五六話 発散
ナスルさんたちには部屋まで案内してもらってから下がってもらう。
こんこん、とノックをして僕らが部屋に入ると、座っていたジーレが立ち上がって僕らを迎えてくれた。
もうベッドで寝ている事もないようだ……よかった。
「おにぃちゃん!」
「やぁ、もうすっかり元気そうだね」
セレンは僕を「おにぃちゃん」とは呼んでくれないので、なんだか新鮮な思いがある。
相変わらずジーレは、セレンと同じ歳とは思えないくらいに小さな身体だが、前回見た時よりも血色が良く、見違えるように活発な印象だ。
きっとこれが本来のジーレの姿なのだろう。
現時点では、ジーレの髪は生気の少ない白髪だが、いずれは生来の銀髪に戻るかもしれないとも聞いた。
止まっていた時間を、これから取り戻していく事になるのだろう。
ジーレは、とたとたと走ってきて――僕の体にぎゅっ、と抱き着いた。
「おにぃちゃん、ジーレを治してくれてありがとう……」
「ぐぇっ……」
僕を抱き締めるその力は想像以上に強かった……。
これは普通の人なら肋骨が粉砕しているレベルだ――さすがは神持ちだ……!
「ちょ、ちょっと、ジーレちゃん、アイス君が苦しそうだから離してあげて!」
「ご、ごめんなさい、おにぃちゃん……」
ルピィの制止する声で力を緩めるジーレ。
「……いいんだよ、僕は体が丈夫だからね。でも、他の人にはやらない方が良いかもね」
僕は、口から出てはいけないものが出そうになっていたが、子供を責める訳にはいかないので咎めるような事はしなかった。
……しかし、被害者が出てはいけないので釘を刺す事は忘れない。
一通り自己紹介を済ませた後、ジーレが目敏く気付く。
「あれ? おにぃちゃん、今日はスカートじゃないの?」
うっ……前回対面した時は女装をしていたので、そういう趣味だと思われていたのか……?
「アイス君はね、いざという時にしかスカートを履かないんだよ」
すかさずルピィが、フォローなのか陥れようとしているのか分からない事を吹き込む。
聞きようによっては、スカートが〔正装〕のように受け止められてしまう気がする……。
「もう……履くことは無いんじゃないかな。……それより、ジーレは元気になったら行ってみたい場所とかある?」
スカート事情の説明をすると煩雑になるので、僕は話題を変えた。
ジーレは以前から決めていたのだろう、迷いもなくキラキラ光るような笑顔で言った――
「おねえちゃんと海に行くの!」
おねえちゃんとは、聞くまでもなく――あの呪神の侍女のことだろう。
朗らかだった場の雰囲気が、一転して重みを帯びる。
……言わなくてはいけない、僕が伝えなくてはいけない。
「…………ジーレ。あの人は……君を病気にしていたんだ」
「――うそつかないで」
――ジーレの反応を見て、僕はある確信を得た。
この子は薄々、侍女がやっていたことに感付いていたのだ。
僕が何を言っているのか分からない、という反応ならまだしも――ジーレはすぐに否定の言葉を上げたのだ。
……考えてみれば、十年もの間まったく疑念を持たなかったとは思えない。
呪術を掛けられるという感覚はどのようなものかは分からないが、侍女の行動に違和感を覚えた事もあったのではないか?
おそらくは違和感より、侍女への信頼の方が勝ったのだろう……それでも、僕は止めるわけにはいかない。
ジーレに嫌われても、憎まれても、真実を伝える必要がある。
「……僕がジーレに使ったのは解術、呪いを解く術だよ。君は呪術に侵されていたんだ。――そして〔呪神の加護持ち〕のあの侍女が……君に、呪術を使っていたんだ」
「……うそつかないで!」
ジーレは同じ言葉を悲鳴のように叫んだ。
きっとジーレは残酷な真実を認められない――認めたくないのだ。
僕もルピィも、ジーレに掛ける言葉を言いあぐねていたが――フェニィが告げた。
「……あの女は、薄汚いクズだ」
あまり汚い言葉を使わないフェニィには珍しい、辛辣な言葉だった。
「――おねえちゃんを悪くいうなぁぁっ!!」
ジーレはフェニィに掌を向けるのと同時に、魔術を発動する――
――フェニィの周囲の空気が歪んでいる。
まさか、触れずに重術を行使しているのか……!?
「…………」
ズシン、と幻聴が聞こえてくるようだ。
フェニィの足元に、波紋のようなひび割れが広がっている。
どれほどの荷重が加えられているのかは分からないが、フェニィは呻き声一つ上げない。
……ジーレを気絶させてでも止めよう、と動こうとして――フェニィの視線に止められた。
横を見れば、ルピィも初動の態勢で動きを止めている。
「…………」
フェニィは何も言わない。
何も言わずに、ただ、じっとジーレを見ているだけだ。
その眼は、重術の痛みも感じさせなければ、ジーレに対する怒りの感情も感じさせない。
ただ純粋に……透明な透き通った瞳で、ジーレを見据えているだけだ。
――耐えきれなくなったのはジーレだった。
「……ぅぅっ……! なんで、なんでなのぉ……!」
それは、フェニィに言っている言葉ではない。
ジーレは、あの姉と慕っていた侍女に言っているのだ。
いつしかフェニィへの重術は消え……ジーレの泣き声だけが残った――
「――ごめん……なさい」
「……ああ」
ジーレはひとしきり泣いた後、フェニィに謝った。
フェニィはまるで気にした様子も見せずに、沈黙し閉ざしていた口を開いた。
……フェニィは強い。身体面だけではなく――その心も強い。
自分があえて悪者になることで、ジーレのやり場の無い感情を自分にぶつけさせた。
心に渦巻いていた激情を自分へと発散させる事で、ジーレの心を安定させたのだ……嫌われても構わないという覚悟が、僕なんかよりずっと強かった。
明日も夜に投稿予定。
次回、五七話〔褒賞〕




