賭場での出会い
この軍国には数多くの街が存在する。
僕や仲間たちが居住している王都、かつてナスルさんが領主を務めていたポト。
街の規模としては王都とポトが軍国内で抜きん出ているが、それ以外にも目覚ましい発展を遂げつつある都市は少なくない。
軍国の中でも発展途上の街。
そんなエネルギーに満ちた街に、僕とフェニィは二人きりで訪れていた。
「最近は地方都市が活気付いているとは聞いてたけど……中々に盛況だね」
軍国内を周遊しながらの個別デート。
山や海などの選択肢がある中で、フェニィは賑やかな街をデートスポットに選んでいた。明確な目的地を定めることなくぶらりと街を散策である。
フェニィをよく知らない人からすれば意外な選択に思えるかも知れないが、僕にとっては意外でも何でもない。これでフェニィは静謐な場所よりも騒がしい場所を好む女性なのだ。
ちなみに――他の仲間たちは近くの街に滞在している。この街で自由に過ごさせていたらバッティングしかねないので仕方ない。今回の旅行では二人きりの時間を過ごすのが最重要目的なのだ。
ジーレやブルさんといった要警戒対象から目を離すことに不安を感じなくもないが…………もしかして、僕はとんでもない事をしてしまったのではないだろうか?
……いや、駄目だ。
これ以上考えてはいけない。フェニィとのデートの最中に雑念に囚われるのは失礼だ。そう、これは現実逃避ではない!
「そういえば、結婚式にコザルさんが来てくれて良かったね」
「……ああ」
僕は心の迷いを振り払って雑談に戻った。
その話題はゴリラのコザルさん。かつてフェニィがお世話になったという事で、先の結婚式では満を持して招待してしまったのだ。
全長五メートルのゴリラさんとなれば普通の街なら大騒ぎとなるところだが、王都では事前に根回しをしていた事もあって問題にはならなかった。
そもそも王都にはブルさんが存在している。
日常的に殺人クマさんが闊歩している事を思えば、身体が大きいだけで友好的なコザルさんなら可愛いものである。
「屋敷の大浴場も気に入ってもらえたからね。コザルさんの来訪を見込んで設計していた甲斐があったよ」
水深五メートルの大浴槽。
元々はコザルさんを想定してあつらえたものであり、縁が合って家族となったブルさんもゆったり浸かれるという代物だ。引き取った子供たちもお気に入りなので、将来に備えて大浴槽を作ったのは大正解だったと言えるだろう。
「……あの風呂は、悪くない」
もちろんフェニィも大浴槽はお気に入りだ。
自慢の風呂をコザルさんが褒めてくれたからだろう、平素通り無表情ながらも誇らしげな雰囲気が感じられる。金を惜しまずに男女別に作った甲斐はあったのだ。
――しかし、そこで僕は気付いた。
普段と同じような感覚で過ごしてしまっていたが、せっかくのデートなのに恋人感が足りないのではないだろうか……?
これでは場所が変わっただけで何も変わってない。もう僕たちは友人ではなく夫婦なのだから、もっとイチャイチャして伴侶としての義務を果たさなくてはならない。ここは恋人らしいスキンシップを試してみるとしよう。
「…………?」
フェニィは色恋沙汰に疎いからか、僕の行動に不思議そうな視線を向けていた。
恋人たちが歩いている時には手を繋いだり腕を組んだりするものだが、今回は上級者向けの『恋人タックル』を選んでいるので戸惑うのも無理はない。
並んで歩きながら軽く肩をぶつけ合うという恋人タックル。磁石が引かれあうようにトントンと肩をぶつけ合うというイチャイチャ歩きである。
しかしフェニィも何度目かの接触で恋人同士の触れ合いだと気付いたらしく、目に理解の色を灯して『なるほど』とばかりに小さく頷いた。
「…………」
僕の高さに合わせて腰を屈めてくれるフェニィ。身長差から肩ではなく腕に当たっていたので気を遣ってくれたのだ。
仲睦まじい恋人気分で改めて肩を当てると、フェニィも無言で応えてくれる。
トン、トン――ドンッッ!!!
突然の激しいショルダータックル!
完全に油断していた僕が、その圧倒的な暴威に抗えるはずもなかった。
僕の足は大地を離れ、猛烈な勢いで空を飛び――民家の壁をバキッッと突き破ってしまった!!
「……ぅぐっ」
お、おかしいな……どうしてこんな事になってしまったのだろう?
イチャイチャどころかズキズキしている身体。恋人同士のスキンシップにしては過激すぎるような気がする。
フェニィの怒りを買ったという記憶はないので、もしかすると恋人タックルを勝負の類だと誤解されてしまったのかも知れない。これは恋人タックルについて説明していなかった僕の責任だ。
「あ、あんたは……」
おっと、一人で反省している場合ではなかった。
家人のおばさんがダイナミック入室に瞠目しているので、突然の訪問者として説明責任を果たさなくてはならない。
そう思って口を開こうとした刹那、おばさんが先んじてビシッと僕を指差した。
「その女の子みたいな可愛い顔、家の壁を豪快に突き破る嗜好――――あんたはアイス、アイス=クーデルンだね!」
うっっ、いきなり素性を看破されているではないか……。王都ならともかく地方都市でも顔が売れているのは困ってしまう。
全国でアイス=クーデルンカードが売れた影響なのだろうが……しかし、家の壁を突き破ってきたという理由で判断されるのは心外だ。過去の壁破りは十回に満たない回数なのだ。
「せっかく来てくれたのに悪いね。今は食材が切れてるから何も出せないんだよ」
しかも食事をたかりに来たと思われている。
過去の壁破りでは『美味しい匂いに釣られました』という言い訳を多用していたからだろう。嘆かわしい限りである。
僕のイメージが壊滅的になっているのは気掛かりだが、基本的には奥さんの手によるものなので夫としては受け入れざるを得ない。
「いえいえお構いなく。それより、壁を破壊してしまってすみません。うっかり勢いよく転んでしまいまして……あ、この金貨を修理費用に使ってください」
以前にも幾度となく壁破りをしているので対応も慣れたものだ。
世の中の大抵の事は金で解決する。こんな事もあろうかと大金を持ち歩いていたので、いつものように金にモノを言わせて解決してしまうのだ。
「おやおや、噂通りのきっぷの良さだね。これはありがたく貰っとくよ。――そうだ、ついでにサインも貰えるかい? 今は出掛けてるけど、私の娘があんたの大ファンなんだよ」
なるほど、そういう事か……。
僕のカードは若年層を中心に売れていると聞いていたので、おばさんが僕の顔を知っていたのは娘さん経由という事なのだろう。
おばさんは穴の開いた壁を指差して続ける。
「ほらこの壁、ここのところに『アイス=クーデルン、参上!』ってサインしてくれるかい?」
うっっ!?
そんな事を書いたら、僕が意図的に壁を突き破ったかのようではないか……!
朗らかな笑顔でなんという恐ろしい罠に掛けようとしているのか……。しかも文言からすると修理せずに記念として残しかねない雰囲気がある。
「そ、それはちょっと……あっ、外で連れを待たせているので、そろそろ失礼しますね。片付けを手伝えなくてすみません」
壁の穴越しにフェニィと目が合ったので、それを口実にして辞去を願い出る。
普段なら礼儀として残骸の片付けを手伝うところだが、今日は時間の限られたデートという事で金貨を上乗せして解決だ。
大金を得てほくほく顔のおばさんに手を振り、僕はフェニィと笑顔で合流する。
「いやぁ、まいったまいった……。フェニィには敵わないなぁ」
もちろんフェニィの暴挙を咎めたりはしない。
僕が恋人タックルについて説明していなかった事が原因であるし、楽しいデートの日に小言を言って盛り下げるような真似はしたくない。後日にでも『他所の家に迷惑を掛けてはいけないよ』と言及するくらいのものだ。
今日のところは恋人タックルを諦め、何事も無かったように街歩きを再開する。
いつものように僕が一方的に喋りながら、肉屋で買ったチキンカツを食べながら歩いていると――不意に、フェニィがある場所に興味を示した。
「……あれは何の店だ?」
「ああ、あれは賭博場だね。王都には無いけど地方都市では流行ってるらしいよ」
賭博場。カード勝負やサイコロ勝負などで金銭を賭けて遊ぶ場所だ。
地方都市で流行っているとは聞いていたが、国王のナスルさんは様子見がてら黙認しているという状態らしい。公的に賭博場を認めるには問題が多いとの事だ。
もっとも、王都に賭博場が存在しないのはナスルさんが消極的だからではない。
賭博場の背後には犯罪組織が存在するケースが大半らしいのだが、僕たちの住む王都には犯罪組織が存在しないので賭博場の設立にまで至らないのだ。
富を求めて外部から犯罪組織が入ってきたとしても王都では長生きできない。
王都では軽犯罪でも現行犯処刑してしまう存在が闊歩しているので、よほどの命知らずでもなければ恐れをなして去っていくのだ。
「そうだね、せっかくだから寄って行こうか」
「……ああ」
フェニィが賭博場に興味を持っているので立ち寄ってみる事にした。
賭け事そのものより中から聞こえてくる喧騒に興味を持っているようだが、この機会に賭博場の実地調査をしてみるのも悪くないだろう。
『――丁か半かっ! さぁ、張った張った!』
賭博場の中は異様な熱気に包まれていた。
まだ昼間なのに酒を飲みながらくだを巻いている人、祈るように手を組みながらサイコロの入った壺を見詰める人。あまり他所では感じられない独特の空気感だ。
「賭博場は夜が本番だと聞いてたけど、昼間でも活気があるね」
サイコロの出目に一喜一憂するおじさんたち。
丁か半か――偶数か奇数かを当てる博打が主流のようだが、一回の壺振りで大金が動いているので他人事ながら心配になる。賭博で身を持ち崩す人間も少なくないと聞いているのだ。
「――姉ちゃんたち、ここらじゃ見ない顔だな。一勝負どうだ?」
賭博場の雰囲気に呑まれていると、壺振りをしている男が遠くから声を飛ばしてきた。フェニィの容姿は目立つので目に留まってしまったらしい。
せっかくなので小銭を賭けてみようかな、と軽い気持ちで鉄火場に近付いていく――が、そこで違和感に気付いた。
「へへっ、勝負は銀貨一枚からだぜ……」
壺振りの男はフェニィに好色な目を向けながら言う。フェニィは魅力的な女性なので仕方ないところはあるが、ここまであけすけに見られるとモヤモしてしまう。フェニィが不機嫌そうなので殺人的にドキドキもしている。
ともあれ、さっきから気になっていた事を指摘してみるとしよう。
「……ところで、なぜ床の下に人が寝ているのですか?」
「なぁッッ!?」
畳に敷かれた布、その下に人間の魔力が見えていた。寝ている人間の上で壺を振っているという形なので不自然極まりない。
これはまるで、床下からサイコロを針で突いて出目を変えているかのようだ。……イカサマに精通しているルピィからそのような手口を聞いたことがある。
「その反応からすると、無関係に寝ていたわけではないようですね……。床下からサイコロの目を変える『穴熊』と呼ばれる手口でしたか」
「て、てめぇ、クソガキが。略奪組が仕切る賭場にイチャモンつけようってのか。どうやら死にてぇらしいなァ!」
略奪組とは街の犯罪組織なのだろうが、イカサマを指摘されて暴力でねじ伏せようとは嘆かわしい。とりあえず、正当性を主張する為に証拠を見せておくべきか。
僕は手刀を作って畳に突き刺し――スパーンと畳を跳ね上げる!
「……っっ!」
畳の下には赤ら顔の小男。
場所的に換気が悪くて暑いからなのか、隠れ潜んでいたところを暴かれたからなのか、玉の汗を浮かべて顔を引き攣らせている。
その決定的な証拠が現れた直後、賭博場の一般客たちが一斉に怒号を上げた。
「落ち着いてください皆さん!」
そこで僕は声を張り上げる。
結果的に騒ぎの元凶になってしまったが、僕は暴動を起こしたいわけではないのだ。賭博場の関係者に素直に自首してもらえれば文句はない。今日は楽しいデートの日なので荒事などもっての他だ。
しかし、僕の想いは相手に届かなかった。
「黙りやがれ、こいつはここで寝てただけだッ! 略奪組のシマで何か文句があるってのか!」
素直に非を認めるどころか開き直ってしまう男。
畳の下で寝ていたという言い分は無茶苦茶な話だが、犯罪組織の威光によって強引に反論を封じ込めるつもりらしい。
「略奪組の賭場でイチャモンつけるたぁ、随分と舐めた真似してくれたなクソガキ。きっちり落とし前……」
男の言葉は途中で終わった。
嗜虐的な笑みを浮かべながら足を踏み出した直後、全てが終わってしまった。
――――夜空に輝く流星群。
一筋の軌跡と共に消えていく流星は見逃しがちだが、それが流星群となれば人々の心に鮮烈な印象を残す。一秒に満たない輝きは集合体となる事で夜空を染める。
浮かんでは消えていく流星、そんな幾多もの流星のように――フェニィから無数の斬撃が放たれていた!
「う、うわぁぁぁッ!!」
蜂の巣をつついたような大混乱に陥る賭博場。
フェニィの斬撃は常人では見えないので、突然に男の身体がバラバラになったという形だ。かなりショッキングな光景なので人々が驚くのも無理はない。
そんな混乱の最中、賭博場に毛むくじゃらの男が勢いよく飛び込んできた。
「お、親分ッッ!」
なるほど、どうやら略奪組なる組織の首領のようだ。僕がイカサマを暴いた時点で騒ぎになっていたので、賭博場の責任者として駆けつけてきたのだろう。
親分さんは賭博場の惨状に息を呑み、殺人現場の近くに立っていた僕と目が合い――なぜか蒼白な顔になった。
「げぇっっ!? アイス=クーデルンッ!?」
うっっ、僕の顔を知られている……。しかも明らかに反応がよろしくない。
最近は軍国内での僕のイメージも改善されてきたのだが、この反応からすると悪い噂に囚われているような雰囲気だ。なぜか親分さんはガタガタ震えているのだ。
そんな親分さんの態度の影響か、周囲の人々にも恐怖が伝染していた。
『あれがミンチ王子!?』
『人間狩りのアイスか……!』
なにやら『人間狩り』などと不穏な通り名が増えている……。
人間狩りをしていたのはジーレとブルさんであって僕は止めていた側なのに、なぜか僕がやった事にされている。しかし潔白を弁明しようにも、横にバラバラ死体が転がっていては説得力に欠けてしまう。
それにしても、なぜこんな事態になってしまったのだろうか?
楽しいデートで流血沙汰は避けたいと思っていたのに大誤算だ。多少の荒事ならともかく、このような重苦しい空気に曝されてはデートが台無しになるのだ。
――いや、待てよ。
デートを楽しみにしていたのはフェニィも同じ。そのフェニィが楽しい空気をぶち壊すような真似をするだろうか?
それにフェニィの殺害方法も不自然だ。なぜわざわざ全身をバラバラに切り刻んだのか…………あっ、そうか。そういう事か!
楽しい空気のデート、バラバラにされた死体。賭場に因んでサイコロ状に刻まれた死体が示すのは、フェニィなりの遊び心。
そう、これはフェニィから僕への言外のメッセージだったのだ。聞こえる、フェニィの心の声が聞こえてくる――――『これで場を盛り上げて!』
「どうぞ座ってくださいよ親分さん。――さぁ、張った張った! 丁か半か、半、丁――そう、これが『腸』! なぁんちゃって、はははっ……」
現場のモツを活かした軽快なジョークを飛ばしてしまう僕。
難しいパスを見事に決めたからだろう、キラーパスを送ってきたフェニィも満足げな様子だ。夫婦の絆を再確認出来たので何よりである。
「あっ、ああ……」
おや、親分さんの顔色が悪化している……?
自分では会心のジョークだと思っていたのだが……と思わず表情を曇らせかけたところで、親分さんがハッと何かに気付いたような顔になった。
場の素材を活かした臓物ジョークに遅れて気付いたのか、自分の不明を恥じるように引き攣った顔で口角を吊り上げ、それでは不十分とばかりに部下に向き直り――「わらえぇッッ!」といきなり殴りつけた!
「ちょ、ちょっと親分さん! 笑いを強要しては駄目ですよ!」
僕は目の前で起きた出来事に動揺していた。
まさか笑いを強要するような人がいるなんて信じられない……親分さんはちょっとおかしい人なのかな?
僕のジョークをお気に召してくれたのは嬉しいが、その感性を他人に押し付けてしまってはいけない。殴られて笑うなどとは意味が分からないのだ。
――――。
「自首します……。被害者にも返金します……」
親分さんは罪を認めて深く反省していた。
強面の外見からは想像もできないような殊勝な態度。僕の真摯な想いが伝わったのだろうと思うと嬉しい限りだ。
略奪組は近くの街でも賭場を開いているそうだが、そちらでも同様に返金対応をしてくれるとの事である。
「――親分ッ、一大事の報せや!」
全ての問題が解決した直後、息を吐く暇もなく男が飛び込んできた。
汗だくの男を肩で担いでいる男。……この様子から察するに、背負われている汗だくの男がメッセンジャーなのだろう。
僕の予想に違わず、汗だくの男は悲鳴のような声で親分さんに報告する。
「う、うちの賭場に、ク、クマがぁぁぁっ!?」
「…………さて。問題も片付いたという事で、そろそろ僕たちは失礼しますね」
近くの街の賭博場でトラブルが発生したような雰囲気だが、親分さんは改心してくれたので僕たちの仕事は終わりだ。僕たちはデートの最中なので続きに戻らなくてはいけない。早急にこの場を立ち去るのみだ。
僕はフェニィの手をぎゅっと握り、再確認した夫婦の絆を実感しながら――楽しいデートの続きへと足を踏み出した。
本日から新作の【泣き虫お嬢様と呪われた超越者】を投稿しています。こちらは神女の主人公にハードボイルド要素を加えたような主人公になるかと。ページ下部にリンクを張っておきますので応援してもらえると嬉しいです。。