平和への道
僕たちは帝国を訪れていた。
親友のサインを偽造する大罪人を懲らしめるべく、ジーレやブルさんに旅行慣れしてもらうべく、大所帯で排斥の森を抜けて密かに帝国入りしていた。
まぁ、密かにと言っても僕たちに隠密性は無い。
僕やレットはカード化した事によって大陸中で顔を知られているし……なにより、今回の旅行では全長三メートルのブルさんが同行している。途轍もなく目立つので僕たちの存在を隠せるはずもなかった。
道行く人には『クマだぁ!?』と驚愕と恐怖を与え、同行している僕たちを見て『ナニモ、モンダイナカタ!』と安心される一連の流れ。それは街中に入っても変わらず、僕たちは悲鳴と歓声を浴びながら宿屋に入っていた。
「――――いやぁ、皆で泊まれる宿が空いてて良かったね。場合によっては街の外で野宿も視野に入れてたから」
僕たちは超獣級のブルさんを含む大所帯。
とくに巨漢のブルさんは入口すら通れずにバキバキッと破壊してしまう事も珍しくない。こうして無事に宿泊先が見つかった事には安堵するばかりだった。
「宿が空いてたっていうか、他の客を追い出したようなもんだろ……」
僕の穏やかな心に揺さぶりを掛けるのはレット。
宿屋に入った直後に一般客が逃げ出した事を言っているのだろうが、もちろん僕たちは何もやっていない。
強いて心当たりを挙げるなら、クーデルンの関係者に近付くと真っ二つになるだのミンチになるだの根も葉もない…………いや、根も葉もあるデマが蔓延しているのでその影響かも知れない。
「ま、まぁ、僕たちは何もしてないんだから気に病む必要はないよ。ここは久し振りのベッドを素直に喜ぶのが正解さ」
個人的には不特定多数が雑魚寝する安い大部屋でも構わなかったが、たまたまスイートルームが二つ空いていたので選ばない手はなかった。
なにしろ格安の大部屋は客層がよろしくない。
若い女性に絡む酔客も多いという事で、翌朝には死体が転がっていて名探偵案件になりかねない――――『このミンチ死体、犯人は一体誰なんだ!?』
ちなみに大所帯で部屋が二つだが、部屋割りに関しては順当に決まった。僕とマカ、それからセレンとレットは固定枠として、目が離せない警戒対象であるジーレとブルさんも一緒だ。僕のワイフメンバーだけが別室という形である。
「にゃ〜〜〜ん」
久し振りの文明生活にはマカもご満悦だ。
マーキングなのか嫌がらせなのか分かりかねるが、例によって僕の枕でゴロニャンしながら尻尾を揺らしている。……いや、これは。
この挑発的な鳴き声からすると、セレンたちを煽ってるのかも知れない。――そうだ、わざとらしく見せつけるように股間を掻いてるので間違いない!
「もう、だらしない真似は駄目だよ。まともな場所に泊まるのは排斥の森以来だから気持ちは分からなくもないけどね。いやまさか、あの森に村が出来るとはねぇ」
煽りニャンコの姿勢をよいしょと正しつつ、さりげなく話題を切り替えて誤魔化しておく。その話題は排斥の森に生まれた村。魔獣だらけの排斥の森はとても人が住める環境ではないが、しかしそれが神持ちなら話は変わる。
なんだかんだで軍国に在住していた神持ちの一部が、少し前に田舎暮らしならぬ森暮らしを求めて森に移住していた。
彼らは研究所で実験体にされたり生まれながらに奴隷扱いされたりで、人間嫌いで街暮らしに抵抗があったという暗い裏事情があるのだが……自由気ままに楽しそうに暮らしていたので胸を撫で下ろす思いだった。
「森の中なのに立派な家だったな……」
レットも同じ思いなのか感慨深そうに同意する。ちなみに、移住組の家が立派だった事は僕たちも無関係ではない。
かつて彼らは裁定神御殿やクーデルン邸の建築に携わっていたので、その際に高スペックな移住組は玄人はだしな建築技術を獲得していたのだ。当時から『自分の家も建ててみたい』と言っていたので移住は必然的だったのだろう。
「まぁでも、前々からコザルさんの一人暮らしは気になってたからホッとしたよ。一応は顔見知りの神獣も居るみたいけど、怪我や病気の際に面倒を見てくれる間柄じゃないからね」
「……森に縄張りを持ってる神獣だったか。まぁ確かに、あの人も結構な高齢らしいから隣人が出来たのは良かったな」
森のリンゴ農家ことコザルさん。当人は一人でも問題無いと公言していたが、それでも近所に移住組の村が出来た事には歓迎的だった。
なんでも以前からリンゴ園の将来を案じていたらしく、農園を引き継いでくれる若者が現れた事が有難いそうだ。後継者問題が落ち着いた暁には是非ともクーデルン邸で隠居生活を送ってほしいものである。
「それぞれ結婚して子供も居たから、今後は村の規模も大きくなりそうだね……」
移住組は揃ってカップリングが成立していた。今は十人にも満たない少数精鋭だが、将来的には子供も増えて賑やかな村になるはずだろう。
そんな具合に仲睦まじい移住組夫婦の話をしていると、部屋の探索を終えたジーレが元気に言葉を挟んできた。
「ふふふ~ん、ジーレとお兄ちゃんももうすぐ結婚だね!」
う、うむ、うむ……。僕とジーレは婚約者という事になっているので間違いではないが、どうしても幼気な子供を騙しているような罪悪感が否めなかった。既に五人もの奥さんが居るので尚更だ。
もちろんこちらから約定を破るような真似はしないが、それでもジーレが成人を迎えるまでに可能な限り情操教育を施すつもりだった。
「まだ一年以上も先の話だからね、ゆっくり考えた方がいいよ。結婚というのは『この人しかいない!』ってくらい好きになった人とするものだからね」
僕は純真無垢な少女に懇々と道理を説く。
惜しむらくは僕がハーレム野郎で説得力に欠けている事だが、教育適任者であるレットが不干渉を示すように盾を磨いているので致し方ない。そして当然の如く、ジーレは僕の言葉に揺るがなかった。
「ジーレはお兄ちゃん好きーっ! お兄ちゃんもジーレのこと好き?」
「う、う~ん、うん、もちろん好きだよ。決まってるじゃないか」
天真爛漫な笑顔の前では小難しい道理は並べられない。どう考えても子供にしか思えないジーレの頭を撫で撫でして「えへへ〜っ」と可愛がるのみだった。
…………おっと、これはいけない。
気が付けばセレンちゃんの視線がヒエヒエに冷え切っている。それでなくとも最近は甘やかしが足りずに不満を覚えていた節があるので、ここは負債を返すつもりで全力で甘やかすとしよう。
「おっと、言うまでもなくセレンの事も大好きだよ。セレンはどうかな? ――うん、ありがとう。僕たちは両思いだね!」
恥ずかしがり屋なセレンの回答を自己補完しつつ、直接的に甘やかすべくユラリと自然な動きで歩み寄る。
しかしセレンちゃんは素直になれないお年頃。ひしっと抱き締めようとする直前にサッと身を躱してしまうが、僕は重心や筋肉の動きを変えないまま――――スーッと空術で方向転換を決めた!
「っ……!?」
人体構造を無視したホバー移動を初見で躱すのは難しい。恥ずかしがり屋なセレンは見事にひっしりと僕の腕に収まっていた。この日の為に練習した甲斐があったというものである。
「あーっ、ずるーいっ! セレンちゃんだけぎゅーってされてるーっ!!」
「……ふふっ、ジーレさんは分を弁えなさい」
仮にも王女なジーレに身の程を知らしめるセレン。やはり兄の甘やかしに飢えていたのだろう、その声音はいつになく上機嫌なものだった。ふふ、甘やかされマウントを取ってしまうセレンも可愛いなぁ……。
「…………おっと、こうしちゃいられない。そろそろ寝る時間だ。明日は早起きだからしっかり寝ておこう」
ひとしきり甘やかしたところで就寝を告げる。
僕たちが街に入れば騒ぎになるという事で、目的の街に着いた直後には動く必要がある。今夜は夜更かしせず明日の作戦に備えねばならなかった。
まぁしかし、ここ最近は下降ぎみだったセレンの機嫌も回復している。もはや明日の平和的な作戦は成功したようなものだろう。
次回、〔果たされた誓い〕