七十話 思い出のカナブン
団長とアイス=クーデルンの闘いは終わった。……いや、闘いとは呼べねぇ。
アイスの兄さんには、終始一貫して、じゃれてくる子供をあやしているような余裕があった。
それも、とんでもねぇ速度で猛攻を仕掛けてくる団長を相手にだ……この目で見ても信じられねぇ。
団長の方にしたって、和やかに会話をしながら笑顔まで見せながら、アイスの兄さんを殺そうとしてやがった……!
わしには親兄弟はいねぇが、家族との再会はこんなに殺伐としたもんじゃねぇ、ってことぐらいは分かる……。
団長たちが旧交を温めてる間に、すっかり冷たくなってそうな団員たちが気に掛かっていたが――アイスの兄さんが団員を一巡りしただけで、全員が息を吹き返した……ホッとしたぜ。
アイスの兄さんはわしのところにもやって来て、血が止まらないわしの唇に軽く手をかざしただけで、怪我を直してくれた。
わしが若い女だったら惚れちまいそうなくらいのイタズラっぽい微笑みを残して、アイスの兄さんは仲間の元へと戻っていく。
……ここ数日、アイスの兄さんと行動を共にして分かったことがある。
あの兄さんは最初に思ってたような悪人じゃねぇ。
むしろ性質は極めて善良な部類だろう。
ただ……途方もなく非常識なだけなんだ。
アイスの兄さんの常識は、常人のそれとは遠くかけ離れたところにある。
あの忌まわしき〔盗賊ミンチ事件〕の時もそうだ。
この世のものとは思えない凄惨な死体を見た、その晩のメシがよりにもよって――ハンバーグときてやがる……!
客人であるアイスの兄さんに作ってもらっておいて文句言うのはお門違いだと分かっちゃいるが……ニトのやつは泣きそうになってたからな。
しかもそんなニトを見たアイスの兄さんは、心配そうな顔をして――
「合挽き肉、嫌いでしたか……? そうだ、牛肉百パーセントでまた焼きますよ!」
――そこじゃねぇよ! ……と思ったが、混じりっけ無しの〔善意百パーセント〕の笑顔を見てると何かを言えるわけもねぇ。
それから翌日になっても幽霊みたいな顔をしたニトだったが――それがまずかった。
何を思ったかアイスの兄さんは「フェニィ、ちょっと付き合って」と言うなり、走行中の馬車から飛び降りた!
フェニィの姐さんも無言でそれに続く――焦ったのはわしとニトだ。
御者をやってたルピィの姐さんに慌てて馬車を止めるように訴え出るが、「大丈夫だよ~」と、まるで気にしちゃいねぇ答えが返ってくるばかりだった。
他の面子もまるで気にした素振りを見せないまま、絶望したわしとニトを乗せて馬車は走り続ける。
団長に何て言えば良いんだ……と、わしとニトは頭を抱えていたが一時間くらい経ったところで、走行中の馬車にも関わらず「とんっ」とアイスの兄さんたちが乗り込んで来るじゃねぇか……!
その顔は、ほくほくとして満足そう……あれから馬車は一度も止まってねぇのに、まさか走って追い付いてきたのか?
わしが戦慄しながら見守っていると、アイスの兄さんは驚くべきことを言った。
「いやぁ……もう見つからないと諦めかけてたら、フェニィが見つけてくれましたよ……ほら、これ。これは〔薬の加護〕を持っている魔獣なんですよ。これで体調の悪いニトさんも元気になりますよ!」
そう言って取り出したのは、どぎついショッキングピンクな色をした〔カナブン〕だった……。
「本当は生のまま食べるのが良いんでしょうけど、さすがにそのまま提供するような非常識なことは出来ないですからね。〔素揚げ〕にしてきましたので、どうぞ安心して召し上がってください!」
……アイスの兄さんの恐ろしいところは、自分は常識人だと思い込んでいるところにある。
これで悪意が全く無いというから恐れ入るぜ……。
嫌がらせをしているようにしか見えねぇが、本人はやり遂げたような顔で、にこにこしながらニトにカナブンを差し出している。
「い、いや、俺は腹ぁ一杯なんで……」
ニトは当然のように断ったが――途端にアイスの兄さんは悲しそうな顔になる。
「あ……すみません……勝手なことしちゃって、ご迷惑でしたね……」
泣きそうな顔をしながら、無理矢理のように笑顔を作るアイスの兄さん。
……うっ、なんだこの罪悪感は。
ニトは、ピンク色のカナブンを断っただけなのに……。
――だが、話はそこで終わらねぇ。
アイスの兄さんを慕う女性陣の雰囲気が、びりびりした刺々しいものに変わったのだ。
ミンチなお嬢さん、ジーレ嬢は、アイスの兄さんを悲しませたニトを「うーっ」と膨れっ面で睨んでいる。
さっきまでは楽しそうに事の成り行きを見てたルピィの姐さんは、アイスの兄さんには決して見せないような酷薄とした冷たい眼でニトを見ている。
そしてフェニィの姐さんが一番ヤバい。
顔は無表情のままだが、瞳が怒りに滾っている。
一緒に旅をしていて思い知らされたが、フェニィの姐さんは前触れもなくとんでもねぇ凶行をする人だ。
アイスの兄さんが止める間もなく、ニトの息の根を止められそうだ……!
「や、やっぱり頂いていいっスか? いやー、俺、カナブンが大好物なんスよ。
おいしそうだなー」
身の危険を感じたニトが棒読みで意見を翻す。
……それを同情するように見詰めているのは、唯一の常識人たるレットの兄さん。
それでも止めようとしないのは、アイスの兄さんに悪意が欠片も無いことが分かっているからなのか、下手に関わると自分も危ないと思っているからなのか……。
ニトの言葉を聞いて、アイスの兄さんの顔がパッと明るくなる。
「――そうでしたか! それならもっと獲ってくれば良かったですね! ささっ、ガリっといっちゃってください、ガリっと!」
……本当に悪い人じゃねぇんだ……本当に。
明日も夜に投稿予定。
次回、七一話〔家族紹介〕




