【小話】辺境領にて
活動報告に載せたSSの微修正再録です。
~ありし日の辺境領~
その年の留学生受け入れの日。ウォーラム辺境伯の屋敷前は例年通り多くの学生でごった返していた。
「やっと着いたなあ。俺、港湾事務の実習だから向こうだな。ジョシュアは?」
「魔道具の工房に入って、他には輸入素材の管理も手伝うことになっている」
「へえ、面白そう。僕は通訳の見習いだから仕事で一緒になるかもね。あ、領主様がお見えだ」
噂通りだ、と隣の友人達が言うように、辺境伯ルドルフ・ウォーラムは迫力のある風貌をしていた。
白銀の短髪、陽に焼けた肌、あちこちに古傷も覗いている鋼のような肉体。その強面も相まって、貴族というより海賊の統領といったほうが通りがよさそうだ。
笑っているのに気を抜いたところのないその雰囲気は、一瞬でも隙を見せたらバッサリと斬り付けられそうでもある。
「そういえば、ウォーラム伯には一人娘がいるって聞いたけど」
「ああ、イサベル嬢。十五歳になるのに婚約者も決まっていないとか」
「そりゃ大変だ。まあ、あの辺境伯に似ているのなら、相手を探すのは難しいかもな」
まだ見ぬ辺境伯令嬢に対し、なかなかに失礼な想像を巡らす学生達。それに対しジョシュアは先に行く、と鞄を手にした。
「あ、ジョシュア、先輩からいい店教えてもらったんだ。可愛い子が多いんだってよ、そのうち行こうな」
「興味ない」
「この堅物ー、相変わらず魔道具が恋人かよ――って、おい、あれ誰だ?」
学生達の視線は、大柄な辺境伯の背後に立っていた一人の華奢な女性に。
海と同じ紺碧色のドレス、艶やかに波打つ砂浜色のアッシュブロンド。何よりも、まるで山猫のようにきらめく金色の瞳が印象的な令嬢が、ふとジョシュア達のほうを向いた。
「うっわ。すげー美人……」
「あれじゃない、外国からの賓客とか。え、こっち来る?」
令嬢は、数多いる学生達などに目もくれずまっすぐに駆けて――ジョシュアの首に両手を回して、勢いよく抱き着いた。
周囲の学生から声のない悲鳴が上がる中、ジョシュアの手から持ったばかりの鞄がドサリと落ちる音が響く。
「いると思ったの、仁さん!」
「……由美子」
友人達の談によると、駆け寄るイサベル嬢の背には大輪の薔薇が、抱き合う二人の周りには祝福の紙吹雪が、父親の辺境伯の背後には荒ぶる海神が見えたという。
これが、ウォーラム辺境領の婿がねが決まった瞬間だった。
「……自分の両親の恋バナって微妙だ」
「うん。話としてはロマンチックなんだけどね」
「もう、ハルもエイミも。聞きたいって言うから話したのにっ」
染まった頬を手のひらで押さえながら、うっとりと思い出話をするイサベルの向かいで、背中が痒いのを我慢するような表情の息子と娘。
「えっと、それで、お母さんとお父さんは結婚したのね」
「おじいちゃんと一悶着あったけどね。ふふ、そっちも聞きたい?」
「あー、俺はいいわ。惚気にしかならない気がする」
「あ、私、ティガーと散歩に行ってくるねっ」
いそいそと居間を後にする子ども達を見送ると、イサベルは窓辺に近寄った。見おろすのは二十年前のあの日、二人が再会した屋敷の前庭。
「……お父さん、早く来ないかしら」
ジョシュア・ノースランドが王都から妻の実家に到着したのは、その日の夜遅くだった。
* * *
~ありし日の辺境領(2)~
「あなた、お疲れ様」
日付が変わる少し前、ウォーラム領主の館に到着したジョシュア・ノースランドは、馬車を降りるとすぐに妻の出迎えを受けた。
仕事の関係で家族に遅れることしばし、ようやくこの地にノースランド一家が揃った。とはいえ、ジョシュア自身は妻子を置いて、また来週には王都に戻らねばならないのだが。
まるで単身赴任のようだ、と毎年思うが苦にはならない。
「エイミは……この時間じゃ寝ているな」
「体は十歳ですものね。愛娘の寝顔を見る?」
まだ起きていた義父の歓迎に挨拶を返したあと、廊下を進みつつ交わす久しぶりの夫婦の会話は、やはり子どもの――主にエイミのことだ。
息子は……まあ、相変わらずだろう。先日、クラーケン討伐に喜び勇んで参加した話は既に届いている。
「……エドワード殿下と会った」
「あら。いい子でしたでしょう?」
「そういう問題ではない」
「いつの世も、権力者は面倒が多いわよねえ。望んで生まれた立場でもないのに、不自由だこと」
「やけに肩を持つな」
「エイミのお友達ですもの」
ふふ、と笑うイサベルに含みはなく、心からそう思っているようだ。
「向こうはお友達で終わるつもりはないようだが」
「まあっ、宣言されたの? やだ、その場面見たかった! それで、何て返事したの?」
ここで再現しろと目を輝かせる妻にそれは勘弁してもらって、ジョシュアは少し言いよどむ。
「あー、十八歳までは嫁に出すつもりはない、と」
「仁さん……大人げないわ」
仕方ないわねと苦笑いするイサベルは夫の気持ちも痛いほど分かる。違う世界に生まれ変わろうと、別の人間になろうと、捨てられない思いもあるのだ。
眠る娘の部屋の扉をそっと開けると、窓からの月明かりと魔法灯の細い光で室内はほんのりと明るい。エイミは昔から薄明りで眠るのを好む子だった。
そのベッドの上に、丸く盛り上がる山がひとつ……ではない。
横を向いて眠るエイミの投げ出された腕、そこに抱き付くように伸びる黒と金茶色のふわふわの前足。本当はぴったりとくっつきたくとも、さすがにこの季節ではお互い暑いのだろう。
ぴく、とエイミが動き、絡んだ腕が外れそうになると、目をつむったままでポジションを確保するティガー。それに眠りながら満足そうに微笑むエイミ。
「……カメラ……」
「でしょうっ!!」
思わず声が出て、起こしてしまう前に慌てて退散する父母。パサリ、と聞こえる尻尾の音に、やはりカメラの開発を急がねば、と決意を新たにする魔術院技術局長だった。
(さらに後日談)
「おう、婿殿。荷物が届いているぞ」
「お義父さん、ありがとうございます……王宮から?」
差し出し人はエドワード王子。
いぶかしく思いながら開封する。窓からの光を受けて、キラリと輝きながら出てきたのは――
「……シーサーペントの目」
「あらっ、すごいわ!」
他国の使者から個人的に譲られたものだが、使い道なく何年も仕舞いっぱなしで持ちあぐねていた。最近、これを探しているとエイミから聞いたので、もしよければと同封の手紙には書いてあった。
保管されたまま朽ちていくよりも、有効活用されたほうが物としても嬉しいだろうから、と。
「恩に着せるわけでもなく、媚を売るでもなく……できた子ねえ」
「くっ、こんなものでは絆されん。俺は絆されんぞっ」
そう言いつつ、届いたばかりの荷物を大事そうに抱えて、自室へと籠るジョシュアだった。