三九話 制裁の格差社会
荒れているルピィに関わっても不幸な事になるだけだ。
残酷な現実からは逃避するのが正しい。
よし、ここは癒やしの存在たるセレンに目を向けるとしよう。
以前に海へ行った時と比べて、セレンの身体は緩やかに成長しているようだ。
まだセレンは十四歳――成長期真っ盛りなので、当然と言えば当然だ。
この調子ならばルピィやアイファのように悲劇的事態にはならないはずだろう…………はっ、いかんいかん。
冷静に考えればこれはまずい。
妹の胸の大きさをしきりに気にする兄――完全にアウトだ!
もしセレンに『にぃさまキモいです』などと言われてしまったら、発作的に投身自殺をしてしまう……!
いやはや危ないところだった。
セレンに僕の思考が察知される前に気付いて幸いだ。
まだ僕の心には動揺が残っているので、こんな時は親友のマッスルボディを見て心を落ち着けるとしよう。
そのレットは――崖っぷちで犯人を追い詰めているかのように、甲板の端にいるルピィとアイファの二人と対峙している。
はて、三人は何をしているのだろう……?
ルピィとアイファの手にはロープが握られているので、ロープを海に垂らして釣りでもしているのだろうか?
ロープで釣り上げるような大型魚は扱いに困るのだが、あの二人に常識を求めても仕方がない。
しかし、見えないロープの先から〔切羽詰まった悲鳴〕が聞こえる気がするのが引っ掛かる……僕の幻聴だと良いのだが。
僕は内心の嫌な予感を抑えながら深呼吸をする。
そして恐る恐るロープの先を覗き見ると…………やっぱり人が吊るされていた!
ルピィの悪口を言っていたらしき船員たち。
彼ら二人は拘束された状態で海面の上に逆さ吊りにされている。
直下の海では、餌に群がる池のコイのように魔獣の群れが集まっている有様だ。
まずい、もう少しで彼らは魔獣の胃袋に収まりそうだ。
いや――既に一人の両肩に魔獣が喰らいついている!
なんてことだ、〔肩パッド〕みたいになっているではないか……!
見ようによっては最先端ファッションのようにも見えるぞ――『今年の流行はメバルやで!』
気のせい気のせいと思い込もうとしていたが、残念ながら現実だった。
周囲の船員たちの悲鳴は幻聴ではなかったのだ。
レットが囚われた船員の救出に動いているようだが、血も涙もないルピィを前に難航しているらしい。
「ふふっ、レット君。ボクらに近付くとビックリしてこの手を放しちゃうかもしれないよ?」
「そうだ! 諦めろレット=ガータス!」
完全に人質を取った凶悪犯そのものである。
当然のようにアイファもルピィに加担しているが、おそらくルピィに唆されてしまったのだろう。
しかし、これはいけない。
僕が現実逃避をしていたばっかりに、彼らが流行の最先端を行くファッションリーダーにされているのだ。
ここは僕が責任を持って穏便に解決するしかない。
船長さんは判断に困ってオロオロしており、副船長のアオさんが「お手並み拝見といこうか」と不敵な笑みを浮かべる中、僕は凶悪犯たちに近付いていく。
……部下のピンチにも余裕を崩さないアオさんには感服である。
「まぁまぁ気を静めなよ二人とも。長い船旅の仲間なんだから仲良くするべきだよ」
危険な凶悪犯が相手でも僕は怯まない。
口下手なレットに代わって、僕が交渉人を務めなくてはならないのだ。
僕が動いたことでルピィは悪人のような笑みを浮かべているが、ここで悪に屈するわけにはいかない。
「ボクたちがコイツらになんて言われたか知ってて庇おうっての? アイファちゃん、アイス君はコイツらの味方をするらしいよ」
「見損なったぞアイス!」
条件反射のようにアイファが糾弾の声を上げた。
流されやすいアイファが場の空気に流されているだけなのは明白である。
それでも僕はアイファのことを見損なったりはしない。
そう、元々の評価自体が高くないので見損ないようがないのだ……!
「何を言われたのかは知らないけど、もう彼らも反省しているだろうから許してあげなよ」
「ふふっ……じゃあアイス君、コイツらが言ったコトを当てられたら解放してあげようじゃないの」
くっ……そう来たか。
これは間違いなく悪辣なルピィの罠だ。
僕にルピィへの悪口を言わせて、それを口実に僕をイジめようという魂胆だ。
そう、ルピィのストレス解消の為に……!
男たちをこれだけ悲惨な目に遭わせておきながら鬱憤が晴れていないとなると、実際に相当腹立たしいことを言われたのだろう。
だからと言って、僕に八つ当たりをするのは止めてほしいものである。
しかし囚われの肩パッドさんたちを見捨てるわけにはいかない。
このままでは魔獣に食べられてしまう恐れがあるし、それでなくとも彼らは怪我をしているのだから早急に救出しなければならない。
こうなれば、彼らを助ける為にはあの手段を取るしかないだろう。
毒をもって毒を制する、ということに近いやり方だ。
足の怪我が痛くとも、腕を切り落とされば足の痛みなど気にならなくなる。
つまるところ、肩パッドさんたちに憎しみが向けられているならば、僕がより強い憎しみを引き受けてあげればいい。
僕が危険な目に遭うだろうが、彼らへの興味を失わせるにはこれがベストだ。
どのみち僕までストレス解消のターゲットにされてしまうなら、悔いを残さないように思い切りよく攻めるのみだ。
「ルピィたちが何を言われたかだって? 『おい見ろよ、オレたちが海の民ならアイツらは平原の民だぜ』とでも言われたのかな? はははっ……」
ここぞとばかりに挑発してしまう僕。
怒りの矛先を僕一人に向かわせるという目的もあるが、これには僕の憂さ晴らしも兼ねている。
どのみち理不尽な目に遭わされるならスッキリさせてもらった方がお得なのだ。
もちろん僕の目論みはこれ以上なく成功している。
共犯者のアイファは「お、おのれぇぇ……」と、僕への怒りに我を忘れてロープを固く握り締めているのだ。
うむ、この様子なら万が一にもロープを手放すまい。
アイファが一流のロープアンカーであることを認めたのか、ルピィも自分の持っていたロープを手渡しているほどだ。
むっ、いかんな。
主犯のルピィが剣呑な気配を放ちながら無言で近付いてくる。
お喋りなルピィが無言ということは、かなり怒っているという事だ。
思惑通りではあるが、強すぎる怒りは僕の生命に関わる問題となる。
ここはルピィの怒気を少し宥めておくとしよう。
「まさか、何もしていない僕に暴力を振るうつもりじゃないだろうね? そんな横暴は男らしくないよルピィ君!」
おっと、これはいけない。
宥めるつもりが挑発を重ねてしてしまった……!
積年の恨みが溜まり過ぎていたせいか、数少ない攻勢の機会に恨みが解放されてしまったのだろう。
まったく、人の恨みとは根深いものである……。
明日も夜に投稿予定。
次回、四十話〔慣れている逆境〕