五五話 混迷の大会予選
大会参加者が集まる予選会場。
現在は予選ブロックを決める抽選待ちで待機しているところだが、眼前では予想に反した場景が広がっている。
試合前ということで参加者はパートナーの魔獣と親睦を深めるものと思っていたが、そのような心温かい光景はほとんど見られない。
なにしろ周囲を見渡す限りでは、大半の魔獣が〔檻〕の中に入っているのだ。
魔獣とペアで共闘する大会であるはずなのだが……檻の中で暴れている魔獣の様子からすると、檻から出た途端にパートナーに襲い掛かりそうな勢いだ。
この状態でどうやって共闘を成立させるのだろうか……?
「――はい。次の方、お名前をどうぞ」
「あ、はい。アイス=クーデルンとマカです」
闘技大会の在り方を心配している内に、僕の番が回ってきた。
名前と顔を確認されてクジを引くだけの形式的な作業だ。
「アイスさん、パートナーの魔獣はどこですか?」
おっと、これはうっかりしていた。
パートナーの顔見せも必要なのに、フードで寝ているマカを起こしていない。
「すみませんお姉さん。こちらがマカになります」
食事後にはお昼寝を取る習慣があるので、僕に両脇を掴まれていてもマカは眠りこけたままだ。
眠っているマカを見て表情を緩めた受付のお姉さんだったが――急に、ハッとしたように血相を変えた。
「あ、あなた、こんなに小さな仔猫を参加させるつもりですか!?」
ま、まずい……大きな誤解をされている。
お姉さんが僕を見る視線は人でなしを見る眼だ。
愛玩動物を闘技大会に参加させる非道な人間だと思われているのは明白……!
『おい、あれ見ろよ』『ひでぇやつもいたもんだな』『ちょっと引くよね』
気が付けば周囲の空気も完全にアウェーだ。
さりげなくルピィも陰口に参加しているという四面楚歌な状況である。
「誤解ですよお姉さん。この仔猫はこう見えて強いんですよ」
僕は眠っているマカの両腕を持ってシュッシュッと素振りをさせる。
しかし……マカのサイズがサイズだけに愛らしさしか感じさせない。
「……大会の参加規定は満たしていますから、私に止めることはできません」
お姉さんは自身の無力感に打ちのめされているような顔をしている。
仔猫が虐殺の場に送られるのに、自分に止められないことが悔しいかのようだ。
むしろ言葉を全く信用してもらえない僕の方が無力感に打ちのめされされているのだが……。
早くも悪評を背負うことになってしまったが、しかし心配はいらない。
大会が始まりさえすれば、マカの優秀さは人々にも伝わるはずだ。
それに、言われなき悪評に曝されることには僕は慣れているのだ。
善良な僕を疑ったことの罪深さを、人々はすぐに後悔することになるだろう。
そう、冤罪は許されないことなのだ……!
――――。
魔獣闘技大会の試合模様は想像を絶していた。
この予選を一言で表すなら、〔混沌〕だ。
一つの闘技台で複数のペアが潰し合う、バトルロイヤル方式の大会予選。
本戦の屋外闘技台とは違い、予選はあまり大きくはない屋内の闘技台だ。
予選における第一の問題は、その小さな闘技台に八組のペアという無茶な構成がされていることだ。
魔獣の入った檻だけでもスペースを取っているのに、それに加えてパートナーの人間もいるわけである。
闘技台から落ちたら失格となるルールだが、狭い行動スペースの影響でまともに闘うまでもなく失格者続出となっている有様だ。
しかし、この闘技大会ではそんな事は小さな問題に過ぎない。
闘技台に立つ僕の前には、大会における最大の問題が展開されていた。
『やめろッ、近付くな!』『くそッ、お前の敵は向こうだろうが!』
試合開始と共に檻から解き放たれた魔獣たち。
参加者八組のうち四組が――――パートナーに襲われている……!
なんという混沌とした大会なのか……。
パートナーと呼ぶのも烏滸がましいほどに信頼関係が皆無だ。
おそらくこの魔獣たちは、大会に参加する為だけに捕獲した魔獣なのだろう。
本戦出場にまで至れば賞金が貰えるということで、それを目当てに参加資格だけを整えて出場している可能性が濃厚だ。……この無秩序な予選を見る限りでは『あわよくば』と思ってしまうのも無理はない。
魔獣を牽制しながら対戦相手にけしかけようとしている参加者もいるが、これらのペアにも仲間意識は全く感じられない。
むしろパートナーと言うよりは足枷といった様相を呈している。
こうなると人間だけで闘った方が良さそうなものだが、一応は『魔獣闘技大会』という名目だ。
戦闘力の低い魔獣をパートナーにして人間だけが闘うという手法は、大会のルール違反ではなくとも観客の顰蹙を買うらしい。
類似の手法としては、無力な魔獣と組んでライバルの自滅を待つというやり方もあるが、これも当然の事ながら観客の非難を受ける対象となる。
――そう、今の僕がまさにそれだ……!
隙あらば本戦進出を目論んでいる卑劣漢だと思われているのか、僕は観客から罵声を浴びせかけられているのだ。
マカは並大抵の神獣では歯が立たないほどに強いが、見た目はただの仔猫なので僕が非難の対象となるのも仕方がないだろう……。
そのマカは、試合が始まっているのに闘技台の隅でぐうたらと眠ったままだ。
ライバルが自滅してくれそうなのでマカを起こすまでもないのだが、観客からのブーイングが辛いので複雑なところである。
しかしこうして見ると、確かに魔大陸の魔獣は手強いということがよく分かる。
参加者の中には戦闘系の加護持ちもいるが、魔獣に襲われている参加者は一様に防戦一方となっているのだ。
この様相からすると、魔獣を捕獲する際には複数人で捕まえたようだが……試合では都合良く敵に向かっていくことを期待していたのだろうか?
魔獣の誘導に成功している人間はいるが、多くの参加者は失敗に終わっているので楽観的な甘い計画だったと言わざるを得ない。
……いや、アイファばりの無計画性に呆れている場合ではない。
ふと見れば、男の一人がパートナーの大蛇に丸呑みにされそうになっている。
しかもすでに――〔頭を残すのみ〕というクライマックスな状態だ……!
この試合の判定は、リングアウト以外では『ギブアップ』を告げるか死亡するかのみとなっているが、この状況でも勝負を諦めていないのは見事な執念だ。
男は叫び声を上げながらも『ギブアップ』の言葉を口にしようとはしない。
審判が固唾を飲んで見守っているが、絶体絶命の窮地であるにも関わらず男は敗北を認めていないのだ。
ちなみにその審判のおじさんは、タヌキのような耳を生やした獣型の神持ちだ。
危険な試合の審判ということで、奴隷扱いを受けている獣人のおじさんに白羽の矢が立ったのだろう。
衝動的におじさんの首輪も外してあげたくなるところだが、ここはもう少し辛抱すべきところだ。
国王と会談する為の道筋が見えている以上、不測の事態を起こして台無しにしてしまっては悔やんでも悔やみ切れない。
幸いと言うべきか、タヌキ耳のおじさんはウルちゃんの時に比べれば余裕が有りそうに見えるので、奴隷解放が遅れても生命に関わるような事はないはずだ。
服が破けそうなほどに盛り上がった筋肉を見る限り、栄養失調ということもなく健康そのものだ。……可愛いタヌキ耳に筋肉の塊の身体は違和感が凄いが。
そしてそろそろ男の頭が呑み込まれるとなったところで、ようやく男は「ギブアップ……」と掠れた声を絞り出した。
死力を尽くして敗れたという体だが、そもそもこの大蛇は男のパートナーだ。
檻から放たれた直後には男に向かっていったので、この男は自分の敵を自分で解放するという謎の行動を取ったことになる。
ギブアップを確認したおじさんの動きは迅速だ。
男の頭が呑み込まれる寸前、岩のような拳で大蛇の頭を殴りつけた。
魔大陸の魔獣が強いとは言え、神持ちの拳を受けて生きていられるはずがない。
おじさんは自分の力を誇るようなこともなく、何事もなかったかのように絶命した大蛇から男を引っ張り出している。
うむ、実に見事な手際だ。
試合中ではあるが、タヌキ耳おじさんの手慣れた仕事ぶりに拍手を送りたい――あなたが最優秀選手です!
しかし大蛇をパートナーに選んだ男は結果的には愚行だったが、ある意味ではハイリスクハイリターンの賭けに負けただけとも言えるだろう。
大蛇のような大型魔獣を相棒に選んだ場合、魔獣の制御は難しくとも対戦相手との闘いでは優位に立てることになる。
逆に小型魔獣が相棒となると、魔獣の制御は容易であっても戦闘では心許ない。
……巻き込まれる魔獣が気の毒なので身の丈に合った相棒を選んでほしいが。
実際のところ、この予選グループでは大型魔獣組の四組が自滅してしまい、二組が闘うことなく場外に転落していった。……一体何をしにきたのだろう?
もはや僕とマカ以外には一組しか残っていないが、その一組は安定性を重視した小型魔獣コンビだ。
「あとはガキと猫だけか、こいつは勝ったも同然だな。やっちまえ――タマ!」
男がタマと呼んだ魔獣。
それは丸々と肥え太ったネズミの魔獣だ。
足が八本あるネズミということで、よく見かけるタイプの魔獣だと言える。
ネズミの戦闘力はお世辞にも高くなさそうだが、魔獣の強さよりも確実に制御出来ることを優先しているのだろう。
そのコロコロとした体型からしても、男が過剰な餌付けで手懐けていることは疑う余地がない。
だがしかし、ネズミに『タマ』と名付けるネーミングセンスはともかく、他の参加者に比べれば格段に息が合ったコンビであることは確かだ。
ネズミの動きにやる気は感じられないが、一応は男の指示に従うようにヨタヨタと歩き始めているのだ。
よし、こちらも負けていられない。
「マカ、出番だよ」
遂に僕たちの名コンビぶりを世に知らしめる時が来てしまった。
仔猫を起こして闘わせようとしていることに観客から非難の声が飛んでくるが、僕はこれしきの逆境に挫けたりはしない。
だが、マカを揺り起こす僕の手は――バシッと尻尾で叩かれた!
このニャンコ……ひんやりした闘技台で寝そべるのが気に入っているらしい。
起きているくせに動こうとしないマカの怠惰ぶりには思うところはあるが、起きているなら放置しておいても問題は無いだろう。
対戦相手は魔獣とは思えないほどの鈍重な動きでのそのそと近付いてくる。
原種であるネズミは素早い動きが印象的なのだが、もはや原種の面影はどこにも感じられない。
……魔獣を手懐けることを優先するあまり、育成方法を間違えている気がする。
そしてネズミはマカの傍らに歩み寄り、その肥満体でマカを押し潰そうと飛び掛かるが――バシッと尻尾で迎撃された!
「キィーーーッ!?」
「タマぁーーーッ!」
ゴロゴロ転がっていくネズミと絶叫する男。
ぼてん、と場外に落下したネズミには怪我らしい怪我が無いのは明らかだが、男はしきりにパートナーの容態を心配している。
この様子からすると、魔獣を手懐ける為に過剰な餌付けをしていたというよりは甘やかしによるものだったようだ。
こうなると結果的にマカが魔獣を殺さなかったのは幸運だった。
勝負の結果なので殺しても文句を言われる筋合いは無いが、男が溺愛する魔獣を殺したとなれば罪悪感に襲われてしまうのは避けられないのだ。
しかし、この魔獣闘技大会……僕の思っていた大会と全くイメージが違う。
力と知恵を振り絞ってパートナーと高みを目指すような大会だと思っていたのに、蓋を開けてみれば参加者の半分がパートナーにやられている。
周囲を見渡す限り、この予選グループばかりか全体的にも似たような傾向だ。
この調子なら、明日の本戦も問題らしい問題は無いことだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、五六話〔隠されていた情報〕