八一話 雷神の洗礼
「――ただ今戻りました、ナスルさん。……まずはお詫びから入らせてもらいますね。ナスルさんが予約してくれた温泉宿ですが、不慮の事故で温泉を破壊してしまいまして……後日、弁償費用の請求がナスルさん宛てに来る予定です」
「……温泉を、破壊……?」
「ええ、そうなんです。旅先で羽目を外しすぎて温泉を壊しすぎた、という訳ですよ。いやぁ……まさか温泉が爆発するとは思いませんでした。ナスルさんが宿を貸切りにしてくれてなかったら、多数の死者が出ていました――さすがはナスルさんですね!」
温泉爆発事件について、フェニィの個人名を出すつもりはない。
一人のミスは全員の責任なのだ。
フェニィ一人に責任を被せるような真似はしない。
全員の責任、だからこれは……レットのせいでもある……!
「しかしナスルさん、レットを責めないでやってください。レットに悪気は無かったんです!」
あたかもレットが下手人であるかのように印象操作を行う僕。
ナスルさんのお気に入りであるレットが犯人なら、ナスルさんとて厳しくは追求するまいという狙いである。
……だが僕の言葉に嘘は無い。
レットに悪気は無かったのだ――純然たる被害者なのだから!
「いやぁ、まさかレット君がねぇ……まっ、でも安心してよ。レット君のことは、ボクが許してあげようじゃないの!」
ここぞとばかりに乗っかるルピィ。
そう、ルピィはイジめられているカメを見つけたら、一緒になってイジめる人なのだ……!
――いったいレットは何を許されたのか!?
当のレットは「こいつら……!」と言いたげな顔をしているが、何も言わない。
きっと爆発事件を防げなかったことに責任を感じているのだろう。
相変わらず損な性分だ……言い訳をしないところは潔くて好感が持てるが、否定すべきところは否定すべきなのだ。
こういうところはフェニィを見習えばいいのにと思ってしまう。
もはやフェニィは、爆発事件を起こした事すら忘れていそうなのだ。
完全に〔無関係な第三者〕のような顔をしているのである。
……いや、むしろまだ良い方かもしれない。
最近はルピィの悪い影響を受けているので、下手をすればレットを指差して「……私は許さないぞ!」と一緒になって乗っかる可能性もあったのだ……!
それではあまりにレットが不憫ではないか……。
そんな事になったら、親友の僕に出来る事は……一緒に謝ってあげるだけだ!
「あ、でもご安心下さいナスルさん。僕らは他の温泉宿に移ったので、しっかりと温泉を満喫してきましたよ。……もちろん、移動先の宿代をナスルさんに出してほしいなんて言いませんよ? そんな厚かましい真似は出来ないですからね。ナスルさんは遠慮をするなと仰るかもしれませんが――親しき仲にも礼儀ありですから!」
「そ、そうかね。……そういえば、神獣はどうなったのかね? ここにいないということは、討伐したのかね?」
「ふふ……ところがどっこい、いるんですよナスルさん――僕のフードの中にね!」
ナスルさんを驚かせようと思って、あえてマカがフードで眠ったままなのを放置していたのだ。
僕は優しくマカを取り出したが、両脇を掴まれてもまだ寝ている……野生の危機感はどこにいったのだろう。
「まだ眠っていますが、この子が神獣――〔雷神〕のマカです」
「こんな仔猫が、本当に……?」
むむっ。ナスルさんが疑っている……だが無理もない。
眠っているマカは、何の変哲も無い仔猫にしか見えないのだ。
ここは僕とマカの名誉の為にも、マカの神獣ぶりを証明せねばなるまい。
「嫌だなぁ、ナスルさん。僕を疑っているんですか? 僕がナスルさんに嘘を吐いたことなんか無いでしょう。……ほら、見てて下さい」
僕は眠っているマカを、床にそっと置いて――手を放した。
「……っぐ」
ナスルさんは胸の当たりを軽く抑えている。
もちろんマカの可愛さにときめいているのではない。
僕が手を放したことで、抑えられていた攻撃的な魔力が解き放たれたのだ。
さすがにナスルさんの傍らに立っているロブさんは平然としているが、〔重の加護持ち〕のナスルさんでもマカの魔力は厳しいようだ。
「まだこの子は魔力操作が苦手でして……僕が常に抑えていないと、これこの通りというわけですよ」
そう言いながら、僕はマカを軽く揺すって起こす。
「……マカ、起きて。ここが今日からマカの家だよ。こちらが家の主のナスルさん」
マカはむずがるような仕草で目を覚ましたが、まだ起きたてで状況が分かっていないようだ。
「コイツァ、オモシロイヤツダナ」
凶悪な魔力を持ちながらもあどけないマカに興味を持って、ロブさんがマカに触れる――
「――ニャ!」
「アガガガッ!!」
当然のように激しい電撃を受ける!
「ロ、ロブっ……!」
ナスルさんが黒焦げになったロブさんを見て血相を変える。
――だが僕は焦らない。
これしきのことでロブさんが死ぬ訳がないのだ。
僕は落ち着いてロブさんの身体を診断する。
……ふむ、見事に全身が焼けている。
重度の火傷に……おや、心臓も止まっているな。
それでも冷静に治癒術を行使してみれば、やっぱりロブさんは息を吹き返した――さすがの生命力だ!
「大丈夫ですかロブさん? また心臓が止まっていましたよ――まったく、すぐに心臓を止めるのはロブさんの悪いクセですよ」
僕は僭越ながらロブさんに物申した。
ロブさんに乞われて、一緒に戦闘訓練を行う機会が何度かあったのだが、その時も頻繁に心臓を止めていたのだ。
僕が近くにいない時に心臓を止めてしまったら、そのまま亡くなってしまうかもしれないのである。
ロブさんが心配だからこその苦言だ。
「オウ、アリガトヨ……シカシ、ズイブント、ヤンチャナヤツダナ」
「それは仕方ないですよ。急に知らない人間に触られたら、誰だってびっくりしちゃいますからね。ちゃんと触ってもいいか聞かなきゃ駄目ですよ」
「アア……ソノトオリダナ。コイツァ、イッポントラレタゼ!」
僕とロブさんが和やかに談笑していると、ナスルさんが幽鬼のような顔をしながら問い掛けてくる。
「アイス君……その、神獣を、放し飼いにするというのは……」
「ええ、もちろん今すぐとは言いませんよ。魔力操作を覚えるまでは僕が付きっきりです。……ただ、放し飼いするにしてもマカは気難しいところがありますからね。廊下で会ったら、道を譲るか逃げるかするのが無難ですね!」
「おい、おかしいだろ! なんで家主のナスルさんが気を使わないといけねぇんだよ!」
たまりかねたようにレットが突っ込みを入れる。
ずっと口を挟みたそうにしていたが、ついに我慢出来なくなったようだ。
「何言ってるんだよレット。小さな、か弱い命を守っていくのは……大人の僕たちの役目だろ?」
「どこがか弱いんだよ!? 神持ちのロブさんが殺されかけてただろ! 良い事言ってる風に言うのはやめろ!」
「失礼だよレット。ロブさんがあの程度で死ぬわけがないよ――ロブさんは凄いんだよ?」
「ヘヘッ、ヨセヨアイス」
ロブさんは照れている。
しかし身体は大丈夫そうだが、服が焦げてぼろぼろになっているので着替えた方が良いかもしれない……いや、ワイルドな感じが逆にアリだろうか。
「……あんな目に遭って気にしてないってのは、本当に凄いと思うけどよ……」
僕とレットがいつものように言い合いをしていると、ナスルさんが思い出したように言った。
「そういえばアイス君。ポトに入る前に会ったかもしれんが、指無し盗賊団の人たちが我々に合流しているぞ。人数が多いのでポトの外に駐留してもらっているが」
セレンではなく僕に伝えたのは、セレンには無視される懸念があったからだろう……そしてそれは多分正しい。
――たしかに街の外には大勢の人たちが集まっていた。
盗賊団だけではなく、近隣の村や街からも続々と集まってきているので、数万人はいることだろう。
それらは義勇兵として急ピッチでナスル軍に編成されている。
……もう、いよいよという訳だ。
喜ばしいことに、ナスルさんによって、〔武神〕カルド=クーデルンは洗脳術によって将軍に操られている、という話が流布されているが、驚くほどに事実として信じられているらしい。
現代の洗脳術においては荒唐無稽な話ではあるのだが、父さんの急変についての違和感は民衆にとっても大きなものだったという事だろうか?
あるいは単に、自分の信じたいものを信じているという事だけかもしれないが、どちらにせよ僕にとっては好都合なことだ。
僕にはこの内戦は〔ただ将軍の首を取れば良い〕というものでは無いのだ。
全てが終わった後に〔この国に父さんの居場所が無い〕なんてことでは意味が無い。
内戦終結後、帝国が介入してくる可能性もあるので、それらも含めた戦後のことも考えていかなければならないのだ。
「盗賊団の皆さんには挨拶をしてきましたよ。指無しさんと護衛のニトさんだけは、この城に滞在していると耳にしました」
「彼らには君たちの隣の客室に案内している。顔を見せてあげるといい」
「はい、もちろんです。……これから人も増えて、なにかと問題も多くなるかと思いますが、何かあったらいつでも相談して下さいね!」
「……アイス君は、何もしないでくれれば、それでいい……」
慎み深いナスルさんの声を後にして、僕らは退室した。
ナスルさんも水臭いなぁ。
……よし、ここは言われずとも僕が積極的に協力するしかあるまい。
兵士さんたちの訓練も積極的にお手伝いするとしよう。
きっとナスルさんも大喜びするに違いない……!
あと三話で、第五部は終了となります。
明日も夜に投稿予定。
次回、八二話〔広がる誤解〕




