三五話 神獣
王都からポトまではかなりの距離がある。
大陸でも南寄りにある王都に対して、ポトは北の海に面している為だ。
乗り合い馬車を乗り継いでいっても三カ月はかかるのだ。
元々、僕とルピィが二人で旅をしていた時から乗り合い馬車はあまり利用していなかったが、フェニィも加えた三人になってからは一度も馬車を利用していない。
……言うまでもなく、トラブル予防の為だ。
フェニィは普段の破天荒な行動からは想像しづらいが、あれでなかなか賢く聡明ではある。……だが、びっくりするくらいに対人トラブルが多いのだ。
しかしフェニィばかりも責められない。
何もしてなくても、フェニィは不逞な男たちによく絡まれてしまうのである。
きっと、美人な女性がぼーっとしているように見えるせいだろう。
実情はかけ離れているが、一見するとフェニィは隙だらけに見えてしまうのだ。
フェニィは力にせよ魔術にせよ、未だに手加減が苦手で、彼女が下手に反撃すると大騒ぎになってしまうことから――最近では、僕かルピィが間に入ることで、穏当に引き下がってもらうパターンが主流になりつつある。
ルピィが男扱いされた事に激怒してしまい暴力を振るってしまう、という二次災害が発生する事もあるので、極力、僕が対応するようにはしているが……。
フェニィの今後の為にも手加減を教えておいた方がいいな……そう僕が思索していると、思索対象たるフェニィが急に口を開いた。
「……魚がいる」
――魚? 何を言っているんだろう?
フェニィが魚好きなのは知っているが、まだ港街のポトまでは距離がある。
近くに川が流れている訳でもないのだ。……近頃、好物の魚を食べてないから、幻覚でも視ているのだろうか、と失礼な事を考えながら、僕は周りを眺望した。
――――いた。
かなり距離が離れているが、たしかに魚がいた――二本足で立っている魚を、魚と呼んでいいいのなら、だが。
突っ込み所は無数に存在したが、なによりも僕が気になっていた事をルピィが指摘する。
「あれ……なんかデカくない?」
そう、かなり距離があるにも関わらずその姿が目に留まったのは、その巨大なサイズのせいだ。
そしてその時点で、気付きたくない事にも気付いてしまった。
「…………神持ちだね、あの魚」
加護持ちの獣が〔魔獣〕と呼ばれるように、神持ちの獣は〔神獣〕と呼ばれる。
神獣は神持ち特有の戦闘能力の高さもさることながら、知能も優れている個体が多いことがよく知られている。
だが、人間に敵対的な個体が多いことから――神獣の大多数は軍の討伐対象となってしまう。
そして神獣の最大の特徴は歴然たるそのサイズだ。
ベースとなる種の数倍のサイズであることがほとんどなのだ。
魚類の神持ちを陸で見ることになるとは思わなかったが、これは〔神魚〕と呼ぶべきなのだろうか……?
「あれはサケかな。成体みたいだし、川を遡ってるんじゃないかな? 川なんか無いけどね……」
ルピィが遠目に魚の種類を判別していた。
本当に何故、地面を歩いているのだろう?
山の方へ向かっているみたいだが、これではサケの川登りどころか、普通に〔登山〕ではないか……。
個人的にはあの異様な生物に関わりたくないが、放っておけば害獣として人々に迷惑をかけるかもしれない。
神獣は知能が高く、人間と高い水準で意思疎通が出来るらしいので、ひとまずは友好的に接触してみるべきだろう。
「……一応、接触してみるね。刺激しないように、ルピィとフェニィは少し離れててね」
距離が近付くほど、その大きさが分かる。
そのヌメっとした長い足も含めれば四メートルくらいはありそうだ。
なんだか色んな意味で恐怖を感じるな……。
「――こんにちは。最近雨が降らないから大変ですねぇ」
サケに話し掛ける僕。
これはなかなか人には見せられない絵面だ。
天気の話題は万国共通の鉄板ネタのはず……どうだ?
――シュッ!
返事代わりに返ってきたのは、風を切るような強烈な横蹴りだった。
しかし予想はしていたので難なく回避する。
……ふむ、視認した時から加護の予想はしていたが、〔足神の加護〕もしくは〔蹴神の加護〕あたりだろうか?
どちらも体術に特化した戦闘系の加護ではあるが、惜しむらくは加護が宿ったのが〔魚類〕であったことだろう。
足の動きに若干の違和感がある――体のバランスが悪いせいだ。
これが二足歩行の動物だったら、脅威度は数段階上昇していた気がする。
――なおもサケの猛攻は続いている。
踊っているかのように次々と左右の脚が繰り出される。
まともに喰らえばかなりのダメージを受けそうだが、それよりも僕は〔足のぬめり〕が気になって仕方がなかった。
豪雨のように襲いくる蹴撃に混じって、足に付着している液体も飛来してくるのだ……。
『触れたくない』……その一心で完全回避を続けていたが、サケに落ち着く兆候が見られないので、やむなく僕は討伐する事を決断した――
わざと隙を作ってみれば大振りな蹴りが飛んできたので、回避と同時にサケの背面に回り込む。
そして振り向く隙も与えずに、僕は「とん」と飛び上がり、サケの心臓があると思しき場所を――掌に面状に展開した魔力波で打ち抜いた。
どすん、という地響きを立ててサケが崩れ落ちた。
……うん、久し振りに使った技だったが、上手くいったようだ。
感覚的には、厚めの手袋を着けて掌底で一撃を与えるのに近い。
これの最大のメリットは、手で直接触れないので手が汚れないことにある。
これから解体作業を行うことを考えれば同じことではあるのだが……。
「結局アイス君、退治しちゃったね……まぁ、こっちの言葉も理解出来てないみたいだったから、仕方ないかな」
神獣には人間の言葉を解する存在もいるが、このサケには通じなかったようだ。
ルピィがのほほんとしながら、こちらに近付いてくる。
一応、神持ちの敵と闘っていたのに、ルピィは援護する素振りも見せなかった。
これは信頼してくれていると見るべきなのか……。
だがルピィはまだマシな方だ、フェニィにいたっては更にひどい……!
僕が少し前に一夜干しで作った〔イワシの干物〕をくちくちと噛みながら観戦していたのだ!
きっと敵が魚だったから、しばらく魚に不自由しないと見て在庫の消費に取り掛かったのだろう……なんたることだ。
しかしその判断は正しいと言わざるを得ない。……とにかく獲物は巨大なのだ。
食材を無駄にするわけにはいかないので大部分を干物にすることになるが、数カ月は持ちそうな気がする。
そしてサケが山に遡っていたということは――僕はわくわくしながらサケの腹を切り開く。
「きれい……宝石みたいだね」
ルピィが感嘆の声を上げた。
僕も全面的に同意だ。……そう、産卵を控えていたサケの腹部には、ぎっしりと赤い宝石のような腹子が詰まっていたのだ。
本体のサイズに比例して卵も大きい。
これは神持ちの子供ということで、まさか全てが加護持ちなのだろうか?
神持ちで多卵性の性質とは恐ろしい組み合わせのような気がする。
海生生物に魔獣(魔魚?)が多いのはこの為だろうか……?
そう考えると、ここで討伐しておいたのは正解だったのだろう。
本日の夜にもう一話投稿予定です。
次回、三六話〔サケの末路〕




