七話 出会い
「ここがコベットか……フェニィの魔力も抑えられるようになったし、練習しながらだと森からちょうど良い距離だったね」
「……ああ」
「森から近い街だし、フェニィのことを知ってる人もいるかも知れないから極力目立たないようにしよう。武神持ちの子供である僕も、公式には死んでいることになっているしね」
――十二年前、家族を失ったあの日を境に、当時六歳の僕と幼い一歳の妹セレンは、バズルおじさんの奥さんの実家に引き取られた。
バズル=ガータスは軍国第二軍団の軍団長で、〔盾神の加護〕を持つ神持ちの強者だったが、正気を失った僕の父さんから僕ら兄妹を守る為に眼前に立ちはだかり、その命を懸けて僕ら兄妹が逃げる時間を稼いでくれた。
あの日、隣に住んでいたバズルおじさんが異変に気付いて駆けつけてきてくれなかったら、僕ら兄妹の命は潰えていただろう。
それから奥さんのシークおばさんは鋭敏に事態を悟って、すぐに息子のレットと僕ら兄妹を連れて王都を出奔したのだ。
過去から今に至るまで、僕ら家族がこんなことに巻き込んでしまったにも関わらず、おばさんは文句も泣き言も、なにひとつ僕らに言ってはいない。
息子のレット=ガータスは僕の幼馴染で無二の親友だが、レットからも慣れない村での生活の愚痴すら聞いたことが無い。
……ガータス家の一族にはまったく頭が上がらない。
公式上では、母さんと僕ら兄妹は自宅を襲った強盗に殺された事になっている。
このまま死んだ事になっている方が、軍国を相手にするには好都合なのだ。
なんとしてもという訳ではないが、可能な限りは現状を維持しておきたい。
「フェニィの着ている服も近辺では珍しい帝国製の皮鎧だから、コベットで代わりの服を適当に見繕うよ」
「……わかった」
フェニィの皮鎧は歳月を経ているにも関わらず、驚くほど原型を留めている。
かなり高価な代物だと思われるが、少なくとも排斥の森の近くであるこの街では着用を控えてもらうのが無難だろう。
――それでなくともフェニィは長身で人目を引く美人なのだから、目立つ要素は少しでも抑えたいのだ。
僕は所持していた金銭を全て焼失してしまっているので、何はともあれ金策をする必要がある。
そこで、道中で狩った魔獣の素材を売れる買取屋を探して、コベットで人気の少ない路地を歩いていた時だった――
「へへへ……ねえちゃん、俺たちと酒場でも行かねえか?」
「俺たちの家でも良いんだぜ。あんたみてぇなイイ女、初めて見たからよぉ。お近づきになりてぇんだよ」
「とくに体が近づきてぇなぁ。ひぇぁひゃっひゃ!」
見るからに素行の悪そうな三人組だ。
まだ昼間だというのに酒が入っているのか、呂律も怪しい。
フェニィ一人ならともかく、僕も隣にいるのだが――僕は背丈がそれほど高くもなく〔母さん似の女顔〕ということもあり、この手の輩への抑止力にはなり難いのだろう。
粘着質そうな連中であるし、無視して通り過ぎるのも容易ではなさそうだ。
、仕方がないので気絶でもさせて転がせておこう、と考えていた時だった。
不意に男の一人が、フェニィの肩に手を伸ばした瞬間――
――ひゅん、と音が聞こえた気がした。
フェニィから光の線が走り、絡んできた男達を通過した直後、血の華が舞った。
男達の体は上下に分断されて、ぼとりと崩れ落ちた。
地面に転がる腕、頭。
壊れた蛇口のように湧き出す血、血、血。
人気の少ない路地は……今や惨劇の舞台となっていた。
「……あっ」
フェニィがついうっかりと声を上げたところをみると、意図したところではなかったようだ。
いつの間にか数メートルも爪が伸びており、ぽたぽたと血が滴っているのを見る限りでは、これは〔魔爪術〕によるものだと判断できる。
爪が伸びたというよりは、突然に現出したという感じだったので、あれは魔力を凝縮して爪状にしているのだろう。
フェニィが自身の為したことに驚き戸惑っているのを見て、僕はこんな状況にも関わらず、そのことに――お手軽感覚で殺人を犯したわけではなかった事に、心中で安堵してしまう。
殺戮時代が長かったから、少しでもイラっとするとすぐ殺してしまうのでは? などと、不謹慎なことを思索していたのだ。
――とはいえ、さすがに贔屓目に見ても過剰防衛甚だしいので、今後の為にも注意しておかなければならない。
「あの……フェニィ、さん。さすがに殺すのは、やりすぎだと思いますよ?」
ショッキングな絵面を前に、つい及び腰になってしまう僕。
「……すまない。体に触れられるのは、苦手だ……」
血の滴る爪を消失させ、申し訳なさそうに、自己嫌悪を噛み締めながら絞りだすような声に――フェニィが体に触れられ、洗脳術の支配下に堕ちたことを思い出した。
洗脳術は解けたが、未だに彼女の心は縛り続けられているのかも知れない。
「……私は殺すこと、ばかりだ……」
寂しそうに自嘲するフェニィの声を聞いた刹那――僕は衝動的にフェニィの手を握っていた。
「……っ! ……ア、イス……?」
フェニィは驚嘆していた。
当然だろう。つい今しがた、彼女に不用意に触れようとした人間が無残に地面に転がっているのだ。
彼女自身も体に触れられるのは苦手だと言ったばかりなのに、僕は声も掛けずにその手を握り締めたのだから。
――そして、フェニィと同じように僕自身も驚いていた。
これでは咄嗟に惨殺されていても文句は言えない。
最悪、僕が死ぬだけならまだしも、僕を殺してしまったフェニィの心にまた深い傷を作ってしまうことになる。
それでも、フェニィがこれから先も人との接触に怯え避けて生きていくことが、僕にはたまらなく嫌だった。
『人と繋がっても良いんだ』、『僕はフェニィを恐れない』、色んな言葉が頭を巡ったが、どれも本当に伝えたいことではない気がして、上手く言葉に出来ず……ただ、黙ってフェニィの手を握っていた。
フェニィはしばらくの間、驚き困惑しているように僕の手を見つめていたが――
ほんの少しだけ――ぎゅっ、と力を入れて握り返し、ゆっくりと手を離した。
……フェニィはなにも言わなかったし、僕もなにも言わなかった。