七七話 追い詰めてしまう模擬戦
死地から生還したばかりの子もいるので、彼らは少し休ませてあげるとしよう。
とりあえず馬耳リーダー君の稽古を優先だ。
しかし、なぜ彼は未だに動かないのだろう?
治療中の僕は客観的に見ても隙だらけだったが、彼は身体をコンクリートで固められたかのように動いていない……いや、違う。
よく見ると馬耳君は少し動いている――身体がブルブル震えている!
神持ちの仲間二人が五秒も保たなかった影響なのか、馬耳君の顔は恐怖と絶望に引き攣っている。挫折を知らない人間ほど想定外の事態に弱い傾向があるが、今の彼はまさにその状態だ。
馬耳君は嗜虐的な顔で観戦をしていたはずなのに、仲間二人が倒れただけで可哀想なほどに恐怖で震えている。
うむ、この弱すぎるほどに弱いメンタル。
馬耳君は文字通り馬脚を現しているようだ。
……いや、彼ばかりも責められないか。
軍人としての教育を受けていたはずなのに、クラスメイトたちも青ざめた顔をしている者や膝を突いている者が大多数だ。
これほど大袈裟な反応をされるだけの事をした覚えはないのだが……強いて言えば大量吐血がまずかったのだろうか?
たしかにクラスの仲間が『今期最後の大放出!』とばかりに大量の吐血をしてしまったので、少々ショッキングな光景だったことは認めざるを得ないだろう。
なにしろ生徒どころか、先生までもが驚愕で腰を抜かしている有様だ。
しかし厳しいようだが、この程度の流血で動揺しているようではいけない。
僕たちが魔大陸を訪れなければ、彼らは将来的に〔熊神〕と対峙していた可能性があったわけである。……ブルさんはこんな生易しいものではない。
クマビームで首を飛ばせば噴水のように血が噴き出るわけなので、出血量でも凄惨さでも吐血とは比較にならない。
その点、学園の卒業生であるにも関わらずクーチャは落ち着いている。
それもそのはず、クーチャはブルさんによる虐殺現場を幾度となく目の当たりにしているのだ。口から血を吐く程度の光景で動揺するはずもない。
むしろクーチャは、僕が優位に立っている影響なのか満足そうな様子だ。
普段は苦手そうにしているセレンへ親しげに話し掛けているが、同じく満足げなセレンの方もいつになく愛想良く相手をしている。
ルピィの反応に関しては言及するまでもない。
彼女が血に怯えることなどあるはずもなく、むしろ生徒の大量吐血に笑い転げている有様だ……ここまで到達してしまうと人としてアウトである。
おっと、ルピィの非人間性に引いている場合ではなかった。
まだ馬耳君は何も出来ていない。
せっかくの模擬戦なので彼の動きを見る為にもリラックスさせてあげなくては。
「ふふ……大丈夫だよ。僕の訓練は死にそうで死なないことで有名なんだ。ほら――怖くない、怖くないよ」
僕は笑顔で優しい言葉を掛けつつ、驚かせないようにゆっくり近付いていく。
もちろん僕の言葉に嘘はない。
毎回死者が出るシーレイさんの調練とは違う。
僕による訓練は死亡者ゼロを維持し続けている。
これにはやはり、僕が治癒術を行使出来るという事実が大きい。
仮に兵士さんが瀕死の重傷を負ったとしても、十分後には何事もなかったかのように訓練に復帰しているのである。
「あっ、ああっ……」
僕が笑顔でゆっくりと歩み寄っているにも関わらず、馬耳君は処刑人が迫ってきているかのように泣き出しそうな顔になっている。
今にも土下座しそうな雰囲気ではないか……。
おかしいな、なぜこんな反応をされてしまうのだろう……?
もしかしたら僕の笑顔が足りないのかな?
そこで、更に頬を上げて笑みを深めてみたが――結果的にそれは失敗だった。
おそらく馬耳君はぎりぎりのところで踏み留まっていたのだろう。
そして皮肉にも、僕の温かい笑顔によって臨界点を超えてしまったのだ。
残酷にも決壊する馬耳君の堤防。
彼のズボンの股が次第に湿っていく――――そう、〔お漏らし〕である!
な、なんてことだ……。
これは打たれ弱いなどというレベルではない。
指一本折ってないのに彼の心は既に折れている。
しかし、これは放って置くわけにはいかない。
まるで僕が苛めたかのように誤解される恐れがあるし、馬耳君としても多感な時期にお漏らしをしてしまったとなれば心に深い傷を残すことになる。
しかも衆目の中での粗相だ。
同級生から『お漏らしホース』と呼ばれて虐められる可能性だってある。
そんな穴の開いた園芸用ホースのようなアダ名で呼ばせるわけにはいかない。
ここは僕の巧みなアドリブの見せ所だ。
ごく自然な形で彼の尿漏れを誤魔化してみせる。
しからば参る――――いざ、放水!!
僕は馬耳君に向けて〔水術〕を放った。
もちろんこれは攻撃などではない。
僕の水術ではダメージを与えられないので彼の下半身を濡らしただけだ。
そう、濡らした。
木を隠すなら森の中。
彼のズボンを濡らすことで失禁を誤魔化してあげようという配慮である。
しかしこれだけでは不完全だ。
攻撃力のない水術を放っただけでは状況的に不自然過ぎるのだ。
これはあくまでも〔有効な攻撃手段の一部〕だと周囲に思わせる必要性がある。
気遣い名人である僕の本領はここからだ。
世界よ凍てつけ――凍術、発動!!
僕は足元の水溜まりに渾身の凍術を発動する。
もちろん、尿成分を含む水にはノータッチだ!
膨大な魔力を注ぎ込んだ凍術は、僕の狙い通りの効果を発揮していた。
「う、あっ……」
馬耳君の下半身は完全に凍りついている。
本来ならば〔凍神〕でもない限りは難しい規模の凍術だが、ここぞとばかりに大量の魔力を投入したので上手くいってくれたようだ。
これで彼の名誉は守られた。
ただ水術で濡らすだけなら不自然だった。
だが、下半身を凍らせて動きを封じたとなれば戦術的にも極めて自然だ。
しかし僕が内心で自画自賛していると――外野から想定外の声が飛んでくる。
「出たぁーっ! アイス君得意の強制サンドバッグ! 後はいつものように死ぬまでボコボコだね!」
なっっ!?
声援に見せかけた僕を陥れる声。
確かに下半身が氷漬けになった馬耳君は――人間サンドバッグのようだ!
おのれルピィめ、なにが『出たぁーっ!』だ。
さりげなく僕がいつもやっている得意技のように言っているが、こんな非効率な魔術を行使したのは今回が初めてだ。
頼まれてもいないのに試合の実況者になっただけならともかく、僕をなぶり殺しの常習犯に仕立て上げようとするとは許し難い。
ルピィの虚言のせいで実習場の空気まで凍りついているではないか……!
「ち、違うよ……」
焦った僕は言い訳をしながら馬耳君に近付く。
しかしこの性急な行動も失敗だった。
恐慌状態となった馬耳君は下半身事情を忘れて後退りしようとするが、彼の足は凍りついているので動けるはずもない。
結果として、彼は上半身を大きく仰け反らせ――――ブリッジをしてしまう!
「ご、ごめ、ごめん、なさい……」
なんてことだ……。
馬耳君は土下座して謝罪するどころか――ブリッジをしながら謝っている!
これはすごい、反省しているどころか挑発しているように見えるぞ……!
あまりにもあんまりな光景に実習場はますます凍りついているが、実際のところ馬耳君のこれはファインプレーとも言える技だ。
僕は最初から怒ってなどいなかったのだが、腹を立てていた仲間たちが〔ブリッジ謝罪〕に溜飲を下げている気配がするのだ。
ルピィもご機嫌で爆笑しているので、馬耳君に『次はあの男女を痛めつけてやる』と言われていたことは水に流しているはずだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、七八話〔起きていた惨劇〕