六二話 ごく自然な対面
僕とブルさんが意思疎通を交わし、計画を実行に移そうとしたその時――すっかり存在を忘れていた男が叫び声を上げた。
「お、おみゃへぇ! 自分がにゃにをしひゃか分かってんひゃっか!?」
ブルさんの試合上のパートナーだった王弟だ。
察するに、『自分が何をしたのか分かってんのか?』と言っているようだ。
あなたが何を言ってるんですか? と言いたくなるほどの言語不自由ぶりだが、熊神の解放に著しく動揺しているようなので無理もない。
多少聞き取りづらくとも〔ロブ検定二級〕を持っている僕にとっては、この程度の解読などお手の物である。
この男のロブレベルは取るに足らない――『コイツァ、ヒョッコダゼ!』
うむ、心のロブさんの判定も厳しいものだ。
ロブさんにひょっ子扱いされるのが良い事か悪い事かは置いておいて、王弟がろれつ困難になるほど混乱するのも当然だ。
なにしろブルさんの首輪が外れているだけではなく、対戦相手の僕と親しげに握手を交わしているのだから。
しかし、この男の処遇はどうしたものだろう?
明らかに男からは悪人臭がするものの、こんな男でも国王の弟だ。
まだ試合中なので試合のルールに則って成敗してもいいのだが……それをやると、これから控えている国王との会談に悪い影響が出る懸念がある。
「グォォォッ!」
僕が迷った時間は一瞬だけだった。
男の言葉を耳に入れるだけでも不愉快とばかりに――ブルさんが必殺光線で文字通り〔必殺〕してしまったのだ!
熊神の首輪が外れているのでは? という疑惑や、セレン効果による集団昏倒が発生した影響で混乱が深まりつつあった闘技場。
そんなところに誤魔化しようがないほどに王弟の頭が吹き飛んでしまったので、元々混乱していた闘技場は本格的な恐慌状態に陥ってしまった。
耳をつんざくような甲高い悲鳴。
誰に怒りをぶつけているのか分からない怒号。
……残念ながら、もはや完全に闘技大会どころではなくなっているようだ。
王弟の殺害についてブルさんに注意をしようかとも思ったが、ブルさんに奴隷生活を強制していた相手だと考えれば責められないものがある。
それに、今はブルさんの殺人ハードルの低さを追及している場合ではない。
今は早急に行動すべきところだ。
その理由は他でもない、熊神が制御不能となり王弟が死亡したということで――国王が逃げ出すかも知れないからだ。
「それではブルさん。手筈通りにお願いします」
「分カッタ」
僕は王弟の殺害について言及したりはしないが、ブルさんの方も何事も無かったかのように平然としている。……呼吸をするように人を殺しているので今後のブルさんの事が心配だな。
この件が片付いたら、ブルさんは野生に帰るのか人間社会で暮らすのかは分からないが、いずれにしても常識的な倫理観を教えてあげなくてはならないだろう。
僕が解放者としての責任感に燃えている内に、状況は動き出していた。
ブルさんが猛然と僕に向かって走ってくる。
そしてそのまま僕に向かって腕を突き出してきたので――突進の勢いを殺すことなく背負い投げる!
僕はまだ片腕しか動かせないが、ブルさんを背負い投げする分には支障は無い。
なにしろこれは、走ってくる突進力を利用しただけの背負い投げではない。
ブルさんの方も、僕に投げられるのに合わせて跳躍している。
そう――これは僕たちが仲違いをしているわけではなく、この一連の流れは事前にブルさんと示し合わせていた行動だ。
推進力をそのまま背負い投げに転換したことに加えて、そこから更にズバ抜けた身体能力を利用してのジャンプ。
僕とブルさんとの友情パワーにより――――ブルさんは大空へ飛び立った!
もちろん無計画に飛ばしたわけではない。
その飛行経路の先にあるのは――貴賓席!
――バリーンッ!!
ブルさんは窓ガラスを突き破り、豪快に貴賓席への入室を果たした。
貴賓席からけたたましい絶叫が響いてくるが、それも当然と言えば当然だ。
高みの見物を決め込んでいたはずが『クマー!』とブルさんが窓から乱入してきたのだから……!
おっと、僕もこうしてはいられない。
僕は空術を行使して現場へ急行する。
この魔大陸で空術の使い手は存在しないはずだが、僕が颯爽と空を飛んでいても観客の反応は薄い。……なにしろ観客はそれどころではないのだ。
僕の視界に映るのは、闘技場から我先にと逃げ出そうとする観客ばかりだ。
この場外乱闘戦に大喜びしているのは我らがルピィくらいのものだ。
ルピィ好みの派手な展開になったせいか、手を叩いて声援を送ってくれている。
そして――僕はブルさんが突き破った窓から軽やかに入室する。
貴賓席の中には、立っているだけなのに部屋の空気を支配しているブルさんだ。
王族や護衛たちは、ブルさんの存在による恐怖で身動きが取れなくなっている。
なるべく人間を殺さないでほしいとブルさんにお願いしておいたが、ちゃんと約束を守ってくれているようで一安心だ。
僕が小声で感謝を告げると、ブルさんの方からも、それと分からないくらいの小さな頷きが返ってきた。
お膳立てを整えてもらったからには、後は僕の話術の見せ所だ。
「いやぁ、失敬失敬。試合中に勢い余って場外に飛ばしてしまいましたよ」
これは試合中の不幸な事故だとアピールだ。
試合中に吹き飛ばされた選手が観客にぶつかるという光景は珍しくない。
そして大会本戦に場外負けは存在しないので、僕がブルさんを追って貴賓席に来ることも極めて自然な流れだ。
闘技場の構造からすると選手が観客席に飛び込むことは早々ないだろうが、絶対に起こらないとは言い切れない。
現に、僕とブルさんはここにいる……!
「おやおや、よく見れば貴方は国王さんじゃないですか? こんなところで会うなんて奇遇ですね!」
そう、これこそがブルさんに突入してもらった理由に他ならない。
優勝して国王へ面会することは難しい状況になりつつあったので、試合中のアクシデントを装って国王と面会を果たそうというわけだ。
もちろんブルさんに突撃訪問を任せることについては抵抗感があった。
しかし頑健な肉体を持つ熊神がこの程度で怪我をするはずもないし、ブルさんは僕の腕をカットしたことを気に病んでいる様子だったのだ。
負い目につけ込んだと言われても否定できないところだが、奴隷解放交渉はブルさんにとっても利益がある話なので、罪悪感の解消も兼ねてこの大役を任せてしまった次第だ。
そしてブルさんは見事期待に応えてくれた。
空を飛ぶ突撃クマさんのおかげで、このようにごく自然な形で国王との面会を果たしてしまったわけである。
あと二話で第三部は終了となります。
明日も夜に投稿予定。
次回、六三話〔起こりうる事故〕