六十話 疑惑の決勝戦
そして迎えた、魔獣闘技大会の決勝戦。
僕は舞台で絶対王者のペアと向き合っていた。
緊迫した空気の中――審判のタヌキ耳おじさんが僕に声を掛ける。
「キミ、パートナーはどうしたんだ?」
おじさんの問い掛けに、僕は笑顔でフードの中身をクイッと覗かせた。
もちろんフードの中には白い毛玉だ。
「このまま始めてもらって構いませんよ」
僕が自信を込めた言葉を伝えると、おじさんは心配そうな顔で「本当に良いのか?」と再度確認を取ってくる。
なんとなく優しそうな人だという印象を持っていたが、縁もゆかりもない僕の身を案じてくれていることからして、やはりおじさんは良い人のようだ。
しかし、この舞台には善良な人間だけが存在しているわけではない。
「うひょひょひょ! おいおい、神獣と聞いてたからどんなモンかと思ってたら、俺様のブルにビビってんじゃねぇかよぉほっひょひょ!」
この品性が欠片も感じられない男。
これが、ヒグマのブルさんのパートナーだ。
十五センチはある高い鼻――部位が多いわけではなく、部位が変化しているタイプの神持ち。
人国で最も崇められる神持ちであるこの男は、これでも〔王族〕だ。
この闘技大会は熊神の武威を知らしめるという目的と共に、その力を〔王族が管理している〕という事実で王家の威光を見せつけるという意味もあるのだ。
国王の実弟であり、レオーゼさんを迫害していた兄ということになるが……腹違いの兄妹とはいえ、レオーゼさんと比較して共通点が微塵も感じられない。
前の試合でも対戦相手が死亡して『うひょひょ〜!』と喜んでいたくらいなので、優しい性質のレオーゼさんと気が合わないのも当然だろう。
「さっさと試合を始めろやウスノロぉ! どてっぱらに穴を開けてやるぜぇッ!」
差別主義の王族だけあってタヌキ耳おじさんにも横柄な態度だ。
しかし、僕の方も早く試合を始めてほしい事情があるので異存はない。
なにしろ僕には弱みがある。
僕の弱みの原因は――観客席に存在している。
そこにいるのは僕の仲間たち。
露店で買った食べ物を食べながら、試合の開始を楽しみそうに待っている。
そしてその中で、一際目を引く存在がいる。
小さな身体で一人分の座席を占領している小動物であり、本来ならそこにいるはずのない仔猫――――マカ!
そう、あろうことかあのニャンコは敵前逃亡しているのだ……!
周囲の観客はマカの存在が気になっている雰囲気ではあるものの、参加選手が客席で寛いでいるはずがないので奇怪な猫という判断に留まっているようだ。
しかしマカが客席にいるなら、僕のフードに存在している白い毛玉は何なのか?
実はフードの中に鎮座しているのは……昨晩夜なべして制作した〔マカに似せたぬいぐるみ〕なのだ!
白い毛玉ならぬ替え玉で挑んでいるわけなので、審判さんに確認されてしまうと面倒な事になるのは間違いない。
王弟の発言に同意するのは不本意だが、僕としても替え玉が露見する前に試合を始めてほしいというわけだ。
――昨日の熊神の試合後。
固まっていたマカが動き出して最初に取った行動は、鳴き落としだ。
僕の足に抱きついて『絶対に嫌ニャ!』と全身でアピールしつつ、悲しげな鳴き声で闘いたくないと訴えてきたのだ。
そんな切実なアピールを受けてしまえば僕としては諦めざるを得ない。
そもそもからして、僕はマカを利用する為に連れ歩いているわけではない。
だから、マカが本気で嫌がるようなら強制するつもりなど毛頭ないのだ。
しかしあのニャンコ……昨日は鳴き落としをしていたのに、今は観客席で他人事のような顔をしてポップコーンを食べているではないか。
マカが離脱したこと自体は納得しているが、あのお気楽そうな姿を見せつけられるとモヤモヤしてしまうな……。
ちなみにマカが臆病風に吹かれたことについて、意外にも仲間たちからマカを責める声は上がっていない。
あのセレンですらマカを責めていないのは、期待をしなければ失望もしないという冷たい理由からではない。
パートナーのマカが逃げてしまえば、必然的に僕が一人で闘うことになる。
仲間たちは僕の戦闘を観戦することが好きなので、僕が孤立無援となっているこの状況を喜んでいるというわけだ。……冷静に考えてみれば酷い話である。
「――始めっ!」
おっと、ニャンコたちの事を考えていたら試合が始まってしまった。
なにはともあれ、まずは挨拶からだろう。
「こんにちはブルさん、僕はアイス=クーデルンです。よかったらお友達になりませんか?」
僕は親しみを込めてクマさんに話し掛けた。
難攻不落の交渉相手とはいえ、やる前から諦めているようでは交渉人失格だ。
幸い、パートナーの王弟は場外に避難しているので邪魔が入る心配はない。
……大口を叩いて即逃げ出すのは如何なものかと思うが、前の試合でマカが披露した雷術を恐れているのだろう。
「グォォォッ!」
クマさんの返答はビームだった。
口を開くと同時に放つという驚異的な発動速度だが――僕の眼には前兆が視えているので危なげなく回避だ。
そう、クマビームが発射される直前には口元に魔力が集束している。
魔力が視える僕にとっては攻撃を予告されているようなものだ。
「まぁまぁ落ち着いてください。決して悪いようにはしませんので、とりあえずこの場は降参してくれませんか?」
「グォォォッ!」
またしてもビームが飛んできたのでサッと躱す。
熊神の必殺光線を連続で回避する人間が珍しいのか、闘技場内は大きなざわめきに包まれている。
そしてそれは観客に限った話ではない。
自慢のビームが当たらないことに驚いたのだろう、熊神はこの試合が始まってから初めて――僕を一人の存在として見た。
「……お前、人間カ?」
おっと、初めて対話の意志を見せてくれたと思ったら随分とご挨拶だ。
ヒグマ離れどころか生物離れしているブルさんに言われるのは心外である。
さしもの僕でも、人間であることを疑われたのは初めての経験だ。
いや、過去には『化け物』と呼ばれたこともあったような……いかん、危うくトラウマに触れるところだった!
「正真正銘ただの人間ですよ。僕はブルさんと友達になりたいだけなんですが……そうですね、お近付きの印にその〔首輪〕を外すというのはどうでしょう?」
僕はブルさんとは争いたくないと思っている。
これは勝てる勝てないの問題ではない。
面と向かって対峙することで、ブルさんの心情が僕の心に伝わった。
ブルさんは理性の欠けた獰猛な獣という第一印象を受けるが、その怒り猛っている瞳を正面から見詰めると――なぜか、僕の目には泣いているように見える。
全てを憎んでいるような瞳でありながら、哀しそうな瞳に見えて仕方がない。
誰に話しても一笑に付される感想だと思うが、僕は自分自身を疑うことはあっても自分の直感を疑ったりはしない。
元より奴隷生活を強制されている彼と闘うことは気が進まなかったのだが、もはや僕の闘争意識は完全に霧散している。
「……人間は、皆殺しダ」
ブルさんは少しだけ沈黙して僕の真意を探ろうとしていたようだが、最終的には人間に対する不信感が勝ってしまったようだ。
彼の境遇を考えれば無理からぬ事ではあるので、僕に失意の感情はない。
そして、僕はブルさんを諦めるつもりはない。
明日も夜に投稿予定。
次回、六一話〔果たすべき誓い〕