三九話 母の痕跡
足掛け三カ月ほどで僕らはポトの港街に辿り着いた。
僕らの足を考えれば時間が掛かりすぎていると言えるが、ルピィもフェニィも善意で僕に協力してくれているのだ。
その行動を急かすなどと出来ようはずもない。
だから、フェニィがポトに着くなり、がじがじとサケの干物をかじり出したのを見ても、何も思うところはないのだ……。
旅の途中で魚の干物が無くならないようにセーブして食べていたのも知っているし――干物が底を尽きそうになってから、突然フェニィが旅の足を早めたのも、僕は気にも留めていないのだ……!
「デッカイねぇ……もう完全にお城じゃん、あれ」
ルピィが言及しているのは、この港街の領主ナスル=テングレイこと〔ナスル王〕の自宅のことだ。
ナスル王と呼ばれているだけあって、その自宅は完全に〔城〕にしか見えない。
軍国の王城と比べても見劣りしない雄大なその居城は、周囲の塀の周りをさらに深い堀で囲んであるばかりか、見張り塔のようなものまで散見できる。
巨大な正門では、槍を持った男が正門左右の脇を固めており、「この土地は絶対に売らん!」と強引な地上げにも負けない頑固なお爺ちゃんのような、強い拒絶の意志を発していた。
「これは想像以上に厳重そうだね。……この様子だと、僕がのこのこ訪問しても門前払いされるのは間違いない。まずは宿でも取って、食事でもしながら作戦会議をしようか」
「うんっ」
「……いいだろう」
二人とも、一も二もなく賛成してくれた。
僕には分かる――ルピィは「作戦会議」みたいな、わくわくフレーズが好きなのだ。
フェニィはと言えば、街に入った瞬間から食事処や酒場に注意を引かれており、気もそぞろだったのだ。
二人の言外の希望に応えられたおかげか、二人とも上機嫌な様子だ。
……実に幸先の良いスタートではないか。
僕らは逃げるように街を去るパターンが多いので、この街ではそんなことが無いようにしたいものである。
そして宿に併設されている食堂で――食事を始めてすぐのことだった。
「――あんた、もしかしてサーレちゃんの娘さんかい?」
束の間、僕は動揺した。
なぜ食堂のおばさんから、僕の母さんの名前が出るのだと。
僕の母さんは王都の大教会で〔神官長〕をしていたので、王都では僕の母さんのことを見知っている人は多い。
だが、王都から遠く離れたこの街で、教会関係者でもない食堂のおばさんが母さんの事を知っているというのは不可解だった。
加えてこの人は、母さんのことを「サーレちゃん」と呼んだのだ。
明らかに母さんのことをよく知っている雰囲気だ。
……母さんの旧い友人なのだろうか?
僕には聞きたい事が沢山あったが、慎重に応えを返す。
「母をご存知なのですか? 僕は息子のアイスと言います」
念の為にクーデルンの姓を伏せて、名前だけを簡潔に名乗った。
……そしてさりげなく、娘ではなく息子であることのアピールも忘れなかった。
「やっぱり! ご存知もなにも、この街でサーレちゃんの事を知らないやつなんかいないよ! サーレちゃんは子供の頃から有名人だったんだから」
この街は母さんの故郷だったようだ。
母さんから故郷の話は軽く聞いたことはあったが、この街がそうだったとは思いもよらなかった。
この街のナスル王は軍国と敵対関係にあることだし、軍団長の身内としては、この街出身であることは大っぴらに言えない事だったのかもしれない。
「サーレちゃんは小さい頃からこの街の悪ガキ共をまとめあげててねぇ……〔治癒の加護〕を持ってるって分かった時はびっくりしたもんだよ。しかも教会に入って王都に転属になったかと思えば、若いのに神官長になったってだけじゃなく――あの武神様と結婚だなんて!」
母さんはガキ大将だったのか……思わぬ過去が開陳されてしまった。
母さんらしいといえばらしいので違和感はないのだが。
「武神様の家族は、強盗に遭って全員亡くなったって聞いてたけど、生きていたんだねぇ……」
食堂のおばさんは涙ぐんでいる。
たしかに軍国の公式発表では、武神の家族は全員死んでいることになっているので、おばさんからすれば僕は亡霊のようなものだろう。
「…………サーレちゃんは?」
僕が生きていた事で、母さんも生きているのでは? と、一縷の望みを持って聞いたのだろう――僕はそれに、無言で首を振ることで答えとした。
「……そう。この街に来たのも何かの縁だろうし、困ったことがあったら何でも言いなさいな」
そう言い残して、食堂のおばさんは去っていった。
本日21:30頃に、もう一話投稿予定。
次回、四十話〔伝授〕




