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18 ヒロインだとしても

 

 ピンクブロンド――それは、エイミが読んだ悪役令嬢系の小説で「ヒロイン」に多かった髪の色。これで瞳が綺麗な青とか翠だったらバッチリだ。

 ヒロインはもともと庶民で、魔法素養の高さを買われて貴族の養子に、とか、実は行方不明になっていた娘や孫でした! とかいうパターンも多いから、町娘の服装であの場にいたこととも合致する。

 いや、でも、とエイミは首を横に振る。

 学生達が今日来ることは、町の全員が知っている。住民たちが見学に来ることも恒例だ。そもそも、通りかかっただけかもしれない。

 母は「ゲームとか、そんなことは関係ない」と事あるごとに口にするが、エイミはまだそこまで割り切れずにいた。だって何といっても、兄もエドワードもアレクサンダーも、記憶の中のあのイラストにそっくりなのだから。


 エイミはドレッサーに腰掛け、鏡に映った自分の姿をまじまじと見つめる。

 指先でつまんだのは艶のある真っ直ぐな黒髪。太った最近は少し雰囲気が変わったが、もともとは冷たい感じのするキツめのはっきりした顔だち、金色の瞳。


「どう見ても、私が『悪役令嬢』なんだよね……」


 魔法素養が生まれつき高いのも、貴族で王子の婚約者候補なのもよくある特徴で当てはまる。ちなみに、正式に婚約者が決定していないため、現在のエイミの立場はまだ婚約者候補のままだった。

 王子とは基本的に動物関連の話題がメインで、友達としていい関係を築けていると思う。既に公務もあり行動も制限されているので、直接会うより手紙のやり取りのほうが多いのが現状だ。

 アレクサンダーとのコンタクトもそこまで多くないが、公爵家にティガーを連れて遊びに行ったときに会うことがある。相変わらず菓子を勧められては私設猫カフェな時間を過ごしている。

 最初の頃の上から目線は、いつの間にか兄がもう一人増えたような感じに変わった。楽し気に話もするし、反感や嫌悪感を持たれてはいないはずだ。

 実兄のハロルドに関しては言うに及ばず。攻略対象者と思しき人達との接点は切れていないが、関係は悪くない。


「現実だけ」を客観的に見るならば、不安になる要素は見当たらないはずだ。それでも心配する気持ちがぬぐえないのは、エイミの問題だろう。

 本当は、あのまま浜辺まで降りて散歩をするつもりだった。それが、あのピンクブロンドの後姿が目に焼き付いて離れず、踵を返して屋敷の中に戻ってきてしまった。

 もうずっとドレッサーの前に座ったまま。窓からの夕日の影が伸びるエイミの膝に、ティガーの前足がノシ、と乗る。


「ティガー、ごめんね。海に行きたかったよね」


 そのままティガーの首に両手を回して抱き込むと、すりすり、とその頭でエイミの頬を擦られる。

 ふわふわの毛とぴょこんと立った耳、ぴんぴんしたヒゲに、ティガーの体温。膝に乗る重み。


「……ふえぇ……ティガー、どうしよう」


 ぽろりと涙がこぼれる。どうしようもなく、怖い。

 いくらでも思い出せてしまう一家離散・没落パターンもだけど、なによりも「ゲームの強制力」によって態度が急変していく周囲の人達を想像するともう、堪らない。

 友達だと思っていた人も、もしかしたら家族も、手のひらを返したように――自分の意思でなく変わってしまうのならば、こうしている今この時もすべて無駄なんじゃないだろうか。

 涙を止められなくて、ひっくひっくとしゃくりあげていたら、急に頬にざり、と大きな湿っぽいものが擦りつけられた。


「へ?」


 ざりん。


「ティガー……」


 驚いて瞬きをする。ティガーがエイミの涙を舐めていた。ご丁寧に、反対側も。

 ざり。

 紙やすりのような役目を果たす猫の舌は、舐められると痛い。それでも、舐めてくれるのは猫からの愛情表現だ。親猫が子猫の毛づくろいをする時や、甘える時、心配して慰めてくれる時――。

 ざりん。

 頬や目のまわりの皮膚は薄いから、やっぱりちょっと痛い。けれどもティガーのその金色の瞳に映るエイミは目の周りを赤くしたまま笑っていた。


「……ティガー、ありがとう。大好き」


 ()()は、まごうことなき現実(リアル)な感覚だ。

 未来は分からないが、今は確かにここにあって、エイミはティガーと一緒にここにいる。


 エイミは気が付いた。怖いのは自信がないから。


 ピンクブロンドの髪色ひとつで、こんなにも動揺してしまう自分の弱さが嫌だと思った。何一つ、確定しているわけでもないのに。

 今まで何を見て、なにを聞いてきたのだろう。ゲームの世界「かもしれない」ことに怯えてばかりで、そうではないと言う母の言葉も、家族の本当の気持ちも、エドワードやアレクサンダーの存在も、みんな中途半端にしか受け入れていなかったのではないか。

 そんな状態で未来がどうの、と言うこと自体がおかしいだろう。


「うん……ティガー。私、頑張る」


 強くなりたい。もっと、この世界をちゃんと受け止めることができるように。

 それにはまずは自分がしっかりしなくては。

 乙女ゲームであろうがなかろうが、自分が感じる全ては「自分にとっての現実」でしかありえないのだから。

『エイミ。あなたはどうしたい?』

 あの時の母の言葉が今更のように蘇る。

 ――猫を飼いたい。犬も、鳥も、動物を飼いたい。だってそれは、前の人生でどうしても叶えられなかった夢だから。

 じゃあ、今の人生では? 前の人生の心残りを消化するだけでいいの?

 ()()()()は何をしたい?


「私……」


 私って何だろう。何のためにここにいて、生きているんだろう。どうして前世の記憶なんて持っているんだろう。

 そんな疑問がちらりと頭をかすめる。でも、きっと母なら笑ってこう言うだろう。

『何をそんなに気にしているの? 幸せになりたいって思うことに、理由はいらないでしょう』

 涙が止まった頬にすり寄って来るティガーをぎゅっと抱きしめる。

 ふわふわで、あったかくて、柔らかい。甘える声も人見知りの尻尾も、なにもかもが愛おしい存在。


 ぐるぐると考えるけれど、戻ってくるところはやっぱり同じ。前世とか、悪役令嬢とかバッドエンドとか。


 ――そんなことより、猫が飼いたいわ。





 そう心が決まると切り替えは早かった。もし事情を知ったハンナがここにいたら、さすがイサベルの娘だけあると思っただろう。

「動物を飼いたい」――もうこれはどう考えても譲れないエイミの中の重要事項。

 確かに王子妃を辞退するために体形も変えた。けれど、結局王子との関係は断てないまま。エドワード本人は友達付き合いをする相手の体形がどうであれ、気にしていないようだ。

 この点に関しては正直、期待外れだが、もし万が一このまま婚約者に、という話になればきっと文官達やほかの貴族達からは反対の声が上がるだろう。

 でも、それがなくとも元のように痩せようとは思わない。だって、


「……太っている今のほうが、魔力が本当に安定するのよね」


 ドレッサーの前に座ってティガーを抱きしめたまま、モフッと毛が厚く生えている首に回したのと反対の腕を前に伸ばした。上に向けた手のひらに魔力を込めると、細かい霧のような小さな粒が集まり始め軽く光る。それは次の瞬間、ふわりと渦と円を描き、お日さま色のボール状になった。

 きらきらした瞳でそれを見つめるティガーの前にそっと差し出すと、エイミはにっこり微笑む。


「今日は私のせいで海に行きそびれちゃったから、これで遊ぼう!」


 軽やかな掛け声とともに部屋の隅に向けてエイミが放ると、それを追ってティガーが俊敏に駆ける。ぽん、と絨毯の上に落ちた光色の玉はととと、とまるでネズミのような動きで床を走り回った。

 時にベッドの下、カーテンの陰、チェストの裏側、と、緩急をつけてエイミの指先の指示であちこちへ動く。残る残像が尻尾のようで、本当に何かの生き物のようだ。


 光球の作り方を教えてくれたのはエイミの魔法講師「おじいちゃん先生」――ディオン卿だが、初めてこうして使っているのを見た時には言葉を失くしていた。まさか光球を猫の遊び道具にするとは、とそのあと呵呵大笑していたが。こんなところが気に入られているらしい。

 光球を作るだけなら十歳という年齢の成長途中のエイミでも何とかなる。でもそれを持続して、更に自在に操るほどの魔力を保つには「しっかりとした肉体」が必要だった。


 それに、こうして遊ぶだけでなく、治癒魔術にも清浄魔術にも、かなりの魔力を消費する。

 実際、エイミ自身は今のところ平気だが、同じアレルギー体質だった父はティガーをブラッシングしているところに同席すると鼻がむずむずすると言い出すし――これは実際にアレルギー反応を起こしているのではなくて、残った記憶がそうさせているのだとエイミやイサベルは考えている――そうでなくとも、医者の人数がそう多くないこの世界で、ちょっとした不調などが自分で治せると非常に助かるのだ。

 使用人達の風邪とか、兄の怪我とか。それに、ルードルの時のように動物に対しても有効な治癒魔術は、できるならずっと使える状態にしておきたい。

 特にエイミの治癒魔術は効果が高いと、使用人たちの間でも評判だった。


「大人になって体が出来上がればまた、違うかもしれないけれど……ティガー、そーれっ」


 とうとう光球を捕まえたティガーの前足の下で、お日さま色の光がしゅう、と消える。

 満足と残念を合わせたような視線をエイミに送るティガーのもとに駆け寄ると、エイミはぎゅっと抱きついた。


「ああ、捕まっちゃった! ティガー、上手!」

「……何をしているかと思えば。本当に仲良しねえ」


 何やら響くガタンゴトンという音を不審に思ったイサベルは部屋を覗くと、すこし呆れつつも微笑ましい光景に目を細める。

 たいして大きさの変わらない娘と猫が抱き合って、撫でているのか甘えているのか……きゃっきゃと楽しそうにコロンコロンと床を左右に転がっていたのだった。



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