七九話 危機一髪温泉
今日、明日が〔温泉回〕になります。
薄い霧がかかったような街並み、微かに香る硫黄臭。
そう、僕らはマカという新たな同行者を得て――ビズの街に到着したのだ。
何を隠そう今回の温泉旅行は、僕の希望による僕の発案だ。
お風呂が好きな僕は、温泉というものに並々ならぬ興味があったのだ。
もちろん、イベント好きな僕の仲間に反対する者などいるはずもない。
賛成多数どころか全会一致で温泉旅行は可決されたのである。
楽しみにしていた温泉を前に、僕のボルテージは高い――特に意味もなくセレンと手を繋いで歩いているぐらいだ。
「……にぃさま。私はもう子供ではありませんよ」
文句を口にしながらも手を放そうとしないセレン。
きっとセレンも温泉が楽しみでご機嫌なのだろう。
かくいう僕もご機嫌だ。
今の僕は大抵のことを許せる心境である。
「フェニィ、この街で殺すのは三人までだからね」
ビズに着いた早々に、じろじろ見ている若い男たちへと過剰な暴力を振るいそうなフェニィを優しく注意してしまう。
「『おやつは三銀貨まで』みたいに言ってんじゃねぇよ! 俺はナスルさんからくれぐれも問題起こさないように、って頼まれてるからな。そんなことはさせねぇぞ!」
レットはそんな事を頼まれていたのか。
まるで僕たちが、行く先々で問題を起こしているかのようではないか。
ナスルさんも僕に言ってくれれば良いものを……相変わらず熊のような外見のわりにシャイな人だ。
「はは――冗談に決まってるだろレット。フェニィだって本気にしてないよ。
僕らは日々成長しているんだよ?」
「…………」
フェニィの沈黙が気になるが……成長率から言えばフェニィは成長株筆頭だ。
これぐらいのことで〔血の池温泉〕を湧かすまい。
「それにしても、ビズで一番の温泉宿を貸切りにしてくれるなんて……まったく、ナスルさんには頭が上がらないよ。なにかお礼をしなきゃ」
「アイス君はナスル王に何もしないのが一番の恩返しになると思うよ~」
ルピィがにこにこ笑顔で失礼なことを僕に言う。
……ルピィやフェニィと一緒にしてもらっては困るというものだ。
「――これが露天風呂かぁ……こんなに広い所を貸切りなんて、なんだか申し訳ないくらいだね」
早速、僕とレットは大浴場に来ていた。
岩を削って造られた浴槽は、お湯越しに女風呂とも繋がっているということもあり、全体像はかなり広大な浴槽となっているはずだ。
「にゃぁぁ~」
貸切りなのをいいことに、マカも温泉に連れてきた。
産まれて初めてのお風呂となるはずなので、しっかり洗ってあげなくてはならない。
本来、マカはメスなので女風呂に行くべきなのだが、〔無法四天王〕とも言える女性陣を嫌ったのか、迷わず僕とレットについて来ていた。
……マカの気持ちはよく理解出来たので、追い出すような真似はしない。
浴槽に入る前に、僕とマカの体を洗い、マカには桶にぬるま湯を張ってからそっと入れてあげた。
「うゃぁ~」
なんとなくマカは気持ち良さそうな声を出している。
よし、いよいよ僕も温泉だ。
……しかし、実質僕が温泉に浸かったのは五秒に満たない時間だっただろう。
少しぬるめの温泉だな――そう思った刹那のことだった。
「――っ、レット!」
僕が声を掛けるよりも早く、レットは敏捷な動きで浴槽から出ようとしていた。
そして僕もまた、それに続く――
――ドゴォーン!
「ぐあっ!」「くっ!」
だが僕らは一歩遅かった。
突如爆発した温泉に捲き込まれ、爆風の勢いのままに――空へと打ち上げられたのだ!
高さにして十メートルは飛び上がった後、僕とレットは温泉宿の屋根へと墜落した。
――ドザッ、っと僕らは屋根に着地を決める。
派手な目に遭ったが、魔力を身体に纏わせていたおかげで軽度の火傷で済んだようである。
レットはと見ると、レットもしっかり両足で屋根に着地していた。
危ないところだった……僕とレットじゃなかったら、間違いなく致命傷だったことだろう。
「無事かアイス! ……いったい何があったんだ? 軍国の襲撃か?」
「……違うよ、レット」
僕は珍しく怒っていた。
念願の温泉に入った直後に〔アイス危機一髪!〕な目に遭わされ、浴槽は見るも無惨に全壊しているのだ……僕でなくても怒り心頭だろう。
「これは軍国の仕業なんかじゃない……これは――フェニィだ!」
――――。
僕の前にはフェニィが正座をしていた。
いつもの過剰すぎる自信は鳴りを潜め、悄然として顔をうつむけている。
僕はこれから〔温泉爆破事件〕の犯人である、フェニィの尋問を行おうとしていた。
レットはフェニィの炎術を見たことが無いので分からなかったようだが、僕にはすぐ分かった。
お湯の底を這うように流れてきた、どろっとした魔力。
……あんな、まとわりつくような魔力の持ち主を僕は一人しか知らない。
なにより、こんな破天荒で傍迷惑な真似をするのは――フェニィしかいない!
炎術の直撃ではないとは言え、僕とレット以外の人間があの場にいたら、まず命を散らしていたことだろう。
――そう、あの炎術は温泉の〔お湯の底〕で発動したものだ。
それがなぜあれほどの壊滅的被害を生んだかと言えば――水蒸気爆発だ。
あの時、水の中に煮えたぎった溶岩を入れるかのように、超高温の炎術が温泉内で発現した。
それによって温泉の水が瞬時に沸騰、蒸発することで急激に体積が増加し、いわゆる水蒸気爆発へと至ったのだ。
そして歴史ある温泉宿の浴槽は爆散してしまい、この世から消え去る事になったのだ……。
「誤解しないでほしいんだフェニィ。僕はちっとも怒ってないよ? お風呂に入っていたと思ったら突然吹き飛ばされて、裸で屋根に着地するなんてことは――よくあることだからね、そうだろ? 聞いても怒らないから、あんな事をした理由を正直に教えてくれるかな?」
聞いても怒らない――子供を騙す常套手段だ。
もちろん僕は怒るつもりである。
珍しく怒っている僕に気を使っているのか、周りの皆は口を挟まない。
幸いなことに、女性陣には先の爆発事故で怪我をした者はいない。
仔猫のマカだけは、怪我こそしていないが、目の前で僕とレットが吹き飛ばされていったのがよほど恐ろしかったのだろう、今は部屋の角で震えている。
……お風呂が嫌いにならなければいいのだが。
そして当然のことだが、温泉宿は大騒ぎだった。
周囲の温泉宿からも大穴の空いた温泉を見物に来ており、何が起きたのかと、流言飛語が飛び交っている。
とりあえず僕らは宿への説明もそこそこに、爆発事件犯人の事情聴取に及んでいるというわけだ。
――ルピィに入れ知恵でもされたのか、フェニィはやったこともない正座なぞをして反省を示している。
正直なところ、正座よりも、見るからにしょんぼりしているフェニィの様子が哀愁を誘い、つい許してしまいそうになる……。
だが僕は心を鬼にして、フェニィの弁解をじっと待った。
「…………アイスが……熱い風呂を好きだ、と言っていたから……」
長い沈黙の後に出てきたのは、予想外の言葉だった。
以前、たしかに僕は熱めのお風呂が好みだと言ったことがある――つまり今回の事件は、僕の為に気を利かそうとして、お湯を沸かそうとしたという事なのだろう。
そんなことを聞いてしまったら……もう僕には、フェニィを怒ることなんかできる訳もない。
なにしろ僕の為を思ってしてくれた事なのだ。
結果が奮わなかったとはいえ、その気持ちは千金に値する。
老舗の温泉を壊してしまうぐらい、まるで大したことではない……!
「そっか、それなら仕方ないね。うん、次からは気をつけてね」
人的被害は僕ら以外にいなかったことだし、そう目くじらを立てることもあるまい。
それよりも、これからのことだ――
「よし、これからの方針としては――別の温泉宿に移ろう!」
「ええっ!? だってアイス、この宿のことはどうするんだ? 弁償とかしないとまずいだろ」
「やれやれ……しっかりしてくれよレット。この宿にはこれから修理代から休業保障費、その他諸々で、莫大なお金がかかるんだよ? 僕らがじたばたしたところで、どうしようもない事なんだ」
「……じゃあ……どうするんだ?」
答えが分かっているのだろう、おそるおそるレットが僕に尋ねる。
「弁償費用はナスルさんに任せよう! ビズ一番の高級宿ともなれば、一般人の僕らに弁償出来る訳がないからね。幸い今回の件で死傷者はいなかった。人が死んだらどうしようもないけど、今回はモノが壊れただけだ、造り直せば良いだけなんだ。……むしろ僕らは老舗の宿にリニューアルをさせる、ちょうどいい切っ掛けをあげたんだよ!」
予想していたはずなのに、レットは唖然としている。
ナスルさんにはまた借りが出来てしまったが、僕らには僕らが出来ることをするしかない。
……それに、これ以上フェニィの落ち込んだ顔を見たくはないのだ。
「ほらフェニィ、次の宿に行くよ。今度は壊しちゃ駄目だからね?」
フェニィの手を掴んで無理矢理立たせると、フェニィは途端にスイッチが入ったように傲然と胸を張った。
うん、これでこそフェニィだ。
明日も夜に投稿予定。
次回、八十話〔冷気渦巻く温泉〕




