八三話 屈服の暗黒
図書館の置物のように動かない造神。
埒が明かない状況に僕が悩んでいると――「にぃさま、よろしいですか?」と可愛い妹が尋問を買って出た。
セレンが正面から視線を据えると、造神は関心を向けるように視線を向けた。
他の仲間には視線を向けることすらないのに、僕とセレンにだけは少なからず関心を持っているように見えるのが不思議だ。
そしてセレンは、静かな声で詰問する。
「一つだけ質問に答えて下さい。――にぃさまに刺客を送ったのは貴方ですか?」
なるほど……王都で魔大陸出身の刺客に襲われたことについてか。
神から送られてきた刺客だと想定していたが、確認は取っていなかった。
一つだけ質問に答えるようにと要求しておきながら、神に関する事柄ではなく僕が襲われたことについて問い掛けるとは……お兄ちゃん想いの心優しい子だなぁ。
そんなセレンの優しい気持ちに心を動かされたのだろう、ひたすらに沈黙を保っていた造神が重い口を開く。
「そうだ。これは箱世界の異物だ」
ひどいっ……!
無害な僕を世界規模の異物にするとは……。
品行方正に生きている僕のような善人に対する仕打ちとは思えない。
僕の親友である裁定神持ちのレット。
レットは幼少期に村で爪弾きにされていたが、僕はそれどころではない。
舞台は世界――そう、僕をワールドワイドな爪弾きにするつもりなのだ!
造神の自供を聞いたセレンは「そうですか」と冷たい反応だ。
セレンは静かに激怒しているようだが、兄が身勝手な言い分で命を狙われたので無理もない。僕だってセレンが同じ目に遭ったら相手を生かしてはおけないのだ。
そして可愛くて優しい妹は、鈴を転がすような澄んだ声で判決を告げる。
「では、愚行の報いを受けてもらいましょう。ななつ、やっつ……いえ、〔十〕が適当でしょうか」
裁きを告げる静かな声。
穏やかな声から紡ぎ出される内容を理解した瞬間――思わず鳥肌が立った。
その不穏な言葉の意味するところは明白だ。
セレンの刻術は〔対象の知覚を加速させること〕が可能だが、セレンはその加速速度を任意で調整することが出来る。
僕が実験台になったところ――コンマ一秒を基準として『ひとつ』で十分、『みっつ』で体感時間が三日くらいに引き伸ばされる結果となった。
単純に倍増しているわけではなく、指数関数的に跳ね上がっていることになる。
この術の恐ろしいところは、思考は正常なまま指一本動かせない状態を長時間強いられることにある。……〔十〕ともなると、年単位の体感時間になるのではないだろうか?
これはいくら神でも耐えられるとは思えない。
「駄目だよセレン。まだ聞きたい事があるから殺しちゃうのはまずいよ」
僕はセレンを諌めに入った。
本来なら命を狙ってきた相手に情けは無用だ。
だが成敗するにしても、造神から必要な事を聞き出してからにするべきだ。
しかし僕がセレンを説得していると、当の造神が挑発するような言葉を呟く。
「無駄だ。私に拷問の類は通じない」
痛覚を失っていることが影響しているのか、危機感も無くなっているようだ。
ふむ、このまま自白を待っても成果は無さそうではあるし、神の自信を砕くという意味でもセレンに任せてみるのも手だろうか……?
「う~ん、それじゃあ任せちゃっていいかな? でも、やり過ぎは駄目だよ」
「ふふ……傷ひとつ負わせませんよ」
セレンは非暴力の保証をしてくれたが、実のところこれは優しさではない。
僕の経験からすれば、多少の痛みがあった方が意識を逸らせられるのだ。
何も刺激が無い状態で長時間動けないとなると、それだけで精神に変調をきたす可能性が高い。……まぁ、造神は自信がありそうなので物は試しだ。
そしてセレンは黒い靄を生み出した。
ひと目見ただけで心臓が凍りつきそうな感覚。
黒い靄がそこにあるだけで世界が昼から夜に変化してしまったような転落感だ。
これは……想像以上に危険な代物だぞ。
これが心に作用するものならば、清らかな心すらもドス黒く染め上げてしまいそうな暗黒の塊だ。……さすがに〔十〕ともなると禍々しさが尋常ではない。
正義の味方である僕たちが使っていい魔術なのか疑問が残るほどだ。
黒い靄が見えない仲間たちにも異常性が伝わっているらしく、万が一にも靄に触れてはならないとばかりに、一斉にセレンから距離を取っている。
今日は勇ましい姿を見せていたマカでさえ迅速な行動を起こしている。
本能が命じているかのように僕のフードへ「避難ニャ!」と飛び込んだのだ。
しかしマカの気持ちはよく分かる。
僕だってこの場にブルさんがいたら背中に飛び付いていた自信がある。
もちろんフカフカの毛並みを堪能したいという下心からの行動ではなく、大きなものに全身を包まれて安心感を得たいからだ。
それほどにこの黒い靄は、心中の不安を掻き立てるものがあるのだ。
造神だけは平然としているが、これは危機意識が欠如しているとしか思えない。
そしてセレンの翳した手に応えるように――絶望の靄が造神へ取り憑く。
――――。
「ころして、くれ」
造神は憔悴していた。
腕を切り落とされても欠片も動揺を見せなかった神。
その造神が、今となっては弱々しい声を上げて自らの死を望んでいる有様だ。
見る影もなくなってしまった神に、心優しいセレンが笑顔で声を掛ける。
「『殺してくれ』ですか。まだ立場を理解していないようですね」
「っ……ころして、ください」
神に敬語を強要している……!
なんということだ……もはや完全に造神の心をへし折っているではないか。
これは僕の生命が狙われたことがよほど腹に据えかねていたのだろう……。
――そこから先の尋問はスムーズだった。
感情を失くしていたはずの造神は、今や恐怖という感情に支配されている。
固く口を閉ざしていたことが幻であったかのように、聞かれてもいないことまで洗いざらい喋ってくれたのだ。
造神が情報を吐き出し尽くしたのを見計らって、セレンは「頃合いですね」と呟き――造神の脳天にナイフを突き入れた。
膨大な魔力を込めたナイフなら頭蓋骨を貫くことも難しくはないが、老人の外見である造神を迷いなく殺害する意思の強さは相当のものだ。
セレンを苦手としているレットなどはドン引きして後退りしているほどである。
しかし……レットが引いているくらいなので、この光景を他人に目撃されたら致命的なことになりかねないな。
なにしろ造神は外見だけなら普通の老人だ。
学園の敷地内にある図書館で、司書である老人が両腕を切り落とされて脳天にナイフが刺さっているわけである。
うむ、どう見ても残虐非道な凶悪殺人事件にしか見えない……!
色々と聞きたくないことまで聞き出したのもあって、個人的には同情の余地はないのだが、公の立場では図書館の館長を務めていた無害な老人だ。
この現場を教え子である馬耳君に目撃されたら『アイス先生がこんな事をするなんて……』と人間不信に陥ってしまうかも知れない。
そんな事態になれば大変だ――そう、僕が同窓会に呼ばれなくなる!
僕にとっては憧れのイベントである同窓会。
数年振りに再会する友人たちと『お互いにハゲてきたなぁ』などと、学生時代からの変化を愚痴りながら談笑したりする催しだ。
『お久し振りですねロブさん』
『――ヒダブネカイス!』
うむ、そこは変わっていてほしい!
……おっと、また思考が脱線してしまった。
とりあえずフェニィに死体を焼却してもらう必要性はあるが、その後に僕たちには大事な仕事が残っている。まだ気を抜くのは早い。
これから僕たちは、この旅の目的を果たさなければならないのだから。
明日も夜に投稿予定。
次回、八四話〔消失する存在〕