八六話 最後の闘い
僕と武神の戦闘は合図もなく始まった。
僕は闘志を表に出さずゆったりと歩み寄り――唐突に天穿ちで切り払う。
父さんを参考にすれば、武神は時間を掛ければ掛けるほど対応力を増していく可能性が高い。ここは武神が勢いに乗ってしまう前に片付けるのが最善だ。
不意討ちのようではあるが、宣言通りの一対一の勝負なので卑怯ではないのだ。
しかし、結果は芳しくないものだった。
最小限の予備動作で斬撃を放ったにも関わらず、武神は顔色を変えることなく平然と剣で受け止めている。
――速い。剣を抜く動作が早過ぎる。
その長躯に見合った長剣を扱っていることを考えれば驚異的な速度だ。
だが、僕の攻撃はこれで終わらない。
剣を受け止められると同時に下段蹴り。
体勢が悪いのでキレのない軽く当てるだけの蹴りに見えただろうが――僕の足が触れた直後、武神は軽く顔を歪めて飛び退いた。
ふむ……ここで一気に決めるつもりだったが、逃げられてしまったか。
一瞬の迷いもなく砕けた足で強引に逃げるとは見事な判断だ。
そう、武神の足は砕いた――僕は足で触れた瞬間に〔砕術〕を行使したのだ。
間違いなく骨を砕いた手応えはあったが、学園で僕が生徒に教授したように操術で強引に足を動かしたようだ。
このような形で操術を利用する者が身内以外にいるとは思わなかったが、考えてみればこれは父さんに教わった技術だ。
父さんと関わりのある武神が取る手段としては自然とも言えるだろう。
それでも、天穿ちを使って闘う以上、手強い相手であっても苦戦は許されない。
この機を逃さず一気に片を付けさせてもらう。
僕は一足飛びで距離を詰め、そのまま勢いを殺さず天穿ちを突き入れる。
しかし武神は表情一つ変えずに、身体を逸らして大剣で斬りつけてきた。
もちろん難なく躱して反撃するが、その後の連撃も危なげなく防がれてしまう。
大剣が衝突し合う轟音。
激しい攻防が繰り広げられる中、武神は片足が砕けているとは思えないほどの安定感を保っている。こちらの攻撃が通らないだけならまだしも、足の怪我に慣れてきたのか動きが良くなってきているほどだ。
いやはやまったく……悪い意味で予想を裏切らない順応性の高さだ。
足が砕ける経験など早々あることでもないはずなのに、日頃から慣れているように違和感の少ない動きをしている。
しかしそれでも、ファーストアタックで片足を砕いたのは大きかった。
ほぼ完璧に砕けた足を制御しているが、武神が万全ではないのが分かるのだ。
そして、力量差の少ない相手との闘いではそれが致命的となる。
幾多の剣戟を交わし、僕は武神の攻撃を次第に掌握していく。
武神の動きにも慣れてきたので、そろそろ終わりにさせてもらうとしよう。
だが、実は――それは武神の思惑通りだった。
空間を断つような武神の横薙ぎ。
僕は軽く首を反らして回避しようとして、直前でそれに気が付いた。
「ぉぉっ!?」
大剣から飛来してきた斬撃――僕はすんでのところで身体を反り返らせて躱す。
斬撃は僕の頭があった場所を通過していき、壁に大きな斬撃痕を刻み付けた。
危ないところだった……。
油断していたわけではなかったが、武神の剣技に慣れてきたところでの〔飛来斬撃〕には意表を突かれてしまった。
おそらくこれまでの剣の応酬は、飛来斬撃を活かす為の布石だったのだろう。
突然の飛び道具に動揺してしまったが、僕の父さんも斬撃を飛ばせるのだから武神も出来ると考えて然るべきだった。
急に斬撃が飛んで仲間たちは大丈夫かな? と一瞬だけ心配したが、皆はレジャーシートを広げて座り込んでいたので問題無かったようだ。
……僕が一人でやるとは言ったが、お茶会を開催しているのは如何なものか?
いや、非常識な仲間のことは今更だ。
なにしろ僕の危急はまだ続いている。
無理矢理身体を反らせている今の体勢。
これはブリッジ――そう、流行りの〔ブリッジ謝罪〕みたいになっているのだ!
隙だらけの体勢の僕に、武神は容赦をしない。
トドメを刺すとばかりに無防備な身体に大剣を振り下ろしてくる。……力試しのはずなのに一歩間違えれば死んでいるような攻撃ばかりだ。
僕は武神の剣を受けられるような体勢ではない。
そこで、咄嗟に重術を行使して――そのまま勢いよくドスンと地面へ倒れ込む。
もちろん追撃対策も忘れない。
僕は倒れると同時に〔水〕を飛ばしている。
「ッ……!」
ふふ……さしもの武神でも電気を蓄えた水を受けては動きが鈍るようだ。
水術と雷術の同時行使による電撃水。
すぐに放電してしまうという欠点はあるが、急場を凌ぐには充分だ。
僕は重術で勢いよく倒れた状態からゴロゴロと転がり、危地を脱したところで俊敏な動作で立ち上がった。
まったく……飛来斬撃には意表を突かれた。
ブルさんのビームもそうだが、溜めのない飛び道具をコンビネーションに織り交ぜられると非常にやりにくいものがある。
もう武神に電撃水は通じないだろうし、このまま手をこまねいていては目標である完全勝利が遠のくばかりだ。
こうなればやむを得まい。
出し惜しみをせず〔奥の手〕を使う時だ。
僕は心を決めて疾風の如く迫る。
間髪入れずに、武神から縦横無尽に逃げ場を無くすような斬撃が放たれた。
不意を突く為に飛来斬撃を温存していたようだが、既に知られた以上は隠しておく意味はないという事だろう。
このまま何も手を打たねば身体がバラバラになることは必定の斬撃だ。
だが、これを視るのは初めてではない。
かつて父さんから模擬戦中に放たれた経験がある。……冷静に考えてみると、息子への攻撃としては行き過ぎている気もする。
……いや、それは今は置いておこう。
今の僕には他に考えるべき事がある。
このままでは〔分割ブラザーズ〕の仲間入りを果たしてしまう事になるのだ。
対応策は幾つかあるが、今回は背後に仲間たちがいるので選択肢は限られる。
放って置いても大丈夫だとは思うが、仲間を危険に晒すのは好ましくない。
今回は素直に剣の力を借りるべきだろう。
そこで僕は、飛来する斬撃を視て――斬撃をなぞるように天穿ちを振るった。
斬撃を飛ばしているとはいえ、その本質は魔力だ。魔力を吸収する天穿ちで吸収できないはずがないのである。
武神は眉をピクリと動かして驚いているが、本当に驚くのはこれからだ。
僕は天穿ちで空中に軌跡を描く。
その中空の軌跡から――武神の放ったものと遜色ない斬撃が放たれた。
そう、これこそが天穿ちの本来の使い方だ。
受けた魔術を吸収して、それをそのまま反射するという魔術殺しの大剣。
……敵に魔力を送り込んで爆散させるような使い方は正用ではないのだ。
そして僕が返した魔力の斬撃とも言える攻撃。
武神の肉眼には視えていないはずだが、当然のように武神はそれに反応する。
瞳の奥に驚きの色を浮かべながらも、相殺させるようにまた斬撃を放ったのだ――そう、僕の想定通りに。
武神は父さんと戦闘パターンが似通っているので必ずそうすると読んでいた。
過去の模擬戦において、僕が父さんに斬撃を返した時と全く同じ対応だ。
武神が飛来斬撃に対処しているこのタイミング。
今こそ僕の切り札の出番だ。
僕は斬撃をお返しした直後には、その魔術を放つべく魔力を練り始めていた。
難易度が高い魔術なので集中するだけの時間が必要だったが、その時間は飛来斬撃で稼ぐことに成功している。
さぁ皆の衆、刮目せよ……!
僕の翳した手から〔黒い靄〕が放たれた。
セレンの刻術を可視化したような黒い靄。
一見すると不完全燃焼で発生する黒い煙のようでもあるが、黒い靄が放っている気配はどこまでも不吉なものだ。
黒い靄は一直線に武神の方に流れていく。
飛来斬撃を相殺した直後、隙が生まれている武神の身体を黒い靄が包み込む。
しかし敵もさるもの、武神は即座に反応する。
「――喝!」
全てを拒絶するような声を放った瞬間、武神の身体から突風が吹いた。
なるほど……裂帛の声に魔力を乗せて、風圧で靄を吹き飛ばしたようだ。
これはブルさんのクマビームに近いものだ。
だが、もはやその行動は手遅れだ。
僕が研究に研究を重ねて完成したこの魔術。
見た目からして身体に悪そうな黒い靄だが、実際にその通りの代物だ。
これをひと呼吸でも吸い込めば、身体に甚大な影響が出ることになる。
もちろん、息を止めて逃れられるようでは実戦で使い物にならない。
僕の研究成果に死角はない。
この黒い靄は、呼吸で吸入摂取しなければ良いというものではないのだ。
僕が目指したのは経皮摂取――そう、この靄は皮膚に触れればアウトだ。
「クッ……」
片足が砕けても不動の構えを見せていた武神。
その揺るぎない武神が、黒い靄に軽く触れただけで膝をついている。
しかし僕から言わせれば、まだ意識があるだけでも大したものだ。
この黒い靄は、一般人であれば吸っても触れても即死する類のものなのだ。
神持ちであっても、靄に触れるだけで呼吸不全は免れないという自信がある。
これこそが僕の切り札――そう、〔毒ガス〕である……!
毒術、麻痺術、呪術などの有害魔術を同時に行使することで、神持ちでも抗えないような毒物を生成することを実現しているのである。
もちろん本来ならば、どれも非接触で行使出来るような魔術ではない。
だが、僕は閃いてしまった。
霧術で生み出した〔霧〕なら魔術を付与することが可能ではないか? という事実に。……結果的にそれは正解だった。
魔術の効力こそ大きく減衰してしまうものの、魔術を同時発動することによって魔術効果を持った霧を生み出すことに成功したのだ。
そしてその霧を風術で送り込むことによって、こうして遠距離魔術として成立させているというわけだ。習得に困難を極めた魔術だったので、武神にまで効果を及ぼしていることには感無量である。
背後からは仲間たちの騒がしい声が聞こえてくるが……おそらく僕の魔術の絶巧ぶりに興奮しているのだろう。
ほぼ密室であるこの部屋で毒ガスという手段を取ったわけなので、必然的に僕や仲間も影響を受けることになるが、こんな時の為に僕らは毒物耐性を高めている。
多少具合が悪くなることはあっても、生命には別状ないはずだろう。
「さて、これで勝負はついたと思いますが……まだやりますか?」
僕が天穿ちを向けたまま問い掛けると、武神は静かに首を振った。
さすがにこの状況下では勝機が無いことを自覚しているのだろう。
「……『万術の神童』。聞きしに勝る秀抜な技量だな」
うっっ、それは幼少期に王都で呼ばれていたアダ名ではないか……。
妙に情報が古いのは、僕の影響で最新情報を観られないからなのかも知れない。
しかし調子に乗っていた頃の苦い記憶を掘り返さないでほしいものだ。
いや……これは武神が僕を認めてくれたという事なのだから素直に喜ぶべきか。
仲間たちも勝利を称えるように喝采を上げている。……心なしか怒声のようにも聞えるのは気のせいだろう。
仲間へと振り返ってみると――アイファなどは僕の勝利に興奮し過ぎているのか、口からヨダレを垂らしながら身体を痙攣させている有様だ。
いやぁ、これほど大歓喜してくれるなんて嬉しい限りだなぁ……。
あと二話で本作は完結となります。
明日も夜に投稿予定。
次回、八七話〔刻神〕