五十話 勝ち名乗り
「……その女を、牢に連れていけ」
ナスル王は信頼していた人間に手酷い裏切りを受けたせいか、憔悴し疲れきった声で部下に命令を下した。
先の騒ぎで多くの部下が集まってきており、彼らもまた侍女の〔自白〕とも言える発言を聞いていたので、動きに迷いが無い。
フェニィの締め上げによって、命こそ失わずに済んだものの――白目を剥いて気絶している呪神の侍女が連れて行かれ、再び寝室には僕たちだけとなった。
ナスル王は三十代のはずなのに、この一連の出来事の影響で二十年は老け込んだような顔をしている。
――それでもナスル王は、気丈な態度で僕らに問い掛けた。
「……君たちは一体何者なんだ?」
さすがに解術の術者であるはずのフェニィが、呪神持ち――神持ちを圧倒したとなれば疑問に思うのも当然だ。
先ほどフェニィから漏れ出た魔力も、ナスル王に命の危険を感じさせるには十分だったであろう。
ナスル王は苦々しい表情でルピィの方を見ながら先を続けた。
「それに、お前は軍国と繋がっていたのか……?」
手紙の一件で、侍女がカナリア――ルピィを睨みつけていたのを、見てのことだろう。
事ここに至れば、これ以上隠しておく必要もない。
僕はナスル王に告げる。
「その人は、ナスルさんが知っている男ではありませんよ」
ナスル王は「言っている意味が分からない」と伝えるように首を傾げた。
頃合いと見て――僕はルピィに目配せをする。
ルピィは「待ってました!」と言わんばかりの素早い動きで、変装を解き放つ――
「初めましてナスル王。ボクの名前はルピィ――〔盗神〕ルピィ=ノベラークだ!」
ルピィはノリノリだ……。
きっと以前から「実は僕の正体は……」というのを、やってみたかったのだろう……。
その表情は、僕の弱味を見つけた時のように眩き輝いている……!
……さりげなく〔盗神〕である事も明かしてしまっているが、ナスル王とは将来的に手を組むつもりなので良しとしよう。
ナスル王は驚愕のあまり固まっている。
よく見知っているむさ苦しい男が、突然元気で可愛らしい女性に変身したのだ――驚かない方が不自然である。
しかもその女性は〔盗神〕を名乗っているとなれば、思考の処理が追いつかないのも仕方がない……。
……そして更にルピィは追い打ちをかける!
「そしてこっちが――」
言いながら、フェニィを指し示す――
「……〔炎神〕フェニィ=ボロスだ」
フェニィが傲然と胸を張りながら、さらなる爆弾を投下する。
――なんだこれは!?
ルピィの名乗りに、フェニィまでもが乗っかっている……!
二人で事前に打ち合わせでもしていたのだろうか?
……僕は聞いていないのに。
僕は疎外感を覚えつつも脳を疾走させた。
仲間たちのこの勢いを殺してはいけない――僕もこの波に乗るんだ!
「そして、何を隠そうこの私――いや、僕こそがサーレ=クーデルンが息子、アイス=クーデルンです!」
僕は変装を解除しつつ、調子に乗って名乗りを上げた。
僕だけが神持ちではなくインパクトに欠ける気がしたので、母さんのこの街における〔威光〕に縋ることとした。
きっとその光は七色に輝いていることだろう――そう、親の七光りとは僕のことだ……!
スカートを履いたままではあるが、僕はごく自然に悠然と振舞っていた。
「げえぇっ!? サーレさんの息子だと! たしかに顔が生き写しのようではないか……。しかし、サーレさんもその子供も亡くなったと聞いているが……?」
『げえぇっ』って、想定以上に激烈な反応が返ってきたな……。
この街で育ったのなら母さんの事を知っているだろう、ぐらいに思っていたが、どこか脅えのような感情が見受けられるのは何故だろうか……?
――そして僕の名乗りに対する反応が一番大きかったので、ルピィたちが悔しそうだ……別に勝負している訳ではないのに。
なんとなく勝ち誇った顔をしてみたら、ますます悔しそうな顔になった……うん、ちょっとだけ満足だ。
――――僕は、父さんが洗脳術に囚われて母さんの命を奪ったこと、父さんを救う為に仲間を探していることなどを、ざっとナスル王に説明した。
母さんの最期を伝えると、ナスル王は噛み締めるように呟いた。
「……サーレさんが……そうか」
母さんの知り合いだったのであれば、母さんの命を奪った僕の父さんに対して複雑な感情があるのだろう。
それでも、息子の僕の前では何も言えない――そんな感情の機微を感じた。
「……ともあれお嬢さん――ジーレちゃんの治療をしてしまいましょう」
呪術の術者が消えた以上、数日も経てば快癒するかと思われるが、相手は〔呪神〕だ。常識が通用しない可能性もある。
そしてなにより――これ以上、この小さな子供を苦しませる訳にはいかない。
「……治療出来るのか?」
ナスル王は懐疑的な声を出す。
「僕たちはナスルさんにいくつか嘘を吐いていましたが、ジーレちゃんを治しにきた、というのは本当です。……僕は母さんと同じ〔治癒の加護〕を持ってますから」
いくつか嘘を吐いていたどころか、真実を探す方が難しいぐらい僕らは虚構にまみれていたが、そんな事はおくびにも出さずに僕は告げた。
――医者が堂々と自信を持っていなければ、患者を不安にさせてしまうのだ……!
最終的には母さんの名前を出したのが効果的だったのか、ナスルさんは「……頼む」と、僕に任せることを了承してくれた。
――僕はジーレの傍らに立っている。
本当に幼く痩せ衰えた身体だ。
僕は後天的と思われる真っ白な髪へと優しく触れる。
ジーレは神持ちだが、フェニィの時と違い無抵抗であるので、僕の魔力量なら解術は容易のはずだ。
ジーレを蝕む呪いを消し去る為に意識を集中する。
送りこんだ膨大な魔力の奔流は、ある臨界点を越えたところで、浴槽に溜まった水を抜くように勢いよく流出した。
同時に僕に記憶が流れこんでくる――それは、痛みの記憶だった。
――――。
――身体が痛い。
体内から水分が蒸発していくような、乾いていくような、耐えがたい痛み。
身体に触れる布団が痛い、皮膚に触れる服が痛い。
視界に映るのは、僕が見たときよりも更に幼い小さな身体だ。
この子はこんなに小さな頃から、これ程の痛みに曝されていたのか――
「いたいよ……おねえちゃん」
ジーレが呻くような声で訴えかける。その眼が見上げるのは……あの呪神の侍女だった。
「ジーレちゃん……」
侍女は、心から労るような声音でジーレに声をかける――ゾッとした。
自身で酷い目に遭わせておきながら慈しむような態度を取るこの侍女に、怒りよりも憎しみよりも――ただ、恐怖を感じた。
僕と同じイキモノだとは、到底思うことができない。
以前に出会った〔呪の加護持ち〕も性格破綻者だったが、この女は輪をかけて酷い。……コレは人として必要な感情を持っていない。
こんなものが、僕とセレンが生きているこの世界にいてはいけない――そう、思った。
それでもジーレの胸中にあるのは侍女への信頼の感情だ。
全身を蝕む痛みの中で、侍女に縋るような気持ちを向けていた。
――ひどすぎる。
これではジーレがあまりに不憫で、あまりに報われない。
……侍女の欺瞞に満ちた慈愛の眼差しを視界に入れていると、僕は発狂しそうになる思いだった。
解術の術者としてこれを受け止めるのは僕の責務だが……肉体の苦痛よりも、ジーレの想いが、ただただ辛かった――
――――。
――長い悪夢のような時が終わり、僕の意識は現実へと回帰した。
ジーレも目を覚ましたようだ。
その眼からは涙がぽろぽろと流れている――僕の記憶を見て泣いてくれている、それが僕には分かった。
錯覚かもしれないが、解術の直後は相手の心が自分の心になったような気がするのだ。……他の解術士に聞いてみたことはないが、皆そうなのだろうか?
「おにぃちゃん……泣かないで」
目覚めたジーレの第一声がそれだった。
僕はまたもや泣いていたようだ……まったく情けない。
僕は何故こんなにも弱い人間なのか。
ジーレの記憶を垣間見ただけの僕に――同情して泣く権利などありはしないのだ。
「――僕は泣いてないよ……それより身体の具合は大丈夫?」
僕はかなり強引に誤魔化した。
僕の事など、どうでも良いことなのだ。
「うん。……おねぇちゃんはどこ?」
――言葉を紡ぐ事ができなかった。
この子はまだ、あの侍女を信頼して慕っている。
そんな子に何を言えば良いのか分からなかったのだ。
正直にあの侍女の悪行を伝えるには、ジーレはまだ幼すぎるように見えた。
……かといって、この子を騙すような真似はしたくなかった。
どうしてこんな小さな子が、これ以上傷つかなければならないのか……理不尽な現実に、応えを返せず――唇を噛み締めて、泣く事しかできなかった。
……見かねたナスル王が口を挟む。
「あれは今、遠くに出掛けているんだ。……それより、まだ疲れているだろう? もう少し寝ていなさい」
「うん」と短く返事をしたジーレは、すぐにまた眠りに就く。
まだ辛いのに、無理をして話をしていたのかもしれない。
……ジーレがもう悪夢を見ることはないだろう――彼女の長い夢は、もう終わったのだから。
第三部終了。次の投稿は、12/24 0:00過ぎを予定しています。
次回、五一話〔古参との対立〕




