三十話 格差社会
せっかくハロに来たのだから、焦って旅立つこともあるまい――ということで、僕らはハロで最も規模の大きい市場に来ていた。街の規模が大きいこともあって、コベットの市場より遥かに活気があり、そこかしこで喧騒が飛び交っている。
目を離すと、いや、手を離すと、うっかり人を殺傷しかねないフェニィの事が心配になったので、僕は当然のようにフェニィに手を差し出す。
フェニィも慣れたもので、無言で僕の手を握った。
「――ちょーっ! ど、どういうことなの! 二人はそういう関係なの!?」
突然、ルピィが激しく動転して僕らを詰問する。
「え? ほら、人混みが凄いから」
「ボ、ボクとは手なんか繋いだことないじゃん!」
「えーと、ほら、まだフェニィは森から出てきて間もないからさ、心配なんだよ」
僕が心配なのはハロの街の人々だったが、嘘は吐いていない。
「うーっ……じゃあ、ボクがフェニィさんと一緒に歩くよ!」
ルピィは獣のような唸り声をあげて、半ば強引に僕からフェニィの手をもぎ取る。
フェニィの利き手をルピィがしっかり確保したのを確認して、僕は心中でうむと頷いた。……ルピィに抑えてもらって僕が周囲に目を配っていれば、より安全度が高まるというものだ。
フェニィは子供扱いされたように感じたのか、少し不満そうではあったが、黙然とルピィの手を受け入れている。
――そして結果的に見れば、フェニィをルピィに任せたのは正解だった。
ルピィが一方的に喋ってフェニィがささやかな相槌を返す、という二人の会話だったので、余人が見れば不仲に見えなくもない。
しかし、フェニィは相変わらず石像のように表情が動かないが、ルピィは神懸った洞察力を生かし、僅かな挙動からフェニィの意志を読み取っているのだ。
ルピィが話し上手なのもあって、何不自由無くお互いの会話が弾んでいるようなのだ。
……僕の話題ばかりが繰り出されていたのは困ったが、正反対な二人の相性が想定より良好そうであったので、僕は胸を撫で下ろす思いだ。
二人とも同性の友人がいない環境だったので、お揃いの服を買うなどと仲睦まじい姿を見ると、仲間として微笑ましい気持ちになるというものである。
――――。
――風呂から上がり、さっぱりとした気分で僕は部屋に戻る。
あれから、僕らは少し奮発して、浴場があるハロの宿屋に泊っていた。
ずっと濡れタオルで体を拭くだけの生活が続いていたので、心も洗われたようである。
しかし部屋に戻ると、ルピィの様子がなにやらおかしい。
どこか落ち込んでいるように見えるのだ。
……僕は僅かに思考を巡らせたが、ルピィの外観を見てすぐに納得した。
昼には着ていなかった、可愛いらしくデフォルメされた犬のTシャツを着ているのだ。そしてその体からは、ほかほかと〔湯気〕が立ち上っている。
つまりはルピィも風呂に入ったのだろう。
フェニィがいないことから、二人とも一緒に風呂に入ったと推測できる――ならばもう答えは出ている。
「その……胸が大きいと不便なことも多いと聞きますし、そんなに気にしなくていいと思いますよ」
ルピィを気遣って優しく声をかける僕。
「……ボク、まだ何も言ってないんだけど」
しまった。
ルピィの消沈した雰囲気が雄弁にことを物語っていたので、つい先走ってしまった。
「それに敬語は止めてってば。……たしかにフェニィさんの胸は凄かったけどさ」
つい癖で敬語を使ってしまった。
二年近く続いた習慣は中々抜けずらいものだ。
……そしてやっぱり、フェニィの〔攻撃的な胸部〕によってダメージを受けていたようだ。
「フェニィさんのあれは、なんなの。ズルいよ、卑怯だよ……」
ルピィは自信を喪失し落ち込んでいる。
……不憫だ。
垂直に切り立った崖のような胸(つまり垂直)を持つルピィか、なにもしていないのに卑怯者の謗りを受けているフェニィと、どちらがより不憫とは言えないが――仲間としては見過ごせない!
「盗賊稼業には大きな胸は邪魔になる事も多いだろうし、悪いことばかりでもないと思うよ」
「……ボクは盗賊じゃないもん」
まだ言うのか、この人は。
ルピィほど際立った技術を持つ盗賊はそうそういないと言うのに。
……だが、よくよく考えれば、ルピィは盗みを生業としているわけでもないことだし、言われてみれば盗賊と呼ぶのは不適当かもしれない。
僕の中ではルピィは、他の追随を許さない「伝説の盗賊」のようなイメージがあるので、つい誤認してしまっていた。
他人のイメージを安易に決めつけてしまうのは実に良くないことだ、反省しなくては。
お詫びの意味も込めて、さらにルピィを慰める。
「大きい胸より小さい胸の方が良いって人もいるから、引け目を感じる事なんかないよ、うん」
「……さ、参考までに、アイス君はどっちが好みなの?」
僕は嘘偽りなくまっすぐに答える。
「――大きい方が好きだね!」
誠実に正直に答えた僕に、ルピィが掴みかかってくる!
「ちょっと! そこは、どっちでも構わないとか、小さい方が好きって答えるところでしょ!」
一見すると、ふざけながら僕の首を締めているようだが、その手は的確に、僕の首の気道を締めていた。
頸動脈なら苦しみ少なく失神出来るが、気道を絞められるとただひたすらに苦しいっ……!
ルピィの強い害意を感じる!
「もっと、ボクに! 気を使ってよ!!」
昼と全く逆のことを言っている……!
僕にどうしろというんだ。……僕の命にも気を使ってほしい。
苦しみに喘ぎながら、ルピィの手を何度かタップしていたら、危ういところでルピィが正気に戻った。
「ご、ごめん。つい気道を絞めちゃったよ」
……ついって、ルピィのライフワークは拷問なのか? 癖になっているのか?
僕がぜえぜえと息を整えていると、部屋の中に気配が増えていた。
「……どうした?」
「いや、なんでも……」
フェニィを見た僕は、二の句が継げなくなった。
僕の傍らに立つフェニィは、風呂上りらしくほっこりした様相だったが、やはりここでも問題になるのがその恰好だった。
おそらくはルピィとお揃いのTシャツを着ているのだと思われる。
しかし、その犬(?)は「ボク、もう食べられないよ……」と、言わんばかりに顔をパンパンに膨らませていた……!
ルピィに至っては怨嗟に満ちた目でその犬を睨み据えている。
その子は何も悪くないので、憎まないであげてほしい……。
このままでは折角仲良くなった二人の友情に亀裂が入ってしまう。
どこにも悪い人間はいないというのに……!
……そう危惧した僕は、フェニィにやんわりと提案する。
「その、いつもの皮鎧以外の服を着る時は、胸当てをした方が良いと思うよ。
……ほら、その、犬も苦しそうだろ?」
フェニィは不思議そうに自分のTシャツの犬を見てから、ルピィの胸元に視線を移した。
……フェニィからすれば、互いのTシャツのデザインを確認したに過ぎなかったのかもしれないが――それは残酷な視線だった。
「くっ……!」
呻いた声は果たして、僕かルピィかどちらのものだったのか。
――格差社会。
そこには埋めがたい隔絶があった。
努力をすれば報われるなど、甘い幻想に過ぎないのだ。
これからルピィが胸を大きくする為に、どれほど腕立て伏せを繰り返しても、大きくなるのは乳房ではなく――大胸筋だ。
……僕はやるせない悲しい気持ちで胸が苦しくなった。
「…………ルピィ、ここの食堂で美味しいミルクアイスを出してくれるみたいなんだ。一緒に食べに行かないかな?」
「…………行く」
ルピィはまるでフェニィのような返事をした。
フェニィは未だによく分かってないようだったが、何も言わずに後を付いてきて、誰よりもたくさん食べていた。




