魔女と人間は共に歩む
魔女。
それは人間とは別の生き物。
この世界の人々はそんな魔女を忌み嫌い、魔女狩りとして殺していった。
魔女は数を減らし、今ではひっそりと森の奥で暮らしている。
魔女の1人、リナは困惑していた。
「人間?」
ここはリナが住んでいる森。
いつもはこの森の奥でひっそりと過ごしているのだが、今日はどうしても必要な薬草が森の浅い場所にしかないため、仕方なく人里の近くまで来ていた。
そこに居たのは、キョロキョロと辺りを見回す人間の子供だった。
その容姿から、男だということがわかる。
この森はリナのことを知ってか知らずか、魔女の住む森として人間は近寄らない。
凶暴な肉食の動物も多く住んでおり、迷い込めば生きて出ることはできないだろう。
「悪いわね。恨むならこの世界を恨みなさい」
リナは踵を返し、自分の小屋に戻ろうとする。
人間の子供を拾うなど、そんな面倒なことはする気はない。
歩き出そうとしたところで、リナは自分の服に違和感を覚える。
「離しなさい」
泣いていた人間の子供が、いつの間にかリナのスカートを掴んでいた。
リナは威圧するように子供にそう言うが、子供は首をふるふると横に振り、離す様子はない。
その顔は今にも泣き出しそうで、ここで泣かれたら人里にも聞こえるかもしれない。
「はぁ……坊や、両親は? 人里まで送ってあげるわよ」
人里の近くに行くのはリスクが大きいが、このまま泣かれるよりはマシだ。
そう思ってリナはそう聞いたのだが、子供はまたふるふると首を横に振る。
「もしかして、居ないの?」
子供はこくり、と首を縦に振る。
そこ子供は捨て子だった。
どうやって今まで生きてきたかは知らないが、どういうわけか、この森にたどり着いたようだ。
「なら早くここから出なさい。少し歩けば出られるわ」
リナが親切にそう言って森の出口を指さすが、子供はリナの服を離さない。
「早く行きなさい」
子供が首を横に振る。
「いいから行きなさい」
子供が首を横に振る。
そんなやり取りが何度が繰り返されたが、先に折れたのはリナだった。
「仕方ないわね……少しだけ育ててあげるわよ」
ほんの気まぐれだった。
最悪実験の道具にでもしてしまえばいいか、と軽い気持ちで、リナは子供を拾った。
「ついてきなさい」
リナは子供の手を引き、自分の住む小屋へ帰る。
小屋に着いたリナは、子供を椅子に座られ、自分も向かいに座る。
「坊や、名前は?」
子供は首を横に振る
「無いのね。なら私が付けてあげるわ。坊やの名前は、今からエリアスよ」
「エリ……アス」
「そうよ。せいぜい私のために尽くすのね」
ぱっと思いついた名前を、目の前の子供につける。
エリアスは自分の名前を確認するようにそう呟き、嬉しそうに笑った。
その日から、リナとエリアスの共同生活が始まった。
リナはエリアスに様々なことを教えた。
言葉、文字、知識など、生きるために必要なことは全て。
* * *
リナがエリアスと出会って、5年の時が過ぎた。
コンコン、とリナの部屋がノックされる。
「入っていいわよ」
「今日も勉強?」
「そうよ」
入ってきたのは、少年になったエリアスだ。
手にはお盆を持っており、その上に紅茶とパンケーキが乗っている。
「それは?」
「差し入れだよ。ママ、頑張ってるみたいだから」
「そのママって呼び方はやめなさい」
「どうして? ママはママだよ」
机に置かれたパンケーキを食べながら、リナはエリアスに注意する。
エリアスは優秀で、すぐに言葉を覚え、文字だって簡単に書けるようになった。
今食べているパンケーキも美味しく、思わず頬が緩む。
「私はエリアスの本当の母親じゃないの。もう少し大きくなったらこの家を出るんだし、ママなんて呼ばないで」
リナは突き放すように冷たい目でそう言うが、エリアスはというと、
「僕はここを離れないよ。ママを守らないといけないんだから!」
ふん、と胸を張ってそんなことを言ってきた。
エリアスがリナを守ると言い出したのは、育て始めて3年が経ってからだった。
その頃からママと呼び始め、自分よりも圧倒的に強いリナを、守ると言って聞かないのだ。
「まだそんなことを言ってるの? 私は魔女、エリアスは人間。私の方が強いのよ」
「だから今、頑張ってママより強くなろうとしてるんだよ」
確かに、最近のエリアスは木の棒を手に取り、素振りをよくしている。
そんなことをしても、魔女であるリナより強くなることなど無理だというのに。
「もういいわ。勝手に言ってなさい」
「うん」
紅茶とパンケーキを食べ終わり、エリアスがお盆を持って部屋を出て行こうとする。
「エリアス」
「何、ママ?」
「その……紅茶とパンケーキ、美味しかったわ」
「ほんと!? また作るね!」
リナが素直な感想を伝えると、エリアスは嬉しそうにスキップしながら部屋を出ていった。
* * *
リナがエリアスと出会って、8年の時が過ぎた。
「エリアス、大切な話があるわ」
「どうしたの、ママ」
青年となったエリアスは、日課の素振りの途中でリナに呼ばれ、木刀を地面に置いてリナの方へ向かう。
「随分と立派になったわね」
「ママのおかげだよ」
エリアスの腕は丸太のように太く、胸板は分厚い。
筋骨隆々という言葉が相応しいその姿は、泣いていた頃のエリアスと結びつかない。
「今のあなたなら、森を1人で出られるわ」
「俺は出て行かな」
「出て行きなさい!」
エリアスの言葉を、リナの怒鳴り声が遮る。
エリアスは初めて聞くリナの声に驚き、固まって動かない。
「私は今から集会に行ってくるわ。帰ってくるまでに、荷物をまとめて出て行くのね」
集会とは、魔女が集まって情報交換などを行う会合のことだ。
半年毎に行われているこの集会だが、前回の集会は1ヶ月前にあったはずだ。
「ママ、集会はこの前あったばっかりだ。こんなに早くまた集まるなんて変だよ」
「うるさいわね。行くか行かないかは私の勝手でしょう」
「でも」
「黙りなさい!」
心配して近付いてくるエリアスを、リナは睨みつけて止める。
「もし出て行ってなかったら、私があなたを殺すわ」
ローブを羽織り、リナは小屋を出て森を走る。
「これでいいのよ」
リナはエリアスに愛情を抱いていた。
愛情といっても、親が自分の子供に送るような愛情だ。
それに気付いたリナは、エリアスを突き放すことにした。
魔女が人間に愛情を抱くなど、あってはならない。
それに、エリアスには自分の元を離れ、1人の人間として普通の幸せを掴んでほしかった。
そのためには、心を鬼にしてエリアスに自分を嫌わせることが手っ取り早かった。
未練はある。
最初は乗り気でなかったエリアスとの生活も、今では楽しい時間となっていた。
出来ることなら、このまま2人で過ごしたい。
それは、叶わぬ夢だが。
「ここね」
考えているうちに、集会の場所に着く。
集会の場所は人間に見つからないように、いつも変わるのだが、今回呼ばれた廃墟には誰もいなかった。
「誰かいないの?」
不思議に思ったリナが廃墟に足を踏み入れると、風切り音が鳴り、矢がリナの右足を貫いた。
「なっ!?」
バランスを崩し倒れるリナの前に、10人を超える数の人間が姿を現す。
「魔女というのは単純だな。同族の言葉は簡単に信じる」
「どうして……」
リナにこの集会のことを伝えたのは、信頼している魔女の使い魔だ。
その魔女とは長年の付き合いで、嘘をつくとは考えられない。
「お前に情報を送った魔女は、人間に捕まって無理矢理使い魔を送らされたんだよ。その後すぐに死んだけどな」
人間のリーダー格と思われる男が、リナを見下ろしながら可笑しそうに笑う。
「このクズが!」
「やれ」
リナは魔術を使おうとするが、男が後ろで弓を構えている人間に合図を出すと、ピュンと音を立てて4本の矢が同時に放たれる。
「くっ、あああっ!」
矢はリナの腕や肩に命中し、真っ赤な血が滴り落ちる。
「おっと、殺すなよ。トドメは俺がやる」
リーダー格の男が下卑た笑みを浮かべながら、動けないリナに近付いていく。
その手には腰から抜いた剣が握られており、男はその剣をリナの首の上で振り上げる。
「死ねぇ!」
リナは確実に迫る死を前に、エリアスのことを思い浮かべる。
ちゃんと小屋を出ただろうか、無事に森の出口まで行けただろうか。
気付けば、リナの頬を涙が伝っていた。
「ママを泣かせたのはお前か」
甲高い音を辺りに響かせ、男の振り下ろした剣が、リナの後ろから振られた剣に弾かれる。
「な、なんだ貴様は!」
「魔女の息子だ」
無骨で巨大な剣を片手で持ったエリアスが、リナを守るように前に立つ。
「戯れ言を!」
「ママを傷付けるやつは、全員殺す」
リーダー格の男は激昂し、大上段からエリアスに剣を振り下ろす。
だが、その攻撃はエリアスには軽すぎた。
エリアスが剣を軽く振るだけで、男の剣は簡単に弾かれ、男は大きく体勢を崩す。
動けない男に、エリアスが剣を横薙ぎに振り、首を切り落とす。
「ひっ」
後方でその様子を見ていた人間たちは、自分たちのリーダーの死を見て小さく悲鳴を上げる。
それでも戦意は失っていないようで、1人の男が弓を引き、矢を放とうとする。
「この化け物めっ!」
矢を放とうとした瞬間、エリアスがリーダー格の男の頭を掴み、その男へ投擲する。
エリアスの腕力から投げられた頭は、困惑している男の顔面に直撃し、血を吹き出して倒れる。
「黙れよ」
ほかの人間の視線が倒れている仲間に向いている間に、エリアスは人間たちとの距離を詰める。
「殺すなら、殺される覚悟があるだろ」
人間たちは断末魔をあげる暇も与えてもらえず、エリアスが振った剣に胴体を両断される。
運良く攻撃を逃れた人間も、腰が抜けて動けなくなったところを、エリアスによって殺される。
人間を全員殺し、返り血で赤く染まったエリアスが、リナに近付いていく。
「エリアス、なんで……」
「俺はママを守る。約束しただろ」
笑顔で昔言ったことを繰り返したエリアスに、リナは思わず抱きつく。
「ママ?」
「エリアス……エリアス……私は、エリアスと一緒に過ごしたい」
「俺もだよ。ママ」
エリアスは穏やかな笑みを浮かべながら、リナが泣き止むまで頭を撫で続けた。
* * *
リナがエリアスと出会って、40年の時が過ぎた。
「ママ、集会に行くのかい?」
「そうよ。いつも通り付いてきてくれる?」
「もちろん。ママを守るのが俺の役目だからね」
すっかり中年となったエリアスだが、その実力は衰えていない。
今ではリナの護衛として、集会にも出向いている。
今回の集会の場所は、エリアスがリナを救った、あの廃墟だ。
「ふふっ」
「どうかしたの、ママ?」
「懐かしくなってね。この場所、覚えてる?」
「忘れるわけないよ。俺が初めてママを守った場所だからね」
「あの時のエリアスは若くてかっこよかったわね」
リナはその日を思い出すかのように廃墟を見ている。
「今の俺は嫌いなの?」
「大好きよ」
エリアスの少し拗ねたような言葉に、リナは満面の笑みでそう答えた。
* * *
リナがエリアスと出会って、80年の時が過ぎた。
「エリアス、聞こえる? あなたとの生活、私にとってすごく楽しかったわ」
椅子に腰掛けながら、リナはゆったりとした口調で語りかける。
「正直、最初は実験の道具にしてやろうとか、動物の餌にしてやろうとか思ってたのよ? それが、今では私にとってかけがえのない存在になったんだから、何があるかわからないものよね」
リナが握っている人の手は、やせ細って生気が感じられない。
「きっと、2人ならこれからもっと楽しいことがあるはずよ」
その手をぎゅっと握り、リナはベッドに横たわるエリアスを見る。
その顔は穏やかに目を閉じ、もう2度と動くことはない。
「だから、動いてよ」
幸せそうな表情のエリアスとは対照的に、リナの顔は涙でぐちゃぐちゃだ。
留めなく溢れる涙は、枯れることなくベッドを濡らす。
「私を……1人にしないで……」
魔女は愛した人間の子供を前に、いつまでもいつまでも、涙を流し続けた。