八七話 刻神
僕と武神の戦闘は終結した。
命の危険を伴う力試しではあったものの、普段の父さんとの模擬戦と大差ないとも言えるので問題は無い。
いつもは練兵場を利用しているので毒ガスを試したことは無かったが、武神に通用したということは父さんが相手でも効く可能性は高いはずだろう。
なにしろ僕の毒ガスは毒耐性のある仲間たちにも影響を及ぼしているのだ。
僕と付き合いの長い――言い換えれば毒物の摂取期間が長いレットなどは平気そうな顔をしていたのだが、比較的付き合いの浅いアイファやマカにはしっかり効果が出てしまった。
もちろん気配り名人の僕は、毒に苦しむ人々を放って置くような真似はしない。
武神だけでなく、アイファやマカもしっかりと解毒術で治療してあげている。
だがしかし……僕の治療に感謝の言葉を返してくれたのは武神だけだった。
アイファたちはお礼を言うどころか――結託して僕に襲い掛かってきたのだ!
自分を治療してくれた相手を襲うような非人道的行為が許されるのか?
――否! 断じて許されない!
しかし〔胸無し同盟〕によりルピィまでもが敵に回ってしまったので、もはや多勢に無勢。奮戦空しくアイファたちにズタボロにされてしまい、現在は治療しながら武神から情報収集をしている次第だ。
「……なるほど。世代交代をしている神の方が多数派なんですね」
寿命のない神という存在。
しかし全ての神が途方もない年月を生きている訳ではないらしい。
長く生きれば生きるほどに感情を、人間性を失っていく神。
そんな彼らの中には、生きることに飽きて自死を選ぶ者も少なくないようだ。
しかし寿命のない不老の神とはいえ、自殺者の数が積もり積もっていけば神の数が先細りになっていくことは自明の理だ。
そこで神の世界では、自らの命を絶つ前に子供を作り――その子供に〔神の力〕を引き継がせることを義務付けているらしい。
神の能力の引継ぎ。
そう、神の持つ膨大な魔力や不老性は先天的なものではないのだ。
原初期には身体に過酷な処置を行うことで肉体を変質させていたらしいが、今は神の数を減らさないことが目的になっているので被術者の負担は減っている。
最近の神の世代交代は、特別な装置を使うことで〔神の命と引き換え〕に能力の移譲を実現させているとのことだ。……自殺を志願している神なので問題は無いという事なのだろう。
武神や刻神などは何度か世代交代をしている若い神に該当するらしいが、もちろん全ての神が世代交代をしているわけではない。
僕たちが出会った造神という神。
あの造神は原初期から存在している数少ない神とのことだが、人間性の希薄さからすると納得のいくところだろう。
古い慣習により最も魔力量の多い刻神が〔女王〕と呼ばれているようだが、刻神は世代交代を繰り返している若い神でもある。
旧世代とも呼ばれる造神たちから見れば赤子も同然ということで、女王には箱の運営方針などについての発言力は無きに等しいらしい。
――これは朗報であり凶報でもある。
女王が話の通じそうな相手である可能性は高まったが、肝心の実権を持っていないようでは交渉する意味がないのだ。
旧世代の代表と交渉をするという手段もあるが、彼らは長く生き過ぎているせいか上下関係が薄弱であり、誰の指示であっても聞く耳を持たないらしい。
そうなるともう旧世代を皆殺しにするしか…………いや、駄目だ!
焦るのはまだ早い。
女王と会談することで何か解決の糸口が見えるかも知れないのだ。
まずは現状を正確に把握することが肝要だ。
「そろそろ行きましょうか――女王の元へ」
――――。
「――客人を連れて来たぞ」
武神は扉に手を触れて呼び掛けたが、普通すぎるほどに普通の呼び掛けだ。
扉に触れながら呼び掛けることで室内に声を届ける仕組みであることは分かるが、臣下が女王に取る態度としてはあまりに気安い。
だがこれは女王を軽んじているわけではない。
これは二人が親しい間柄であるが故のことだ。
なにしろ武神と刻神は〔夫婦〕らしいのだ。
そう考えると妻の居室の前で門番をしていた武神が〔家を追い出されたダメ亭主〕のようにも思えてくるが、もちろんそんな事はない。
魔大陸に異常が起きていることは神々の話題になっていたらしいので、僕たちが神の世界にやって来ることを見越して待ち構えていたとのことだ。
そして、扉越しに刻神の返事があったのか――武神は女王への扉を開いた。
女王の姿を目にした僕たちは、息を呑んだ。
まず魔力量が異常だ。
刻神の加護を受けたセレンが桁違いの魔力量を持っていたことから、女王の魔力量が甚大なことは予想の範疇ではあるが、身の内に魔力が抑えられていても圧倒されるほどの存在感だ。
呪神や造神と比較しても次元が違う存在なので、神々が刻神を〔女王〕として担ぎ上げたくなるのも分からなくはない。
だが僕たちにとっては圧倒的な魔力量よりも気になっている事がある。
僕たちが一目見て意識を引き付けられたのは――女王の容姿だ。
女王の容姿に関しては造神や武神から聞き及んでいたので分かってはいたのだが、それでも動揺が避けられないものはある。
僕は努めて平静さを保ちながら声を出す。
「どうもこんにちは。女王……いえ、おばあちゃんと呼んだ方が良いですか?」
感情が死んでいたはずの造神は、僕とセレンの顔を見て驚きを見せていた。
アイス=クーデルンカードで顔を見知っていたかと思っていたが、実際にはそうではなかった。造神が驚いていたのは、僕たち兄妹が女王と瓜二つの容姿をしていたからだ。
「いいえ、その必要はありません。貴方も私が〔祖母〕だなんて実感は湧かないでしょう?」
神は自分が死ぬ前に、子供に能力を受け継がせることを義務付けられている。
しかし全ての子供が神の器を持って生まれてくるとは限らない。
誰であっても神の力を引き継げるというわけではないらしい。
ならば、この世界において神になり損ねた子供はどうなるのか……?
神でもなく神に至る資質も持っていない者。
いわば普通の人間とも呼べる存在だが、この世界では逆に異端の存在だ。
神の世界のルールでは、人間がこの世界に存在することは許されていない。
神の資質なしと判断されて赤子の内に処分されるケースもあるそうだが、しかしその手段を選ぶ神は少ない。神の世界での存在を許可されずとも、他の世界でならば生きることを許されるのだ。
それが娯楽として観賞可能な世界ともなれば、自分の子供を処分するよりはその世界に送って成長を見守った方が良いという事だろう。
神になり損ねた子供が送られる世界とは言うまでもない――神が〔箱〕と呼ぶ世界であり、僕たちが生きている世界だ。
そして……武神と刻神の子供は、神の力を引き継ぐ素養を持っていなかった。
たとえ女王の子供であったとしても、神の世界のルールには抗えない。
……いや、女王だからこそルールを破れないと言うべきなのかも知れない。
経緯はどうあれ、最終的に女王の子供は箱世界へと送られてしまった。
その時の子供が、僕の母さん――サーレ=クーデルンというわけである。
つまり血縁上では、僕とセレンは〔武神と刻神の孫〕という事になるのだ。
本来ならば初対面の人間をすぐに血族とは思えないところだが……この女王は容姿が似ているだけではなく、どことなく響き合うものを感じている。
「あなたは間違いなく僕たち兄妹の血族だと思います。……とても、他人とは思えません」
どこか脆そうで頼りない雰囲気がある女王。
笑顔が印象的だった母さんにも似ていなければ、怜悧な印象を持つセレンにも似ていない。家族と似ているのは顔立ちだけなのだが、僕は不思議なほどに強い親近感を覚えている。
「そう…………ありがとう」
女王は寂しげに微笑した。
そのどこかで見たような微笑みは、僕の胸をどうしようもなく締めつけた。
僕は武神から事情を聞いている。
女王は自分の子供に神の力を移譲しようとした――そう、自死を望んだのだ。
武神は『女王という立場に嫌気が差したのだろう』と、自身の無力感を滲ませて語っていたが、おそらくそれは事実だろう。
古い慣習で担ぎ上げられてはいても、女王とは名ばかりの存在に過ぎない。
神のトップという位置付けではあるが、旧世代の神たちが箱世界を荒らしていても制止する権力があるわけでもないのだ。
その性質が優し過ぎるが故に、〔神の代表〕であるという立場に耐えられなくなったのではないだろうか?
しかも自身の跡を継がせる為に儲けた子供が〔箱世界〕へ送られているのだから、本当に救いがない話だ。……女王は子供と一緒に箱世界に行くことを望んだらしいが、それすらも禁じられているのだ。
決められた神以外は箱世界に出入りすることを禁じられているということで、箱世界の門番である造神に娘を引き渡したとのことだ。
そう考えると……造神が僕とセレンの顔を見て驚いていたのは、自分が連れていった赤子の子供だと察したのもあったからなのかも知れない。
子供が箱世界に送られてしまうと、もはや女王に出来ることは限られる。
管理者側ではない神に許されているのは、観ることと加護を与えることだけだ。
しかし加護は母親の胎内にいる間に与えるものらしく、僕の母さんは既に生を受けていた――そこで女王は、娘の子供に加護を与えたのだ。
本当は長男の僕に〔刻神の加護〕を与える予定だったようだが、ある時期から王都の観測障害が始まったので加護を与えるどころではなかったらしい。……母さんがお腹に僕を宿したタイミングだろうか?
その後は、時々王都の様子が観測可能になっていたので二人目の子供――セレンに刻神の加護を与えたというわけだ。
時々王都を観測可能になったというのは、おそらく僕が魔獣狩りなどで王都を離れていた時期なのだと思われる。
そう考えると、僕という存在は非常に傍迷惑な存在であるような気が……いや、僕は何もしてないので責められる理由はない。
ちなみに母さんは大教会の神官長を務めるほどの人だったが、僕と同じく治癒の加護が無くても治癒術を行使可能な人だったようだ。
――――。
それから僕たちは多くの話をした。
世界の問題も解決しなければならないのだが、話題の中心は僕に関する事柄だ。
女王と武神が僕の半生に興味を持っている様子だったので、それに応えた形だ。
一応は祖父母という事になるのだからリクエストには応えるべきだろう。
洗脳術によって一変した生活。
父さんの解放から呪神の撃破に至るまで。
そして――これからの生活を守る為に神の世界を訪れたこと。
女王たちはほとんど口を挟まずに聞いていたが、僕の母さんに関する話題では大きな反応を示していた。僕の母親であると同時に、彼らの娘でもあるのだから当然の反応だろう。
母さんに関する話……筆舌に尽くしがたい最期についても語った。
直接視えずとも間接的に顛末を知っているということだったが、しかし女王は僕の想像以上に深く傷付いていた。
武神は『女王は心が弱い』と評していたが、確かにその言葉通りだ。
感情が薄いはずの神が、神の女王が……人目も憚らずに涙を見せているのだ。
この涙は、娘の死を悼んでいると同時に、母親を失った僕とセレンの心情を想って泣いてくれている。なんとなく、そんな気がした。
「最期はともかく……母さんは全体的には幸せな生涯を送ったと思いますよ」
これはただの気休めではない。
神の都合で箱世界に送られて、神の都合で命を奪われた母さんではあるが、その生涯は決して不幸なものでは無かったはずだ。
僕の知っている母さんは、いつも笑っていたのだから。
「……」
女王は何も言わない。
女王は声も無く、ただ静かに泣いている。
しかしこれは参った……どうにもやりづらい。
神の責任者を糾弾するつもりがあったわけではないが、女王に泣かれてしまうと僕まで悲しい気持ちになってしまうのだ。
これほど繊細なメンタルの持ち主が〔女王〕という立場に置かれてしまったら、生きていくのが嫌になるのも仕方がないのかも知れない。
権力のある責任者ではなくとも、女王である自分を責めてしまいそうな人だ。
――――。
僕の話が一通り終わった後は、いよいよ世界の今後についての話し合いだ。
話を聞けば聞くほど旧世代の神は害悪でしかなかったので、この機会に一掃してしまうという手段も心中で密かに検討はした。
武神一人では手が余るほどに数が多いらしいのだが、僕たちなら旧世代の神を全て片付けること自体は可能だろう。
だがそれでは問題の先送りになるだけだ。
旧世代の神を殲滅した直後なら問題は無いが、新世代の神が百年後……或いは千年後にでも箱世界に手を出さないとも限らない。
世代交代が任意である以上、現存の若い神が永遠の生を選ぶ可能性はあるのだ。
かといって、現状で罪を犯していない神まで皆殺しにするのは許されない。
厳密に言えば、彼らには僕たちの生活を覗き見しているという罪はあるのだが、これは価値観の違いからくるものなので責めにくい。
少なくとも実害はないので極刑に値するような罪とは言えないだろう。
ある程度話が出揃ったところで、黙って話を聞いていたルピィが意見を出す。
「もうさ、後腐れなく神を皆殺しにしちゃえばいいんじゃない?」
ルピィもその考えに辿り着いたようだ。
僕も同じ事を思ってしまったが……確かに、旧世代の神だけではなく全ての神を殲滅すれば将来の懸念が消えるのは間違いないだろう。
しかし、僕はその手を選ぶつもりはない。
女王が悲しそうな顔をしているという理由もあるが、僕には他に策がある。
箱世界について造神から情報を聞いている時から解決策を思案していたが、女王からも情報を得られたことで妙案を閃いたのだ。
「ふふ……そんな事をするまでもないよルピィ」
僕の自信ありげな発言に場の注目が集まる。
だが僕に動揺はない。根拠があっての発言だ。
これは要するに、神が僕たちの世界に干渉できないようにすれば良いだけだ。
「外部から干渉できないように世界を隔離すればいいんだよ」
神そのものを排除するという乱暴な手段を選ぶよりは、僕たちの世界に物理的に干渉できないようにすべきだ。
そして、その難事を実現可能な人間がここには存在している。
「刻術で箱を覆ってしまうという事ですか、にぃさま?」
「うん、その通りだよ!」
さすがにセレンは察しが早い。
恒久的に干渉を阻む魔力板で囲んでしまえば、神と言えども手出しができなくなるというわけだ。物理的にも魔力的にも干渉できない魔力板なら完璧だ。
仲間たちも『なるほど』と賛同の空気を醸し出し、大筋の方針が決まりつつある中、女王が驚きを含んだ声で問い掛けてきた。
「待って下さい。刻術というのはこれの事ですか?」
女王は言葉と共に魔力板を創り出した。
セレンに加護を与えた張本人だけあって、女王にも魔力板を創れるようだ。
しかしなぜ驚いているのだろう? と思ったが、どうやらセレンの若さで魔力板を生み出せることに驚いているらしい。
「いえいえ、驚くには値しませんよ。セレンは僕の自慢の妹ですからね」
僕がセレンの天才性をアピールしつつ、流れるように可愛い妹の頭を撫でようとすると――セレンにスルっと躱された。
ふむ、女王や武神がこの場にいるので大人ぶりたいのかも知れない。
僕が一抹の寂しさを覚えていると、今度は武神が言い辛そうに声を絞り出す。
「残念だが……その手は難しい」
前例のない試みだとばかり思っていたが……話を聞く限りでは、以前に武神たちも思いついて試してみた事があるらしい。
魔力板で囲ってしまえば神々も箱世界に干渉できなくなるのではないか、と。
だが結果的にそれは失敗に終わっている。
武神の力でも、箱と繋がっている〔台座〕を切り離せなかったとのことだ。
水晶の床と一体化しているような台座。
床や壁を構成している水晶と同じ材質だが、この台座は箱世界と神の世界を魔力的に繋いでいる回路でもある。
神々の自室に据え付けられている端末を介して箱世界を覗けるばかりか、自らの加護を与えることまで可能とするらしい。
旧世代の神たちが作り上げたシステムだけあって一筋縄ではいかないようだ。
しかし、それはそれとして……女王や武神が僕たちの世界を何とかしようとしてくれていたのは嬉しい限りだ。
だが考えてみれば、女王たちは神の陰謀によって実の娘を失っている。
しかも武神からすれば、自分の加護を与えた人間が強制的に〔神の手駒〕にされたことになるわけだ。二人が現状を打開したいと考えても不思議ではない。
「なるほど……過去に箱の切り離しは失敗したというわけですか。――しかし、心配はご無用です。僕には成功する確信がありますから」
純粋な剣の技量や身体能力だけで考えれば、武神は僕よりも遥かに上だ。
だが僕には武器が、剣神のネイズさんが遺してくれた〔天穿ち〕がある。
台座は魔力の塊のような材質だ。
セレンの魔力板のような魔力密度ともなると刃自体が通らないが、あの台座はそこまでの代物には視えなかった。
刃が通るなら、天穿ちで斬れない道理はない。
――――。
準備は着々と進められていた。
と言っても、箱世界の隔離準備の段階で僕に出来るようなことは何も無い。
女王とセレンが〔部屋全体〕を魔力板で覆っていく作業を応援するばかりだ。
そう、部屋全体が隔離対象だ。
本当は箱だけを魔力板で囲めば事足りるのだが、それでは女王かセレンが神の世界に残る必要性が出てくるのだ。
セレンを残していくのは論外中の論外として、僕は女王もこの世界に残していくつもりはない――そう、僕は女王も箱世界に連れて行くつもりでいる。
自死を望むほどに女王という立場を嫌っているのなら、この機会に捨て去ってしまえばいい。他の神々の反発を招こうとも、世界を隔離させてしまえばこちらのものだ。
女王は最初こそ遠慮していたが、夫である武神も賛成してくれたという事もあって、今は前向きに隔離作業に協力してくれている。
武神自身も神の世界に執着はないらしく、夫婦揃っての箱世界移住に乗り気だ。
あとの問題は、箱を首尾よく台座から切り離せるかどうかだけだが、実のところこれに関しては特に心配していない。
僕の直感が過去に類を見ないほどに訴えかけているのだ。
世界の解放は必ず成功する、と。
おそらく、僕のこの絶対的な直感は〔神殺し〕という加護の恩恵なのだろう。
この新種の加護には謎が多いが、もしかしたらこの加護は〔箱世界の免疫反応〕なのではないかと、最近になって思うようになった。
新種の加護については造神も女王も答えを持っていなかったが、世界を歪める神に対して〔箱世界が抗体として生み出した加護〕である気がしてならないのだ。
もちろん、いくら推測したところで答えが分からない以上は詮無いことだ。
仲間たちは僕が箱を切り離すことを疑っていないし、女王たちも僕の確信を信じて協力してくれている。それだけで充分だ。
次回、最終話〔神の女王と解放者〕