熊神の襲来
僕の視点は高かった。
無論、シークレットシューズを履いて別世界を味わっているわけではない。
僕は小柄ではあるが、身長にコンプレックスを抱いているわけではないのだ。
僕の視点が高くなっている理由は他でもない。単純に、巨体の友人におんぶをしてもらっている状態だからだ。
「ア、アイスさん……こ、こ、こんにちは」
王城の門番さんの声は震えていた。
だがそれも仕方がない。
全長三メートルのヒグマが二足歩行で歩いているのだから、初対面の人が威圧感を覚えてしまうのも無理からぬ事ではあるのだ。
見るからに危険な威光を振りまくヒグマ。
そう、僕はブルさんの背中におぶさっていた。
「こんにちは、お疲れ様です。こちらが先日お話ししたブルさんになります」
「ど、どうぞお通り下さい」
『お通り下さい』というよりは『早く行ってほしい』という態度だが、今はこの対応で満足しておくしかないだろう。
ここは焦らず、時間を掛けてブルさんの事を知ってもらうのが最善だ。
――――。
一週間前、僕たちは魔大陸から帰国した。
出発時には少人数だった僕たち一行は、帰国時には数十人に膨れ上がっていた。
人国で奴隷となっていた獣型神持ちの皆さんばかりか、獣国の代表までもが同行しているというバラエティーに富んだ一団。
その中でも一際異彩を放っていたのが、我らがヒグマのブルさんである。
僕は帰国早々には王城を訪れ――連れ帰った人々の移住についての相談や、僕の結婚報告などを行っていたが、ブルさんを紹介することだけは後回しにしていた。
なにしろブルさんは重度の人間嫌いだ。
普段でも殺傷率が高いのに、人間が多い場所では更に殺傷率が高まるのだ。
移住組と一緒に王城を訪れようものなら殺人事件は避けられないので、落ち着いた頃合いを見計らって、段取りを整えてから王城を訪問しているという次第だ。
「ブルさん、暴れたりしたら駄目ですよ?」
「分カッテイル」
王城訪問前に何度も注意をしているが、それでも僕は執拗に念を押す。
ブルさんの人間嫌いは根深いので、友人として油断するわけにはいかない。
「――こんにちはナスルさん。今日は僕の友人を連れて来ました!」
「う、うむ……」
挨拶回りをするにしても、まずは王城の主を訪ねるのが礼儀というものだ。
僕は常識を弁えた人間なので、どこよりも先に国王の執務室を訪問していた。
「ず、随分と大きな熊だな……」
ナスルさんも巨漢の持ち主だが、ブルさんは更にその上を行く巨体だ。
自分より大きな相手と会うのが珍しいせいなのか、ナスルさんはどこか戸惑っている様子だ。サプライズの為に『明日友人を紹介しますね』としか伝えていなかった事も影響しているのかも知れない。
「しかしこの熊、躾はしているのかね?」
ナスルさんの質問の直後だった。
ブルさんの身体から殺気が膨れ上がり――間髪入れずにビームが放たれた!
「――おっと」
だがビームを放つ直前、僕は後ろからブルさんの顔を上方に傾けていた。
果たして殺人光線はナスルさんの頭上を通過していき、執務室の壁に穴を開けて大空に飛び立っていった。
そう、僕がブルさんの背中におぶさっていたのは趣味によるものではなく――ビームの軌道を直前で変えることが目的だったのだ。
「なっ、な、なん……」
突然の国王殺害未遂である。
さすがにナスルさんも驚嘆が隠せないようだ。
前兆らしい前兆もなく突然の凶行に及んだわけなので、驚くのも当然だ。
ブルさんは『殺すぞ』といった安っぽい脅し文句など言わない。殺した後に『殺シタ』と殺害報告を呟くようなクマさんなのだ。
しかし、これは注意しないわけにはいかない。
「ちょっとちょっとブルさん、駄目じゃないですか!」
「グゥゥ……」
くっっ……。
このブルさん、普通の熊のフリをして誤魔化そうとしているではないか。
まったくブルさんときたら……都合が悪くなると言葉を喋らなくなるのだから、実に困ったクマさんである。
だがしかし、非礼なナスルさんの方にも注意をしなくてはならない。
「ナスルさん、ブルさんは賢いクマさんなんですから『躾』とは失礼ですよ? ですが、ブルさんが神獣であることを伝えていなかった僕の方にも落ち度はあります。これはお相子ですね」
サプライズの為に詳細を伝えていなかった事もあるが、これはブルさんが人間に慣れる為に必要なステップでもある。
将来的に街で『アイス君のペットかい?』などと聞かれる度に殺傷していては大変なので、今の内から予備知識のない人との接触に慣れてもらおうという狙いがあるのだ。
王様をテストプレイヤーにしてしまっている感はあるものの、王都民の安全の為ならナスルさんが文句を言うはずもないだろう。
そもそもからして、ナスルさんが『躾』とはよく言ったものである。笑顔でミンチ死体を生産している愛娘を見る限り――娘の躾に成功しているとは思えない!
「し、神獣かね……。そ、それはすまなかったな、ブル君」
「――グォォォッ!」
ナスルさんの謝罪の直後、またしてもブルさんは殺人光線を放った。
もちろん僕が射角調整を行っているので人的被害はないが、ナスルさんはなぜ殺されかけたのか分からないらしく、ひどく混乱している様子だ。
ここは僕の方から説明すべきだろう。
「失礼しましたナスルさん。ブルさんは人見知りが激しくて、親しくない人に名前を呼ばれると衝動的に殺害しようとするんですよ」
これはいわゆる『気安く名前を呼ぶな!』というやつである。
初対面の人をファーストネームで呼んでムッとされるのに近い現象だと言える。
そう、ブルさんには地雷だらけなのだ。
だが、これはさすがに初心者では回避困難なトラップだと言わざるを得ない。
なにしろ〔先行者の足跡を辿っても爆発する〕という驚異のトラップなのだ。
――おっと、いけない。
相次ぐ殺人未遂にナスルさんが不安そうな顔をしているではないか。
ここは安心材料も伝えておくべきだろう。
「でもご安心下さい。なんとこのブルさん、ジーレとはすっかり仲良しになったんですよ!」
ナスルさんの愛娘であり、軍国が誇る脅威の問題児であるジーレ。
たまたまブルさんの前で『えいっ!』と笑顔で殺人を犯したのが好印象だったのか、人間嫌いのブルさんがジーレには心を開いているのだ。
無邪気なジーレが『フカフカだぁ~』と背中におぶさっても受け入れているほどなのだから、ブルさんにしては相当に珍しい。……さすがにその状態で街を歩こうとしていたのは止めさせてもらったが。
なにしろ単体でも危険な存在だ。両者が合体してしまっては手が付けられない。
この王都に、脅威の移動砲台を誕生させるわけにはいかないのである。
「ジ、ジーレが……!?」
どうやら娘のコミュニケーション能力の高さに驚愕しているようだ。
自分は短時間に二度も殺害されかけたという事もあってか、愛娘の卓抜したコミュ力に愕然としているのだろう。
ナスルさんは信じられないような顔をしているので、ブルさんの方からも仲良しアピールをしてもらうとしよう。
「ブルさん、ジーレとはもう友達ですよね?」
「――皆殺しダ」
ブルさんの発言を誤解してはいけない。
最近になって分かったことだが、ブルさんは人間嫌いが影響しているのか語彙が少ない傾向がある。簡単な受け答え以外では『皆殺し』が常套句になっているだけであって、決してジーレに殺意を持っているわけではないのだ。
「大丈夫ですよナスルさん。これは良い意味での『皆殺し』ですから」
すかさずブルさんのフォローに入る僕。
そう、頭に『良い意味で』と付けておけばどんな言葉もマイルドになるのだ。
さすがに『皆殺し』という単語の凶悪性を覆い隠すのは難しいが、ポジティブに受け止めれば『皆友達!』と聞こえなくもないだろう。
「さて、それでは次の挨拶に向かいますね。――おっと、もちろん壁の修理費用は後日お支払いしますよ。親しき中にも礼儀ありですからね」
当然の事ながら、クマビームで破壊してしまった壁の責任は取るつもりだ。
ナスルさんは金銭の受け取りを固辞するかも知れないが、友人であっても金銭の発生するところを疎かにしてはいけないのだ。
――――。
爽やかに王様の元を辞去した僕とブルさん。
幸いにも国王の命が失われることは無かったが、しかしここは念押しが必要だ。
「ブルさん、もうビームは駄目ですよ? ノービーム、ノービームですよ?」
「分カッテイル」
僕がノークレームノーリターンのように釘を刺すと、ブルさんからは『言われるまでもない』と言わんばかりの自信に満ちた答えが返ってきた。
既にツービームを記録しておきながらこの自信。
根拠のない自信に満ち溢れているところは女性陣にそっくりである。
「――オゥ、デケェナ!」
その部屋を訪ねた直後、部屋の主から感心するような言葉が飛んできた。
全長三メートルのヒグマを前にしても怯えの感情が感じられない。軍国軍団長の一角を務めているだけあって、実に豪胆な人である。
「こんにちはロブさん。先日は色々とすみませんでした」
そう、この人こそは軍団長であり僕の友人でもあるロブさんだ。
ちなみに……僕が謝罪しているのは、帰国早々に私事に巻き込んで怪我を負わせてしまった件についてだ。まさか結婚報告をするだけで怪我人が続出するとは思わなかったが、ロブさんやレットの犠牲のおかげで丸く収まってくれたのである。
「ナァニ、イイッテコトヨ!」
うむ、さすがにロブさんは懐が深い。
理不尽に怪我を負わされても笑って許せるという度量の大きさだ。ブルさんを温かく受け入れてくれているのも納得である。
「…………」
ブルさんの方は珍しく困惑している気配だ。
このクマさんの判断基準には〔人間か否か〕というものがあるので、もしかしたらロブさんの喋りに非人間的なものを感じているのかも知れない。
そしてロブさんの方は、ブルさんを見ながら「アイスノ、ダチカ……ナルホドナ」と何かを勝手に納得している様子だ。
「ヨシ――コレダケハ、オシエテヤル!」
何かを考え込んでいたロブさんは、不意に高々と宣言した。
その視線は真っすぐにブルさんへ向いている。
なんだろう……王都で守るべきルールでも忠告してくれるのだろうか?
「――ゼイニミンスコエ!」
分からない……!
ロブさんは何を伝えてくれようとしているのか。
肝心なところが分からないなんて、まるで悪質な商法みたいではないか。
……ここから先は課金が必要なのかな?
いやいや、ロブさんがそんなアコギな商売をやるはずがない。
ロブさんの善良性は僕が知っている――そう、ロブさんは無課金だ!
「…………」
ブルさんはビームを放つことも忘れているように混乱している。
しかしこれは仕方がない。
僕ですら分からないのだから『分カッタ』と言われたら逆に衝撃である。
ここはとりあえず『ゼイニミンスコエ!』という謎発言を覚えておいて、自宅で翻訳作業を行うのが正解だろう。
ふふ……学園の授業で分からなかったところを家で調べるみたいで悪くない。
ともかく、この場を収めるのは僕の仕事だ。
「さすがはロブさんですね! ――そういえば。遅くなってしまいましたが、ブルさんの歓迎パーティーを今晩開催するつもりなんですよ。是非ロブさんも来て下さい!」
嘘を吐くことなく、話題のすり替えである。
結婚式や魔大陸組の歓迎パーティーについては別個に開催していたが、ブルさんの歓迎パーティーだけは未開催のままだったのだ。
僕は祝い事には拘りを持っているので、誕生日が近い兄弟などにありがちな〔合同誕生会〕のような手抜きはしないのである。
色々あって結果的に遅くなってしまったが、些事を気にするようなクマさんではないので問題無いだろう。
「スパラビルカ!」
そう、スパラビルカだ……!
言葉の意味は分からずとも、喜色を浮かべたロブさんを見れば『シュッセキ!』と言っているのはお見通しだ。
ブルさんは人語に自信が無くなったかのように「グゥゥ……」と唸っているが、こちらは後でフォローさせてもらうとしよう。
いやぁ、今晩の宴会が楽しみだなぁ……。