五九話 魔の海
今日、明日が〔海回〕となります。
「わぁ……すごーい。これが海なんだねー! 」
僕らは、かねてからの約束通り、ジーレと一緒に海に来ていた。
港街で生まれ育っていたにもかかわらず、初めて海を見たジーレは、今にも海に駆け出して行きそうだ。
ちなみに、僕らがジーレを外に連れ出すのはナスルさんに歓迎されている。
軍国でも屈指の権力者〔ナスル王〕の娘という事で、本来ならば軍の人間や無法者たちに危害を加えられる恐れはあるが、僕たちが一緒なら何も問題は無いという事だろう。
実際、僕たちと行動を共にするのは、そこいらの要塞に籠るよりよほど安全だ。
なにしろ僕らは他人の害意に敏感なのだ。
この面子を相手に奇襲の類は、まず成功しないだろう。
……フェニィなんかは、害意のない相手にだって苛烈に反応するくらいだ。
むしろ、フェニィがついうっかりジーレに危害を加えることを心配しているくらいである……。
――なんだかんだで僕も海に来るのは久し振りだ。
ポトを訪れてすぐにナスル城に滞在する事が決まったので、海に来る暇が無かったのだ。
濃厚な潮風、広大な海に、心踊らせているのはジーレや僕だけではない。
おそらくは僕らの中で一番、今日という日を楽しみにしていたのは――フェニィだ。
研究所生まれ、森育ちのフェニィは、もちろん海を見るのは初めてだ。
……とはいえ、海といってもフェニィの期待するところは海で泳ぐ事ではない。
ちなみに海そのものは、魔獣の巣窟であり気軽に泳ぐのは不可能ではあるが、海の水を引き込んだ遊泳場が隣接しているので、泳いで遊ぶこと自体は可能だ。
実際、泳ぐことにもフェニィとジーレは興味があるようだったが、ルピィが難色を示したので今回は見送りとした。
ルピィが泳ぐことを――いや、水着になることを嫌った理由は、大人である僕は詮索などしない……。
では、フェニィの目的は何なのかと言えば――
「……ここに、魚がいるのか」
ぼそっと呟くフェニィの横顔を見て、僕の胸はドキドキしていた。
強すぎる胸の鼓動は痛みすら感じるほどだ。
僕が注視していると……フェニィは魅入られたように、おもむろにその手を――
「――ストップ!」
予想していた僕は即座に「待った」をかけた。
「今、炎術を使おうとしたね?」
禁止している炎術をさりげなく使おうとした事を咎める。
危なかった……もう少しで未曾有の大災害を引き起こすところだった。
……ルピィがフェニィの蛮行の予兆に気付かなかったせいか、少し悔しそうにしている。
ふふっ甘いな、ルピィ。
フェニィ観察の第一人者である僕からすれば、新しい環境でフェニィの一挙手一投足に集中するのは常識なのだ。
暴挙を止められたフェニィは、拗ねているように言い訳をする。
「……水を無くさないと、魚が取れないだろう」
『水を無くさないと魚が取れない』――なんという斬新な発想だろう!
それはまさに天災……いや、天才の発想だ。
しかし僕は、〔天災フェニィ〕の斬新で奇抜な発想を阻止しなくてはならない。
どんな事が起きるかは分からないが、導き出される結果は、周辺の漁業関係者に多大な迷惑を掛ける結果になる――そんな予感をひしひしと感じたのだ。
「海に向けて炎術は止めておこうか……いや、絶対に駄目だよ。普通は、曲げた針に魚を食いつかせて釣り上げたり、あとは……大きな網でひと掬いにしたりするね」
フェニィに釣りを教えようかと一瞬考えたが、〔我慢出来ざること活火山の如し〕であるフェニィに、地道な釣りは絶望的に向いていない気がしたので、すぐに断念した。
ルピィも飽きっぽいところがあるので、同じく向いていないだろう。
そもそもこの二人なら、素潜りで魚を鹵獲する事も可能だろうけど、さすがに魔獣が跋扈する海に潜るのは危険すぎる。
自由に泳ぎ回る〔神獣クラス〕が出現したら、さしものこの二人でも危ないはずだ。
皮肉なことにこのメンバーでは、一番年下のジーレだけが、我慢する事が出来る〔釣り向き〕の人材なのだ……。
ここは我慢の出来ない年長二人の為にも――アレしかない。
「ナスルさんに頼んで小舟を手配してもらったから、網で漁をしよう」
僕に抜かりは無い。
海に行くと決めてから、早急にナスルさんにお願いしてあるのだ。
ナスルさんには怪訝な顔をされつつも、快く認めてもらっている。
……娘と海に行くという話から、なぜ〔漁〕の話になるのだ? という疑問が尽きない様子だったが、それは些細な事だ。
「舟!? 乗りたーい!」
「……」
年少(?)の二人は、興奮を隠せない様相で海に出る事を喜んでいる。
フェニィとジーレは泳いだ事がないらしいので、留守番を頼もうと思っていたのだが……とても言い出せる空気では無い。
まぁ、泳ぐわけじゃないし、いいかな――
「じゃ、四人で海に出ようか。少しだけ沖に出てから網を海に落として――陸に戻って網を引こう」
――そう、地引網漁だ。
四人しかいないが、フェニィは力持ちだし何とかなるだろう。
無理そうなら、地元の漁師に協力してもらえばいいのだ。
「まさかボクの人生で、地引網をする日が来るとは思わなかったよ……アイス君の発想には脱帽だね」
文句を言っているようで、ルピィの顔はニコニコで乗り気である。
僕が非常識みたいに言われているが、これは消去法の結果で残った選択肢に過ぎない。
それに僕だって旅に出たばかりの頃は、神持ちの三人と地引網をする事になるなんて想像もしていなかったのだ……。
明日も夜に投稿予定。
次回、六十話〔飲み込む海〕




