前の友人、そしてティガー達、がいれば十分満足だと元来人見知りのエイミは思う。負け惜しみでなく。
とはいえ、同席のロザリンドには申し訳ない気持ちになる。エイミと一緒にいるというだけの理由で、こうしてつまらない悪口を耳にする羽目になってしまうのだから。
「いつもごめんね、ロザリンド」
「エイミが謝る必要はないわよ。友達を悪く言われるのは不愉快だけど、当の本人が気にしていないのなら、いいわ」
「……あら、こんなところにいらっしゃいましたの」
額を寄せる距離で小さく言葉を交わしていると、急に別の声が二人の頭の上から降ってきた。先月の入学以来聞き慣れた、凛として気位の高そうなその声は、テラス席にいるエイミ達の背後に現れた令嬢から。
「え、ちょっと、」
「うそっ、エルフィンストン侯爵家の……っ」
先ほどまでチクチクと嫌味を言っていた三人娘がきゃあっと黄色い声を上げ、周囲にも騒めきが走る。エイミが振り返るより早く、ロザリンドがその名を呼んだ。
「まあ、レティシア様」
「中庭を歩いていたら偶然、貴女達が見えましたの。陽が高いのにこのような端近にいるなんて、レディの自覚が足りないのではなくて? その肌で日焼けなんてしたら目も当てられないわ」
――わお、今日も見事な令嬢っぷり! 口元をレースの扇で隠して流し目が決まってる、さすがですっ!
エイミの心中が穏やかでないのも仕方がない。絵姿から抜け出たような令嬢は、宝石のような青い瞳の花のかんばせ、輝く金髪は縦ロール。そう、縦ロール、しかも天然である。
装飾は控えめながら、一目で高価だと分かる縦長シルエットのドレスと流行最先端のヒールですらりとした立ち姿も凛として美しい。その姿はまるで、某歌劇団の男役トップを彷彿とさせた。
ぱちりと閉じた扇を持つ指先にまでにじみ出る余裕と優雅さは、令嬢の背後に豪華絢爛な王宮の大広間と大輪の薔薇が見えるほど。きらきらと光るエフェクトを感じるのも、ここが木漏れ日のテラス席だからというだけではないはず。
美貌の令嬢の登場に、周囲のテーブルからはため息にも似た感嘆の声が静かに上がる。隣テーブルの三人娘も、エイミに向けた態度とは正反対に、上気した顔で憧れを瞳に浮かべてその令嬢を見つめていた。
「お二人でティータイムね……楽しそうで何よりですこと」
エイミ達と菓子の皿に目を落としながら冷たく言い放つレティシアに、背後の三人娘は我が意を得たりとほくそ笑んだ――のだが。
「ほら、エイミ。ここの席にして正解だったでしょう?」
「本当ね、ロザリンド! 貴女の言う通り、レティシア様に見つけてもらえたわ」
はしゃぎながら給仕が来るより早く立ち上がると、ロザリンドは椅子を引き、エイミはどうぞ、とにっこり手で示す。
――ちょっと息が弾んでいるのはきっと、また私が何か言われていると思って急いで来てくれたんだろうな。そう言っても認めないだろうけれど。
そんなエイミの考えが伝わったのか、細いアームの白いチェアと二人の顔を見比べて、レティシアは扇を落ち着かなく動かした。
「な、なんのことよ」
「午前の授業をお休みされたから、私達、マダム・トーリーのクラスも覗いたのですよ。ね、エイミ」
「ええ。そこにもレティシア様はいらっしゃらなくて。でもきっと、サー・ディオンの魔術実技は出席されると思ったんです。それで、ここなら目につきやすいから会えるだろうってロザリンドが」
「な、何も私は貴女達に会いたくて中庭を通ったわけじゃっ……そ、そう、マダム・トーリーのところまで……私を探しに……」
後半部分を口の中でもごもごと呟いてうろたえるレティシアに、談話室中から温かい視線が集まった。うんうんと頷いている者までいる。
「そうなのです? 寂しいわ……会いたかったのは私達だけみたい、ロザリンド」
「エイミ、そんなにがっかりしないで。レティシア様はきっと一緒にお茶をしてくださるから。バクル国のお話も途中でしたもの。ね、そうですわよね、レティシア様?」
「し、仕方ないわね、私も暇ではないのですけれど……結構よ。エルフィンストン家の人間は狭量ではありませんから」
こほんと小さく咳払いをして、再度勧められた椅子にうつむき加減で腰掛けるレティシア。その揺れる金髪の隙間からは、朱に染まった頬と嬉しそうに上がる口角が見え隠れしていた。
あっけにとられる三人娘の前で、落ち着きを取り戻したレティシアは給仕にオーダーを告げる。
「私もタルトをいただくわ」
「わ、レティシア様とお揃い!」
「ふふ、仲良しのお二人ですね」
「ちがっ、コットの実は魔力の回復によく効くから、それだけよ! そんなことよりエイミ、貴女はもっと食べたほうがいいのではなくて?」
一瞬きょとん、としたエイミは大きく笑みを零す。
「レティシア様は、優しいですね」
以前、少々魔力を使い過ぎて疲れ切った様子だったことを気にしているようだ。
てらいもない笑顔をまっすぐに向けられたレティシアは、目の縁をほんのり赤くしてぐっと喉を詰まらせた。
「っ、誰も貴女の心配など! 実技の授業中に倒れでもしたら迷惑なだけです!」
「はい。ありがとうございます」
可愛らしいものを眺める瞳で二人のやり取りを見ていたロザリンドが、一歳年長のレティシアに向かってまるで妹に言い聞かせるように話しかける。
「レティシア様、大丈夫ですよ。エイミのこれは二個目ですから」
「……それならいいけれど。それに、その呼び方はやめてと言ったでしょう。この前のことなのに、もう忘れたの?」
その言葉にエイミとロザリンドは顔を見合わせて、嬉しそうに微笑む。
「「ええ、レティ」」
二人に愛称で呼ばれ満足気に微笑んでしまった自分に気が付くや、慌てて表情を取り繕うレティシアの肩越しに、三人娘のぽっかり開いた口が見える。
令嬢達から絶大な人気を誇るレティシア・エルフィンストン侯爵令嬢……「後に友好的になった」代表格であり、エイミのもう一人の大事な学友であった。