八五話 定められた邂逅
穏便に部屋を出る手段が分からないが、こんな時にも焦ってはいけない。
まずは心を落ち着けることが先決だ。
そこで、とりあえずティータイムにしようか? と僕が提案しようとしたその時――セレンが何かを確かめる様子で壁に触れた。
その変化は一瞬だった。
セレンが壁に触れた直後――壁に穴が開き、眼前に通路が現れたのだ。
もちろん『どすこい!』と、セレンが張り手を壁に浴びせたわけではない。
僕の目には、セレンが壁に触れて魔力を流しただけにしか見えなかった。
これはおそらくカードの転移と同じ仕組みだ。
この不思議空間では〔望んで魔力を流すだけ〕で行きたい場所へ空間が繋がるという仕組みになっているのだろう。
造神は『会いたいと望めば会える』と言っていたが、それは事実だったのだ。
この道が女王へ繫がっている可能性は高い。
通路の先には大きな部屋が見えるが、その部屋は無機質な造りではないのだ。
鮮やかな壁紙に彩られているばかりか、美術品らしき物まで飾られている。
一見した印象としては、玉座の間に続く〔前室〕のような雰囲気だ。
もちろん部屋の装飾だけで女王の存在を予想しているわけではない。
この道が女王へ繋がっていると判断したことには、それなりの根拠もある。
水晶の通路の先にある部屋の中には〔ある存在〕が控えているのだ。
「アイス君、なんかスゴいのがいるね」
ルピィの感想には僕も全面的に同意だ。
その部屋から先に進む扉を守るように、一人の偉丈夫が立っている。
通路越しに向こうもこちらに気付いているが、僕たちがやって来るのを待っているかのように動かないままだ。
遠目に目算する限りでは二メートルを超える大男なので、まさに門番といったところだろう。……視線からは敵意を感じないので幸先は悪くない。
こちらを見据えている男の眼に誘われるように、僕たちは水晶の通路を進む。
何事もなく豪華な部屋へと足を踏み入れ、先手必勝とばかりに話し掛ける。
「水晶のように清い心を持つ博愛主義者。はい、僕がアイス=クーデルンです!」
礼節に則って時候の挨拶から入りたいところだったが、この無機質な世界では天候も分からないので水晶を引用することとした。
僕の気の利いた挨拶に感心しているのか、レットが「アイスはブレねぇな……」と感嘆の声を送ってくれている。
しかしなぜか、僕が笑顔で礼儀正しく挨拶したことに偉丈夫は面食らっているような様相だ。僕が想像よりフレンドリーだったから驚いているのかも知れない。
それにしても……この神は造神とは違い、驚くだけの感情が残っているようだ。
これは会話が成立する予感があるので朗報だ。
大男は返す言葉に迷っているようだが、その反応は極めて人間らしいものだ。
僕は続けざまに気になっている事を尋ねてみる。
「あなたは……武神で合っていますか?」
「!?」
そう、この大男は〔武神〕だ。
一応聞いてはみたが、僕が父さんと同じ魔力の質を見間違えるはずがない。
まさかこの世界で最初に遭遇する神が武神とは思わなかったが、誰が相手であっても僕のやる事は変わらない。
武神は驚いた素振りを見せつつも、なぜか一瞬だけ体内の魔力を波打たせた――僕は反射的にそれを目で追った。
「――成る程。魔力を目で捕えているか。連中が危険視するだけはある」
おっと、引っ掛けられてしまったようだ。
何事かと思ったが、僕が魔力を視認出来ることを予想して誘いを掛けたらしい。
僕の特性を即座に見抜いて巧妙に確認を取ってくるあたり、怪物じみたセンスを持っている父さんによく似ている。
そしてこのやり取りで多くの事が判明した。
この武神は油断ならない相手ではあるが、これまで出会った神とは違ってこちらに対して友好的だ。
武神が本気で敵として立ちはだかるつもりならば、僕の特性を察したことを口に出さずに実戦で利用していたはずだからだ。
なにより、武神は僕を敵対視している存在を『連中』と言っている。
この口ぶりから、武神は呪神たちとは違う思想を持っている可能性が高い。
期待はしていたが、やはり神々は一枚岩では無かったという事だろう。
とりあえず――僕を危険視している神がいるというのは非常に不本意なので、僕が危険な人間という誤解を解いておくとしよう。
「いえいえ、僕ほど無害な人間はいませんよ。今日は女王に会いに来たのですが……奥の部屋ですか?」
「――然り。女王に会いたくば己が武を示してみせろ」
話が通じているのは嬉しいが、結局のところ争いは避けられないらしい。
しかしこれは相当に厄介だ。
造神は老練な実力者だったが、持っている加護の性質は生産系の類だった。
だが今度は――武神。
武器系のような戦闘向きの神でも厄介なのに、戦闘系の極みのような存在だ。
ここは口八丁手八丁で丸め込みたい。
「そこを何とかなりませんか? それにその、もしあなたが不慮の死を遂げてしまったら僕の父さんにも影響が出る可能性がありますし……」
神と加護持ちの繋がりはよく分からないのだが、武神が死亡することで父さんが加護を失う事態になれば大変だ。
父さんは加護が消えても『そうか』で済ませそうではあるが、運悪く戦闘中のタイミングで力を失ったら父さんの身に危険が及ぶかも知れないのだ。
「――否。女王は心が弱い。これ以上知人を失う痛みには耐えられまい。それから……我が滅んだところでカルドに影響はない」
武神から返ってきたのは意外な言葉だった。
その発言内容からすると、彼がこちらの力量を試そうとしている目的は、自分の趣味でもなければ僕たちへの嫌がらせでもない。
武神は女王の身を案じている。
女王は心が弱いと言っているが、これは女王を軽視しているからではない。
武神の声からも言葉の内容からも、女王を慈しむような響きが感じられるのだ。
どうやら二人は女王と臣下という関係ではなく、親しい間柄にあるらしい。
そうなると――武神が『武を示してみせろ』と言っている理由も明白だ。
女王は親しい人間が死んでしまうと心が壊れるほどに脆いので、簡単に死ぬような惰弱な存在と引き合わせるわけにはいかないという事だ。
一風変わった思想ではあるが、個人的には好ましい考えだと言える。
そして、武神が『カルド』と呼ぶ声。
武神が父さんを呼ぶ声には、そこはかとなく優しさが感じられた。
加護を与えただけあって自分の子供のように思っているのだろうか……?
そうなると呪神が父さんにした仕打ちをどう考えているのか気になるところだが……いや、それは後の事だ。
「分かりました。では、僕がお相手しましょう」
ここまで聞けば手合わせを断るわけにはいかない。
武神が尋常な存在でないことは百も承知だが、ここで引くのは仁義に反する。
僕が背中の天穿ちを抜くと仲間たちも呼応するように構えるが――しかし、僕は仲間たちの動きを手で制した。
「……一人でやる気か?」
レットが皆の気持ちを代弁するように問い掛けてきたので、僕は頷きを返す。
無論、一人でも楽勝だから手助けが必要無いというわけではない。
なんとなく武神は僕個人との戦闘を望んでいる気がしたので、どこか父さんに似ているこの武人の想いに応えたいと思ったのだ。
あと三話で本作は完結となります。
明日も夜に投稿予定。
次回、八六話〔最後の闘い〕