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13 そのころの厩舎

 

 王城の馬場は広く、そこにある厩舎もまた広い。馬房がメインではあるが、飼育員たちの居住区も併設されているし、見学や視察に訪れる王族や貴族との談話スペースもある。

 軽く周囲を案内された後、応接用の部屋に通されたイサベルはすっかりくつろいでいた。会話の相手は、第三王子付きの侍女頭のハンナ――娘時代のイサベルの家庭教師だった人物である。


「ハンナ先生、本当にお変わりなくていらして嬉しいですわ」

「それはこちらのセリフです、イサベル。貴女の発案なのでしょう?」


 きょとん、と恩師を見返すイサベルは、成人した息子がいるとは思えないあどけなさだ。


「なんだってあんな……せっかく整った顔形をしているのに」


 濁したその言葉で得心がいったようだ。イサベルは悲しそうに眉を下げ、ほうっとため息をこぼす。


「先生。私も失敗だったと思っていますの」

「なら、今からでも、」

「自分が産んだとは思えぬほどに元から美形な子でしたけれど、太ったら愛らしさまで加わってしまって……我が娘ながら反則ですわ」

「は、反則?」


 あんなの予想外だ、でも可愛いし、と言い募るイサベルは本気でそう思っているようだ。呆気にとられるハンナほか、同席の侍女や護衛騎士を前に滔々と語り始める。


「ぷっくりした頬の丸み! ぽちゃっとした手のひら! ハリのある二の腕も生命力にあふれてとっても魅力的! それに、食事や運動量のバランスも気を付けて健康と体調にはそれは心を配っておりますのよ。おかげで肌も髪もツヤッツヤですわ! けれども今、成長期でしょう、代謝もいいですし気を抜くとすぐ身長に持っていかれて痩せてしまうので、なかなか体重と体型を維持するのが大変なのです。ああ見えて動くのは好きですから、家でも猫と一緒に庭中を駆け回ったりもしますし、でも運動も大事ですものね。肉付きだけよくて動けないようだと身体にも差し障りますもの。それに魔術の練習でもかなりカロリーを消費しますから、まあ、エイミも率先して協力してくれますのでなんとか保っているというのが実のところなのですが、本当ならあと三キロくらいは欲しいですわ。ええ、体重だけが目的ではないことは重々承知しておりますけれど、やはり小柄で体重まで軽かったら簡単に抱えて攫われてしまいそうで気が気じゃありません。それに」

「イ、イサベル、落ち着いて」

「だって先生もご覧になったでしょう、あの魅惑のほっぺ! 触りたくなりませんでした?」

「それはちょっと思ったわ……ではなくて」


 ぷにぷにのまあるい頬はたしかに触り心地がよさそうではあるし、ぷくぷくしていても目鼻が埋もれないところ、顔立ちの端正さが十分にでている。

 でも、問題はそこではない。


「『かろりー』とかはよく分からないけれど、あの体型を保つのに苦労していることは分かったわ。そんなに大変なのにどうしてわざわざ」

「ええ、仰る通りですわ。ねえ、先生。美しさの基準など風向きのように変わるもの。ほんの一時のそれに拘るあまり、本当に大事な物を見失ってはいけないと思いますの」


 ひたりと恩師を見つめる娘と同じ金色の瞳には迷いがない。教え子(イサベル)がこういう目をする時は既に決めている時なのだと、ハンナは二十年以上も前から知っていた。


「……殿下は立派な方ですよ」

「異論はございません。ですが貴族(ロード)だろうと吟遊詩人(バード)だろうと関係ないのです。私が望むのは、娘や息子の幸せ。それだけですわ」


 単純なことだと、そう言い切るイサベルは堂々としてまるで議会の演説のようだ。


「それにしたって、ほかの方法は考えなかったのですか」

「外見のみが判断基準の方々を避けるには効果的でしょう? 顔や性格は変えられないのですもの。それに、魔術を使う上でも体は資本ですから」


 イサベルの娘であるエイミの魔術素養が高いことは知られている。最近になってその習得に力を入れ始めた、ということもハンナは耳にしていた。


「それもですよ。まだ急がなくてもよろしいのに」

「事情がありましたので。無理はさせていませんわ、何より本人の希望でもあります」


 猫を飼うため、という明確な目的がそこにはあったのだ。イサベルはくすりと微笑む……娘にとっては重大で最優先だが、なかなか他人には理解しがたい理由だろう。

 実際イサベルも、予想を大きく上回るスピードで魔術を習得していく姿に、娘の本気を見せつけられたのだった。


「まあ、その点は貴女のことだから無茶はさせていないと信じていますけれど。ところで魔術のほうはどなたに師事を?」

「父の紹介で、サー・ディオンにお願いしていますの。娘はあれで、なかなか筋が良いと褒められますのよ」


 イサベルの告げた名前に、ハンナだけでなく同席していた侍女も護衛騎士も瞠目する。ディオン卿……数年前に引退した元王宮魔術師筆頭。現在でも国内でトップクラスの魔術師だが、頑固で人付き合いが悪く、学園で教鞭をとる時は容赦なく厳しいことでも有名な人物でもある。

 この部屋にいる護衛騎士も、ディオン卿のハードな授業を思い出して、つい背筋が伸びたほどだ。


「な、なんて御方に」

「教え方もお上手ですし、エイミとも気が合うようでよかったですわ。人見知りのあの子も『おじいちゃん先生』なんてこっそり呼んで懐いておりますの」

「とても信じられないわ、あの……あら、ちょっと失礼」


 狐につままれたような顔で何か言いかけた途中で、ハンナのポケットから呼び出し音が鳴った。鈴の音のようなそれは通信用の魔道具から。どうぞ、とイサベルに目で促されてさっと席を立ち通話を開始する。

 この通信魔道具、遠距離は無理だが王城内程度であれば通話が可能で、侍女頭や護衛騎士など、主だった使用人達の間で重宝されていた。


「はい。ダリオスね、何事です――っ、まあ、ええ……分かったわ。くれぐれも気を付けて」


 エイミ達が戻ると思われる時間まではまだしばらくある。話の内容までは聞こえないが、護衛についた騎士からということは何か不測の事態が起こったのであろう。しかしその割にはハンナの顔に浮かぶのは困惑で、焦りは見えない。

 ――緊急性は高くない。そう判断したイサベルはゆったりとカップに口をつけ、こくりと味わってから声をかけた。


「エイミ達になにか?」

「それが、今から戻ると。なんでも伝令鳥が怪我をしているのを見つけたとか」


 それから伝令鳥の飼育担当の者を呼んだりしているうちに、見送ったのと同じところにエイミ達は戻ってきた。行きと同じに王子は黒い馬に乗り、エイミとマーヴィンは鹿毛の馬に。

 違うのは、そのエイミの腕の中に布の塊があること。

 王子もマーヴィンも護衛のダリオスも手綱を握らねばならず、手の空いているのがエイミしかいないのだから、この役割配分は頷ける。飼育員とともに外で待っていたイサベルは、一行に近寄ると馬上の娘に声を掛けた。


「まあ、それが怪我をした鳥?」

「お母様、そうなの。白フクロウよ、ルードルっていうんですって」

「お嬢様が治癒魔術をかけてくださったと聞きました。戻ってこなくて朝からずっと心配していたのです。本当に、ありがとうございます」


 その飼育員の心からの礼に、エイミは少し困ったようにはにかんだ。


「はい。でも、鳥に治癒魔術をするのは初めてだったので……そちらでもよく診てあげてください」


 飼育員にルードルを渡そうとエイミが手を動かすと、それまで布の中で大人しくしていた鳥が急に大きな声で鳴き、身じろぎをして抵抗した。


「え、ど、どうしたの、ルードル?」


 落としてしまわないように慌てて抱き込むと、すうっと静かになる。


「……もう大丈夫かな。ほら、いつもの飼育員さんだよ」


 そう言ってエイミの腕から出そうとするが、やはり鳴いて抵抗する――それを二回も繰り返すと、さっと馬から降りたマーヴィンがエイミごと抱き下ろした。


「わっ、あ、ありがとうございます」

「きっと、傷を治してくれたお嬢様から離れたくないんですよ。とはいえ、処置の確認などもありますし……」


 治癒魔術が効いた感覚はあった。しかし獣医の診察を受けて大丈夫だと言われないと、心配は残る。


「ルードル、お医者さんに診てもらって? ちゃんと元気になってほしいの」


 そう声を掛けても、不満そうにもぞもぞと動き、相変わらず鳴き声を上げる。困ったエイミは、すぐ隣に来たエドワードのほうを助けを求めるように見上げた。


「エイミ、ルードルに会いに来てくれるかな」

「うん。ねえ、ルードル。またすぐに来るから、今だけ。お願いよ」


 軽く抱きしめた腕の中、布越しに顔を近づけてまるで内緒話をするみたいに話しかけると、鳴き声が少し大人しくなった。そのタイミングを逃さず飼育員にバトンタッチすると、また切なそうな鳴き声がくぐもって聞こえる。

 ぽっかりと軽くなった腕がスースーする……ルードルの声はエイミを呼んでいるみたいだし、なんだか切なくなってつい涙ぐんでしまった。


「エイミの治癒魔術はすごいね。近くにいただけなのに、何か温かいものが私にも伝わってきたよ。大丈夫、きっとルードルはすっかり治っているから」

「そうだといいけど……」

「泣かないで」


 そう言って、手袋を外した指先で目元を拭われてエイミは驚いた。その行為とそっと触れた手の感触、そして今の今までこの距離の近さに全く頓着していなかったことに。


「え、エド様っ?」


 衝撃で涙は引っ込んで、代わりに顔が真っ赤になった。それを見て安心したように、エドワードは銀色の目を柔らかく細めて微笑む。


「や、えっ、あ、あの……っ」

「王城に招いて泣かせた、なんてアレクに知れたら大変だ」


 なんでそこにアレクサンダーが出てくるのかいまいち腑に落ちないが、周囲の生温かい視線が痛い。

 混乱した気持ちのまま、気付けば今度は「ルードルを見舞いに」頻繁に王城を訪れる約束が出来上がっていたのだった。



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