四十話 慣れている逆境
「――アオさん、イカの群れを発見したので獲ってきましたよ」
僕は何杯ものイカを両腕に抱えて甲板に上がった。
ちょっとした不幸な行き違いにより、魔大陸へ到着する前に死後の世界へ旅立つところだったが、苦境を乗り切った後には悠々とイカ獲りに励んだのだ。
苦境。そう、僕は苦境に立たされていた。
平原の民たちにより袋叩きにされた後には、僕は厳重にロープで拘束された。
ルピィにロープで縛られている時には『僕も逆さ吊りにされるのかな?』と思っていたが、逆さ吊りどころか――両腕を縛られたまま海に落とされたのだ!
肩パッドさんたちへの仕打ちを拷問とするならば、僕のそれは〔処刑〕と形容しても過言ではないほどの暴挙だ。
本来ならば、為す術なく海の藻屑となってしまうような仕打ちだろう。
だが、幸いにも僕は逆境に慣れている。
雷術で魔獣を遠ざけ、得意の縄抜けで拘束を解いた後には『ルピィたちも一緒に泳ごうよ!』と笑顔で誘ってあげればそれで解決だ。
目先の楽しさを優先するルピィたちなので、文句を言いながらも海に飛び込んでくることは必然である。
アイファも海に飛び込んできたので肩パッドさんたちが海に沈んでしまうという些細なトラブルはあったが、僕とレットによる救出活動で一命を取り留めているので何も問題は無い。
それよりも――皆で潜ってイカを獲った後、海上から船が消えていたことの方が問題だった。
気が付けば、水平線上にも船が見えなくなっているという事態だ。
船を減速させなくても構わないとは言ったが、まるで僕たちを意図的に放逐したかのように思えてならなかったのだ。
なにしろ僕たちの魔大陸行きは公には伏せられている。
そんな事情から、僕たちの名前は乗船名簿に記載されていない。
そう、ここでサヨナラしてもなんら差し障りがないのである。
もちろん船長さんたちがそんな無体なことをするわけが無いのだが、直前に船上トラブルがあったばかりなので脳裏に嫌な想像がよぎってしまうのも仕方がない。
当然の事ながら、僕の心配は杞憂に過ぎなかった。
ルピィから船の方角を教えられて帰還してみれば、アオさんから満足そうな笑みで温かく迎えられたのである。
他の船員たちからは『戻ってきたのか!?』という、ギョッとした目で見られた気もしたが……いや、ただの錯覚に違いない。
「ふむ、ご苦労だ。君は料理も達者だと聞いている。早々に昼食の準備に取り掛かってくれたまえ」
遠泳から戻ってきたばかりの僕を休ませないアオさん。
この自己中心ぶりにはセレンから苛立ちの気配が感じられるが、僕には料理を求められて嬉しい気持ちの方が強いので不都合はない。
それにアオさんからは全く悪意が感じられない。
ただ自分の欲望に忠実なだけ、というところは仲間たちに通じるものがある。
少なくとも、頑なに僕らを視界に入れようとしない他の船員さんたちより血の通った対応であることは間違いないだろう……。
――――。
この船の航行速度は速いとはいえ、魔大陸までは一カ月以上掛かる船旅となる。
航行中に魚を獲ることは当然だが、本来ならば食材を選べるだけの余裕はない。
そんな事情もあって、船の厨房に大量のイカを持ち込みつつ『ご希望とあらば何でも獲ってきますよ』と宣言すると、料理人の皆さんは僕を大歓迎してくれた。
もちろん、僕が厨房を借りて料理することにも不満の声は上がらない。
食材確保だけでなく、僕が凍術を行使可能だという事実も大きかったのだろう。
果物や野菜といった生鮮食品は日持ちしないので、凍術の術者は船旅で非常に重宝される傾向があるのだ。
この船は船長と副船長が加護持ちだが、さすがに凍術の術者まで確保するのは難しかったようで、凍術の使い手はこの船には僕だけだ。
そもそも僕の周りには加護持ちどころか神持ちが多いので感覚がおかしくなりそうだが、通常の加護持ちであっても充分珍しいのである。
そして完成した昼食は、イカそうめんとイカと野菜のバター炒めだ。
サッパリしたそうめんと濃厚なバター炒めの組み合わせには、同じテーブルの面々も満足そうな様子だ。
食堂のテーブルには船長さんとアオさんのコンビも招待している。
「治癒術や凍術に加えて、料理か。私の船に欲しい人材だな」
イカ好きを公言しているアオさんからも高評価を得られたようだ。
しかし、『私の船』という言葉に間違いはないのだが、口調といい態度といいアオさんが船長としか思えないことになっている。
船長さんは口を挟むことなく背中を丸めて食事をしているので、傲然としているアオさんと並ぶと船長さんが付き人のように見えてしまうのだ。
この二人を足して二で割れば丁度良い塩梅になりそうなのだが……いや、だからこそ二人がコンビを組んでいるのかも知れない。
そしてアオさんは僕の治癒術についても言及しているが、航行初日でありながら治癒術を披露する機会に恵まれてしまったのでその事を言っているのだろう。
そう、オシャレ船乗りである肩パッドさんたちの治療だ。
仲間の不始末が怪我の原因なので治癒術のことを言われると居心地が悪いが、褒められているのだから素直に喜んで受け止めるしかない。
治癒術士も凍術の使い手と同様に珍しい存在なので、この船では治癒術が使える人間も僕だけとなっている。
誰かの怪我を期待するわけにはいかないが、僕の有用性の高さをアピールしつつ、これからの航海で船員さんたちと仲良くなっていきたいものだ。
明日も夜に投稿予定。
次回、四一話〔疑惑の予測〕