六十話 飲み込む海
そんなわけで、ナスルさんが話を通してくれていた地元の漁師に声を掛けたのだが……その態度は非協力的なものだった。
「お前たちだけで海に出るのか? 悪いことは言わんから止めとけ。海はそんな甘いもんじゃないぞ」
まだ若い僕らを心配してくれているようだが……これは困った。
ナスルさんの一人娘がいる事は聞いてないようだが、それを話したら余計に止められそうだ。
「もし間違って海にでも落ちたら、生きて陸に帰れなくなるぞ? 魔獣どもが群れをなして襲ってくるんだ、助けてやることだって出来ない。それに――」
――急に、ぶるっと震えた屈強な漁師は、言い掛けた言葉を呑み込んだ。
「…………」
待ちきれなくなって苛々し始めたフェニィに脅威を感じたのだろう――そう、陸にだって危険はあるのだ!
さすがは危険に敏感な漁師と褒めるべきだろう……鋭敏に身の危険を察している。
「ま、まぁ本当に気を付けろよ。あまり沖には出るなよ」
急に物分かりが良くなった漁師に案内されて、僕らは桟橋に係留されている小舟にやってきた。
競いあうようにフェニィとジーレが舟に飛び乗り、ぐらぐらと揺れる舟――それは、不安定な未来を暗示しているかのようだった。
……幸先に不安を感じつつも、僕らは大海原に舟を漕ぎだした。
とはいえ、あまり遠くに行くわけにもいかない。
僕らだけではなくナスルさんから預かっているジーレもいるのだ。
遠くに砂浜が見えるくらいのところで舟を止めて、早速網を降ろすことにする。
「この二本のロープは離しちゃ駄目だよ。このロープを陸地まで持っていって網を引き揚げるから」
ロープの先の網は円筒状、袋のようになっており、二本のロープを砂浜で引くことで魚を取り込むのだ。
網を降ろしたくて仕方がなさそうなフェニィたちに網を渡し、僕は何気なく海面を見てみた。
――舟の周囲には魚が集まっている。
いや、舟に寄ってくるぐらいだから魔獣だろう。よく見れば奇形の魚が多い。
網に掛かるなら普通の魚がいいな……そう思いつつ、舟から手を伸ばして、ひょいと掴み取ってみた。
眼が四つあるアジ。うん、やっぱり魔獣だ……。
僕が魚を掴むのを興味津々で注視していた二人に説明しておこう。
「魚を殺す時は、いつもみたいに手で握り潰したら駄目だよ。出来なくはないけど身も潰れちゃうからね。魚はこうやって――エラの横、この辺に刃物を突き刺すんだ」
そう言いながら僕は、〔魔爪術〕の爪を魔獣に突き刺した。
フェニィ得意の魔爪術はイメージが容易なせいか使い勝手が良く、僕も重宝しているのだ。
「殺した後は水に浸けて血を抜くんだけど、ここでやると魔獣が寄ってくるから後にしよう」
「……ん」
フェニィも早速やってみたくなったのか、あっさりと海中の魔獣を掴み取る。
ジーレも捕まえようと悪戦苦闘している。
それに僕は気を取られた――それが失敗だった。
フェニィが掴んだ魚はつるん、と手の中から逃げ出し甲板の上に落ちる。
そこにフェニィの爪が襲いかかる――
――バキッッ!
ああっ! 舟に穴がっ……!
勢い余ったフェニィの猛爪は、魚と一緒に小舟の息の根をも止めていた。
まずい……これは致命傷だ。
舟が沈んでしまう――フェニィとジーレは泳げないのに……!
「――ルピィ、アンカーを!」
僕は咄嗟に指示を出した。短い指示にもルピィの反応は早い。
「みんな、頭下げてて!」
舟に付属していたアンカーを、ロープでぐるぐる回してから砂浜に投げつける!
――ドゴンッ!
鈍く重い音が、遠く離れたここからでも聞こえた気がした。
そして、突如として海から飛来したアンカーに、砂浜にいた人々はパニックになっている……!
――しかし、そんな事を気にする余裕は無い。
僕はルピィに指示を出すと同時に、履いていたズボンを脱ぎ出していた。
もちろん危機的状況に種を残そうという本能に駆られたのではない。
脱いだズボンの足先をそれぞれ縛り、即席の〔浮き袋〕を作るためだ。
「フェニィとジーレは、これを浮き袋にしながらアンカーのロープを伝って砂浜まで行ってね。僕とルピィが魔獣の襲撃から守るよ」
海に魔獣がいなければ、僕とルピィで二人を抱えて泳げばよかったのだが、手が塞がると魔獣に対応出来なくなってしまう。それに――
「――フェニィ、この網と繋がっているロープも持っていけるかな?」
そう、僕はまだ地引網を諦めていないのだ!
「……いいだろう」
自分で舟を沈めておいてこの態度……さすがはフェニィだ!
それから僕たちは、じゃぶじゃぶと少しづつ砂浜に近付いていった。
魔獣は、ひっきりなしに襲いかかってきたが、僕とルピィの堅いガードを破ることはできない。
フェニィたちは、最初のうちこそ浮き袋に掴まりながらロープを少しづつ手繰り寄せていた。
だが、段々と余裕が出てきたのかバタ足を使いだし、砂浜に着いた頃にはすっかり普通に泳いでいた――いったい彼女たちの運動センスはどうなっているのか?
フェニィに至っては、ロープを持ったまま器用に泳いでいるではないか……。
僕らが陸に辿り着いた時には、砂浜には誰もいなくなっていた。
アンカーを勢いよく飛ばした上に、魔獣がひしめいている海を普通に泳いできたのだ……恐がらせてしまったかもしれない。
「いやぁ……びっくりしたね。まさか舟が沈むとは思わなかったよ」
「…………すまない」
えっ!?
僕の素朴な感想(嫌味ではない)に、フェニィが素直に謝罪している……。
ロブさんを殺しかけた時も「殺してないぞ」などと反省の色を見せなかった、あのフェニィが……!
思えばフェニィが謝罪するなんて――うっかり僕の荷物を全焼させた時以来じゃないか?
そう考えると舟の一艘や二艘ぐらい沈むことなんて、大した事ではないぞ!
「……ボクがビックリしたのは、あんな状況でもアイス君が地引網を諦めてなかった事だよ……」
「ま、まぁ、まだ余裕があったしね。フェニィが網のロープを持ってきてくれたおかげで、何の問題も無く続きが出来るよ」
「……ああ」
戦果を評価してあげると、あっという間に胸を張って元気になるフェニィ。
「問題が無い?」と呟く、ルピィの声は気にしない事にする。
「それで……僕のズボンも返してもらえるかな?」
僕は未だにパンツ一枚の姿だったので、おずおずとフェニィが持っているズボンを要求する。……途中からフェニィたちが泳げるようになったので、むしろ邪魔そうにされていたのだ。
とりあえずは、網のロープを固定しておき――僕らは火を起こして服を乾かす。
服に塩が残っている上に、かなり潮臭くなってしまったが、濡れたままでは風邪を引いてしまう……ジーレが。
僕らはナスルさんからジーレを預かっているのだ。
風邪なんか引かせる訳にはいかない。
――もう手遅れなくらい危険な目に遭わせてしまったが、幸いジーレは刺激的な冒険を心から楽しんでくれていたようである。
焚火にあたりながらご機嫌そのものだ。
紆余曲折あったものの、泳ぐことも出来るようになったし、いい事ずくめで全てが丸く収まった訳だ。
きっとナスルさんも感謝してくれるに違いない……!
「――それじゃあ、みんなで網を引いてみようか。力のバランス的に……フェニィが一本引いて、僕ら三人が残りの一本を引くぐらいでちょうどいいかな?」
一人でロープを引くことになるフェニィが不満そうだったが、怪力無双のフェニィさんなら一人で大丈夫だろう。
重くて無理そうなら人を呼ぼうと思っていたが…………四人であっさりと網を引くことが出来たので一安心だ。
縄張り意識の強そうな僕の仲間たちが、他人の手助けを受け入れるか心配だったのだ。
そして結果は――
「――すごい、すごいよー! すっごくたくさん魚がいるよー!」
予想以上の大戦果だった。
多種多様な魚がびっしりと網に掛かっていた。
心配していた魔獣もそれほど多くはない。……全体の二割ぐらいが魔獣だろうか?
これだけ普通の魚がいれば、わざわざ怪しげな魔獣を食べる必要は無い。
リリースならぬ駆除をすることで、ポトの海に貢献しよう。
「結構大漁だね、アイス君。食べきれないくらいあるけど、残りはどうするの?」
「それなんだけど……僕らで必要な分だけもらっておいて、残りは舟を貸してくれた漁師さんに譲ろうと思うんだけど、どうかな? 舟を沈めちゃって怒られるかもしれないしね」
「そりゃ怒られるでしょ……。でもまぁ、結構な量があるから、少しは弁済の足しになりそうだね。」
「…………」
フェニィは少し惜しそうにしているが――拒否する権利など与えない……!
そんな訳で早速、目ぼしい魚を頂く事にする。
新鮮な獲れたての魚なので、刺身を中心としよう。
アジやサバ、ブリなどからイカなんかもあり、ちょっとした海鮮パーティである。
焚火で軽く一炙りして食べたり、汁物なんかも作ってみたが、どれも皆に好評なようで専属料理人の僕も大満足だ。
フェニィは「この砂浜に住む」と言い出しそうなくらい、海の恵みに瞳を輝かせている。
ジーレも、自分で苦労して獲った魚ということもあり、フェニィと一緒にはしゃいでいる。
なぜか僕らしかいない砂浜にジーレの楽しそうな声が響く。
うむ、実に微笑ましいではないか。
しかし、美味しい部位だけ贅沢に切り落として食べていたが、一向に魚が減っていないので――当初の予定通り、残った魚を漁師に譲り渡すこととなった。
その際、沈めてしまった舟の弁償も提案したのだが、魚を貰えれば十分だと言われて固辞されてしまった。
気のせいだろうか、もう僕らと関わり合いになりたくないという強い意志を感じる――もしかして、ルピィが投げたアンカーの近くにこの漁師がいた事が関係しているのだろうか……?
……また僕らの悪評が増えた気がしてならない。
明日も夜に投稿予定。
次回、六一話〔親友との再会〕




