14 エドとアレク *後書き小話「マッタの実騒動」
――時は少し遡る。
王宮の奥の庭で「婚約者候補」達との茶会が行われた翌週。
久しぶりにカヴァデール公爵家を訪れた第三王子エドワードは、週末で寮から自宅に戻っているアレクサンダーの部屋にいた。
人払いをした部屋は王子と子息のほかは、よく知った執事の爺が扉前に静かに控えているだけ。いつものように向かい合って掛けたソファーの向こう側から、エドワードは少し言いにくそうに、だが幼馴染の青い瞳から目を逸らさずに事の次第を告げた。
「それで、馬場に招待することにしたんだ」
「あー、やっぱりそうなったか」
持っていたカップをテーブルに戻すと、アレクサンダーは両手を頭の後ろで組んでソファーにど、と背中を預ける。
「アレク」
「勘違いするなよ」
別に惚れたわけじゃないし、とアレクサンダーは笑う。その言葉は嘘ではないだろうが本心でもないだろうと、エドワードは長年の付き合いで感じた。
とはいえ、アレクの真意がどこにあっても、エドワード自身の気持ちは変えようがないのだけれど。
「でも、アレクのほうが先に会っていたんだよね」
「別に早い者勝ちじゃないだろう……正直言うと、興味は持ったよ。見た目はもう少し細い方が好みだけど」
「外見は関係ないよ」
「そうか? まあ、お前はそうかもな」
なかなかいないタイプだよな、とアレクサンダーはあっけらかんと言う。
「エドと合いそうだと思ったんだ」
「……うん。あんな短い時間じゃなくて、もっとちゃんと話したいんだ」
「いいんじゃないか? でもさ、彼女と何回か会って思ったけど、婚約とか全く乗り気じゃないよな」
それはエドワードも感じていた。婚約者候補としてあの会場にいたのに、婚約の話に僅かでも触れそうになるたびに、す、と見えない仕切りが置かれるのを感じたのだ。結果、猫や馬の話で盛り上がったから良かったとも言えるのだが。
彼女は王子妃の立場に魅力を感じてはおらず、むしろ避けるべきと思っている節がある。これは、彼女達のテーブルについた侍女と騎士からの聞き取りでも裏付けられた。
……茶会の数日後。第三王子の私室に初めて入った侍女と騎士は、幾分緊張していた様子だった。しかし侍女頭のハンナとは見知った仲だったこともあり、会合はスムーズに行われた。
「全部は聞こえませんでしたが、お母さまの伯爵夫人と、婚約とは関係のない話をずっとしていらして……ええ、お菓子や噴水の話ですね。王子妃になったら、とか、ほかのお嬢様方の噂話などは一切なさいませんでした。逆に何度か、早く帰りたい、と。あ、あの、家に置いてきた猫が気になると仰っていました。
殿下がお出ましの際、そちらを気にされたので興味がおありかと思ったのですが、ご覧になっていたのは小鳥で」
膝が折れそうになりました、と証言するのは侍女のアリッサだ。でも、と続ける。
「私にお茶のお礼を言われました、おいしいって。ありがとうって」
お茶を淹れるなど、侍女にとってはただの業務。王宮に勤めて五年も経っているアリッサは、それこそ何千回とこなしている。
美味しく淹れて当然、形だけで実際には飲まない人も多い。言葉を返されたことも数えるほどしかなく、しかも年下の令嬢からなど皆無だ。
「ご不満をお受けしたことはありましたが、ゲストの方から面と向かってお礼を言われたのは初めてです。嬉しいものなのですね」
「そう……ダリオスはどうでした、王宮に到着されてから貴方がご案内したのでしょう?」
ハンナの質問をダリオスは肯定する。
「馬車寄せで降りられてから先導いたしました。どうやらこの騎士の服装が珍しいようで、じっとご覧になっていらっしゃいましたね」
エイミの父は魔術院勤務だし、身内に騎士はいない。辺境伯の祖父のところは小軍を擁しているが、装備や服装などが違っていて目新しいのだろう、と娘の不躾な視線を詫びる伯爵夫人から弁明されたとのことだ。
「私のような者は、お嬢様方には泣かれるのではと心配しましたが、そういうこともなかったです。ごく普通にされていました」
ダリオスは既婚者で子どももいるが、息子の友人たちなどからは外見で怖がられている。
実際、背も高く頑強な体つきで少々強面のダリオスは、近衛騎士の姿をしていなかったら傭兵といったほうが通るような容貌だ。性格は温和なのだが。
「そして、奥の庭に着いた時には、私も案内の礼を頂戴しました」
今回のお茶会では王子妃――将来的には公爵妃だが――候補たちの反応を見たい、という文官たちの意図が反映されて、案内役の護衛騎士は外見などに少々クセのある者が揃えられていた。
第三子とはいえ王家の血筋に繋がり、結婚後は外交的な公務にも携わる。婚約後に習得すべき学習内容に大きく影響する様々な項目について、それなりのリサーチも取られていたのだった。
「その後に『着いちゃった』と呟いていらっしゃいましたね」
「『着いちゃった』……」
「……」
実に乗り気でないことが窺える。それを聞いたエドワードは、侍女や騎士と顔を見合わせて苦笑いをこぼした。
ノースランド伯爵も、本人も、王子妃など望んでいない。
伝手を辿って探ったところ、エイミが太りだしたのは婚約者候補の内示が出たすぐ後からだというのだ……それを知って、イサベルが考えそうなことだと、昔の教え子にハンナは頭を抱えたのだった。
「……どうなさいます、殿下?」
「それで、どうするんだ?」
侍女頭と同じことを聞かれて、エドワードはもう一度まっすぐにアレクサンダーに視線を向ける。
「まずは友達から、かな。意識してもらえるかどうかは自分次第だと思うけど」
「王権使わないんだな」
「無理矢理は意味がないよ。今のままの彼女と話がしたいんだ」
考えていることがあまりに素直に顔に出すぎるエイミ。
強引に婚約者の立場に据えるのは簡単だが、その一瞬で表情は凍るだろう。それを溶かすのは容易ではない。何せ、やんわりと候補者から降りるために自分の体形すら変えてくるほどだ……方法は首をひねるが。
普通であれば望むことのほうが多いであろう王子妃を、どうしてそこまで拒絶するのかは分からない。しかしその理由は、心を開いてもらわないと聞けないだろうということは分かる。
「だな。俺も納得しないし」
「アレク、やっぱり?」
「心配するなって。エドが自分で頑張って、彼女が拒否しないなら応援するだけさ」
王命を下してしまえば済むことなのに、そうしないと宣言したエドワードに、アレクサンダーは嬉しそうに笑った。
「……それ以外の出番はあげないよ」
「だといいな」
そのほか二、三話をして、まあ、頑張れと幼馴染を見送り、アレクサンダーは部屋へ戻る。そのまま、カップに残っていた冷えた紅茶を流し込む子息に執事の爺は問いかけた。
「熱いものを淹れ直しますが」
「これでいいよ」
「……よろしいので?」
それが、お茶のことを指しているのではないことはすぐに伝わった。
「俺、けっこう気に入っているんだ、あの二人」
「さようで」
「友達の位置でいられたらそれが一番なんだ」
「ご友人、ですか」
「そう。それならずっとそばで見ていられるだろう?」
執事の持つトレイに空のカップを戻しながら、アレクサンダーはちょっと変わった伯爵令嬢を思い出す。
末子とはいえ公爵家の直系である自分に、欲も期待もこもらない目を向けてくる人物はまずいない。隠し方に上手下手はあっても、誰もが皆、何かを抱えて自分に近付く。
物心つく前からそんな視線ばかりを受けて、子ども相手にご苦労なことだ、とちょっとばかり擦れた人間に育った自覚はある。
学園では一応平等に扱ってもらってはいるが、やはり、おもねる者が多い。それに関してはもう、軽く諦めていた。
ところが、あのエイミ・ノースランドが自分に向けたのは、彼らとは逆の静かな警戒。出会い頭にこちらから仕掛けたとはいえ、自分を公爵家子息と推測した上で返すその反応。まずそれが新鮮だった。
どうにか距離を取ろうとして取り切れない不器用さと、振られた話を無視できない生真面目さ。少し慣れてくると、取り繕わない感情を見せ、そこからぽろぽろとこぼれる素の表情……社交慣れしていないのもあるが、それ以前に持って生まれた質だろう。
面白い、と思った。
常識を知らないわけではない。礼儀作法もそれなりに習得している。ただ、人間関係の捉え方の根底がどうも違うようだ。
自分に、自分以外のものを求めて来ない。計算も警戒も必要ない。
年下ながら時に同等以上の思考回路も持つエイミとの会話は、時間を忘れるほどで――己以上に不自由で偏った生き方の幼馴染はきっと惹かれると、なかば確信めいた予感があった。
「まあ、エドが強引に進めるつもりなら……別だったけれどね」
何か思うことがある様子で一つ頷くと、アレクサンダーは口元を緩める。
「爺。王子の婚約者候補ってさ、内定した後に降りたとしても、代わりの嫁ぎ先は見つけにくいよねえ」
「理由はどうあれ、何か問題があるご令嬢、と憶測されてしまうかと。王家に対する遠慮もございますでしょうし、良縁は難しい可能性が」
「だよね。その子、公爵家で貰えば丸く収まると思わない?」
「……なるほど。見届けるまでは、坊っちゃまはご結婚はなさらないと仰るのですな」
「その程度には気に入っちゃっているんだな、これが」
さて、どうなるかな、と満足そうに言って伸びをする公爵家子息だった。
~ある日のカヴァデール公爵家~
すっかり来慣れた公爵家。いつものようにティガーに会いに猫ルームに向かう途中で、エイミはワゴンを運ぶ侍女を連れた執事頭から声を掛けられた。
こちらはご存知ですか、そう言われて出したエイミの手のひらの上に、コロンと木の実が一つ渡される。
「爺、これは?」
「マッタの実ですよ、お嬢様」
顔見知りになった公爵家執事頭の爺――名前も聞いたのだが、「お嬢様にはぜひとも、爺、と呼んでいただきたく」なんて、ロマンスグレーな老執事から恭しく言われると、ドギマギしながら頷くしかできないエイミであった――から渡されたのは、ちょっと大きめの栗みたいな茶色の実。
「猫が好むのです。まあ、一種の嗜好品といいましょうか。久しぶりに手に入りましたので」
前世で実物を見たことがなかったので比べられないが、要はマタタビみたいなものなのだろう。名前も似ているし。
「食欲のない時など、砕いて少量を餌に混ぜたりもします。先日保護したばかりの猫に使うところなのです」
餌を載せたワゴンの上には乳鉢があって、既に砕いた少量のマッタの実が入っていた。
乳鉢を手に取ると、植物の匂いはするが特にこれと言って強い香りではない。人には感じられないが、猫にはかなり魅力的な匂いと味がするそうだ。これからティガーを譲られる予定のエイミに、この爺も色々と教えてくれている、その一環だろう。
「人にとってのお酒と似ていますから、あげすぎてはいけませんよ」
素直に頷くエイミに笑顔を向ける爺と、猫ルームへ入る。
普段からエイミが来ると猫たちがそっと集まってくるのだが、マッタの実入りの乳鉢を手にしている今日は、一味違った。
「え、きゃ、」
「おや、これこれお前たち。お嬢様、マッタの実をこちらに」
「……!」
真っ先に駆け寄ってきたティガーを先頭に、ドレスをよじ登る勢いの猫たちに圧倒されて嬉しいやら慌てるやら。エイミは高く頭上にあげたマッタの実を爺に渡そうとして――手が滑った。
あ、と思った時には髪の毛に何かが降りかかる感触……猫たちの目が、比喩でなく光った気がした。
・・・
「……何、この状況?」
「ああ、坊ちゃま。不幸な事故がございまして。今、どうにか救出を、と」
エイミが来ている、と聞いて部屋に来たアレクサンダーが目にした光景は何やら凄かった。屋敷中の猫が一山になって、ふにゃん、うにゃん、とご機嫌な声を上げながら、床に転がった何かに甘えまくっている。
かろうじてドレスの裾がちらりと見える、その相手は……
「わ、私のせいだから、この子たちを怒らないでぇ……」
「下になってるの、エイミかっ!? いや、怒るなといっても……おい、ティガー。せめてお前はどけろ。すっかり埋もれてるじゃないか」
掛け布団どころかシュラフのように抱きつかれて巻き込まれて、実に全身モフモフ三昧。好き好きー、と力いっぱいスリスリされてまさに天国だが、さすがに少し息苦しくて本当に天国に行きそうだ。
離れるのを嫌がるティガーから地味な拒絶と猫パンチを受けながらも、爺とアレクが二人がかりでなんとか引きはがす。出てきたのは小さい猫(注:ティガーに比べて。一般的には普通サイズの猫たち)をまだ数匹くっつけたまま、肩で息をするエイミ。
「大丈夫か……って、ボロボロだな」
「ア、アレク様こそ」
お互いに髪はボサボサ、服もくちゃくちゃ。ついでに毛だらけ、猫だらけ。
それでもほんのり上気した顔で幸せそうなエイミと、じたじたするティガーを抱えて満身創痍のアレク。なぜか無傷な爺。
「……なんで爺は平気なんだよ」
「年の功というものは、これでなかなか便利でして」
「ぷ、ふふっ、爺ってば」
おかしそうに笑いだすエイミにつられて、アレクも口元を綻ばせる。
公爵家に陽気な笑い声が響いた日。それは、マッタの実を頭からかぶってはいけません、という教訓ができた日にもなったのだった。